故郷の詩  2 [昭和初恋物語]

 駅の桜が葉桜になり陽光が明るい若葉の季節になった。
あの日から気になりつつも創と彩子は会うことはなかった。その日創が
神社の前に来ると、自転車を止めて彩子が待っていた。「ごめんなさい
待ち伏せなんかして。よかったら少し休んでいきませんか。」創は驚い
てくったくのない明るい彩子の顔を見た。彼も彩子に会いたいと思って
いた。境内に何本もある大きなつつじの白やピンクの花が、いっぱい咲
いている。「おう」思わず声をあげる創に、彩子は笑って「きれいでしょう
。私この花が咲いたら、大森さんを誘おうと待っていたんです。」と思い
がけないことを言う。「あの時は本当に有難うございました。すぐにお礼
を言いたいと思ってもどうしていいか分からなくて。手紙を書くのも恥ず
かしいし、それに私六月にある文化祭の準備で帰りもいつも遅くなって
いたの。それならあのつつじの花が咲くまで....と。」彩子が喋っている
口元を創は何て可愛いのだろうと見つめていた。その彼女が僕のために
ここで待っていてくれたのだと思うと、嬉しさで胸がいっぱいになった。
「ごめんなさい、私ひとりで喋っている」「いいや、有難う。ここにこんな花
があるなんて知らなかったよ。本当にきれいだね」創はやっとそう言った。
 二人はいつかのように並んで神社の縁側に腰かけた。午後の木漏れ
日がほっそりと、足元にこぼれていた。
 「僕も何だかその後のこと心配で、気にかかっていたのだけどなかなか
会えなくて、大丈夫だった?」「実はあの前の晩、徹夜していて睡眠不足
だったんです。私わかっていたのだけど....」「何だ、それならよかった勉
強ですか。」「いつも怠け者のくせに、一夜漬けなんです。」彩子は明るく
言った。創はこれからも時々彩子と話がしたいと思った。いや、ちょっと
顔をみるだけでもいい...と。
 「ねえ大森さん週に一回ここで会いませんか。彩子の言葉に創は耳を
疑った。「私一人っ子だし気の合った友だちもいないんです。大森さんに
なら何でも相談できそうで...そうお兄さんみたいな感じがして。」彩子は
無邪気な瞳を真っ直ぐ創に向けて言った。創はわくわくする気持ちを抑
えながら「いいよ、いいですよ。そうしょう。僕金曜日が五時限まででいつ
もより一つ早い汽車に乗れるから。ごめん自分の都合を言って」と早口で
応えた。「はい金曜日大丈夫です。雨が降っても、取り敢えずここに来ま
しょう。」二人とも浮き浮きと、この日は横に並んで自転車を漕いだ。口笛
を吹きたい気持ちを創はじっとこらえた。
 家の前で「さようならまたね。」彩子はそう言って帰って行く創の後ろ姿
をいつまでも、見送っていた。
 待ち遠しかった金曜日になった。いい天気であちこちの麦畑が色づいて
辺りが明るく感じられた。
 「彩子はもう来ていた。「待たせたのかなあ。」創がそう言いながら縁側に
掛けると「私も今来たところです。」花のように彩子が応える。
 しばらく二人で座っていても話はとぎれがちになってしまう。創が突然「堤
さんは卒業したらどうするのですか」と聞いた。まだ二年も先のことだ。
「私音大に行くつもりです。小さい時からやっているピアノが好きだし、将来
は先生になれたらいいなあ」彩子は即座に応えた。その眼はきらきらと輝
いていて、創はまぶしい思いで彼女見た。「ピアノか、いいなあ。そう言え
ば中学の音楽会で堤さんのピアノ聞いたことがあるような気がする」「ええ
そうだったかなあ」彩子は思い出を探すようにしばらく黙っていた。そして
「大森さんは将来のこと、もう決めていますか」と言った。「僕は船乗りにな
るつもりです。通信士として船に乗りたいのです。」創も即座に応えた。
彩子にはすぐには理解できなかったけれど、ちょっと変わった職業だと思
った。そして颯爽とした制服姿の創を想像した。
 随分時間が経ったようにも思えたし、あっという間であったような気もする
ふたりだった。
 夕暮れが深く空が茜色に染まる頃二人は立ちあがった。自転車を走らせ
て村の入り口で見慣れた形の山が見えた時創はなんだかほっとした。少し
遅くなったかも知れないと気になった。「楽しかったわまたね」「本当に楽し
かったよ」創は大きい声で言って手を振りながら遠ざかって行った。
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リンさん

いい時代ですね。
ケイタイがないから、逢えるまでドキドキですね。
週に一回という距離感もいいですね。
しかし、この時代の高校生は、今の子よりもしっかり将来を考えていたような気がしますね。
誰もが大学に行ける時代じゃなかったからかもしれませんが。
続き楽しみにしています。
by リンさん (2012-09-08 16:48) 

dan

感謝感謝です。
本当にこの時代大学へ行くのは小さな村では
一人か二人。だから本人たちもしっかり将来を
見据えていました。
リンさんのコメントを力に代えて頑張りまーす。
by dan (2012-09-08 19:08) 

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