故郷の詩  4 [昭和初恋物語]

 梅の花が咲いて、山で鳴く鶯の声が聞こえ始めた春浅い頃、彩子が東京の
音大を卒業して村に帰って来た。母の希望でもあったが、華やかな都会での
学生生活に満足しながらも、彩子自身が折りに触れて知った故郷への思いを
大切にしたかった。卒業したら、この静かな村の小学校の教員になろうと決め
ていた。
 彩子二十二歳。あの幼かった日の面影を残しつつ美しい女性になった。年
頃のこととて結婚話も色々あったが、彩子は勉強に専念し、恋も知らずにいた。
 創も希望の船会社に入り、今はもう船に乗っている。彼が想像していたより
遥かに厳しい仕事だったが、自分の選んだ道を必死に歩いていた。
 入社間もない頃には、彩子のことを想って切ない夜もあったが、いつかそうい
う余裕もない程忙しい日々の中で仕事に没頭してきた。
 
 その年の夏、創は兄の結婚式に出るため、久し振りに村に帰って来た。彩子
が帰っていることは、母から聞いて知っていた。四年前お互いの進路が決まっ
た時、しっかり頑張ろう! と話合って以来、会うこともなかった二人だ。
 創はこの機会にどうしても彩子に会いたいと思った。学生の頃のような胸の
痛くなるような想いは今はなくて、ただ懐かしい気持ちだった。
 創は思い切って彩子に電話をした。電話口で驚いたように「えっ創さん帰って
いたの」と大声で言うその様子は、高校生の時のままで創はほっとして、つもる
話も沢山あるので、是非会いたいと一息に言った。彩子は夏休みだし丁度よか
ったと、あっさり応じてくれた。
 約束の日二人は、創の母校の近くにある海水浴場に向かった。
 さすがに駅まで自転車で行くのは....とバスに乗った。パスがあの鎮守の森の
横を通りかかった時、彩子は思わず身を乗り出して窓の外に目をやった。蝉し
ぐれが降るように風に乗って聞こえて来た。突然彩子の胸に懐かしさがどっと
溢れて来て、そしてそっと創の顔を見た。彼も腕組みしてじっと目をつぶったま
ま思いにふけっているようだった。
 白砂青松、遠浅のこの海岸は美しいことで有名で、夏は大勢の海水浴客で
賑わったが、今はもう人影もまばらで、貸しボート屋が所在無げに店を開けて
いるだけだった。
 白地にブルーの縞模様の、スポーティなワンピースの彩子は、海によく似合
って何だかボーイッシュで、創はまた新たな彼女を発見たような気がした。
松林の間を抜けて行く風は、もう秋の香りがしてくるようで、二人は近くのベン
チに腰を下ろした。「こうして二人でいると、昔と少しも変わらない気がするなあ
でもあの神社で彩ちゃんと逢ってから、随分になるのだろうね。」懐かしそうに
言う創に「そうよ多分七年振り。だって子供だった私が、今や子供に教えてい
るのだから」笑いながら彩子はポンと創の肩を叩いた。もう大人の彩子なのに
そういう仕草は昔のままなのが、創にはとても愛しく思えた。
 創は彩子に聞きたいこと、自分も話したいことが、いっぱいあったのに、今こ
うして眼の前にいる彼女を見ると、そんなことより、無意識のうちに自分の胸に
閉じ込めてしまっていた彩子への熱い想いが飛び出してきそうで天を仰いだ。
「ねえ創さん、船で世界中多くの国に行ったのでしょう。」彩子の声に我に返っ
た創は「まあ船に乗るようになってからは、まだ二年余りだからね。」「いいなあ
いつか私も外国へ行きたいなあ。うん、やっぱりウイーンに行きたい。ねえウイ
ーンにはもう行った? 」彩子は子供のように目を輝かせて創を見た。創は思わ
ず笑って「ウイーンにはまだ行ってないよ。だって海から随分遠いもんなあ」と
冗談のように言う。
 「彩ちゃんボートに乗ろうか」「ええ?創さんボート漕げるの」「もう怒るよ。僕は
船乗りだよ。」はっはっはと彩子は豪快に笑って、ごめんなさーい忘れてたと!!
と舌を出した。
 民家のある一番近い島の辺りまで、潮の香りと海風の中を創は力一杯ボー
トを漕いだ。ボートから手を伸ばしてキャッキャッと海の水と戯れている彩子は
とても、二十二歳の大人の女性には見えなかった。

  
nice!(1)  コメント(2) 

nice! 1

コメント 2

リンさん

わあ、4年も過ぎちゃってる^^
4年経っても、変わらずに逢える二人がいいですね。
今の子はドライだから、4年も離れているうちに2,3人と付き合ってますよ(笑)
船乗りっていう職業もいいですね。
憧れます。
by リンさん (2012-09-15 15:28) 

dan

早々に有難うございます。
昭和はこういう時代でした。
書きながら私が懐かしがっていてどうなるのでしょう。
by dan (2012-09-15 18:14) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

故郷の詩  3故郷の詩  最終章 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。