平成シニア物語  春隣  終章 [平成シニア物語]

 行く先はもう決めていた。電車で二時間足らずの大きな川のある城下町だ。
最近史実に基づいて昔のままに再建されたお城が話題になっていた。
 約束の日曜日駅で待ち合わせた。
草子はモスグリーンのセーターにジーンズ、白いダウンコートを着ていた。
いつもジャージ姿しか見たことがなかった圭吾には、その姿が新鮮だった。
 圭吾は出かける時は、着る物はいつもゆきが選んでくれたのを思い出して
彼女の好きだった黒のセーターにジーンズ、茶のジャケットで出て来た。
 草子もそんな圭吾をおしゃれで素敵だと思った。
「おはよう、良い天気でよかったね」「おはようございます。本当、楽しい一日
になりそうですね。」お互いに明るく挨拶を交わした。
 駅を出て三十分も走るとすぐ右手に海が見えて来た。藍色にかすんだ島々
も手にとるように見える打ち寄せる波も今日はやさしい。
 十数人の客を乗せて、たった一輌の電車はのんびりと走って行く。
反対側の窓からは白く優しい水仙の群生が、しばらく目を楽しませてくれる。
 「まあきれいな水仙。」そう言って外に見いっている草子を圭吾は見ていた。
「私電車なんていつから乗ってないかしら。この頃はどこへ行くのも車てしょう。
だから、今日は本当に楽しみにしていたんです。いいなあ」草子は目を細めて
嬉しそうに言った。
「急行ならもっと早く行けるのだけどあえて.....こういうのも旅をしている気分
になれるでしょう。」圭吾は自慢げに大きな声で言いながら、ふといつも隣に
ゆきを乗せていたあの車では行きたくない気持ちがあったことを思い出した。

 到着した街にはお城の人気もあってか思っていたより人が多かった。
駅からまっすぐお城に行くことにして、二十分余りの道を歩いた。
 この季節にしては暖かいと話しながら歩いていたが、大きな川に架かる橋
の上はさすがに風が冷たくて、二人とも首をすくめて苦笑した。
 しかし滔々と流れる川の水は真下は深い藍色に、下流は淡い青色に光り
小さな水鳥が水際に群れている様は、何とも美しくて二人は何度も足を止め
て眺めた。
 お城に続く坂道を登り切る頃にはうっすらと汗も滲んで来ていい気持ちだ。
庭内にある梅や桜のつぼみはまだ固く、冬枯れた景色の中に堂々と建つ新
しいお城はなかなか立派だった。
 城内に入ると足元から寒気が襲ってきたが、気持ちが引き締まる思いだ。
新しい木の香りが辺りに漂いゆったりとした気分になれた。
 二人は城が出来るまでの説明やお城の模型など、沢山の資料を熱心に
見て回った。そんな草子の様子をみて圭吾は彼女もこういうことに関心があ
るのだとほっとすると同時に大い満足だった。
 
 天守閣からは街が一望出来た。目の下に青く光りながら川が蛇行して流
れ、ずっとその先に海も見えてその手前を走る玩具のような電車も見えた。
「ねえっあれ見て! 」その電車を見つけた草子が子供のように声をあげた。
「一時間に一本くらいしかない電車が見えたなんてラッキーだね。」圭吾も
つい嬉しくなって、何かいいことがありそうな気がしてきた。
 心ゆくまでお城にいて二人は街に下りた。圭吾は友人に聞いてきた評判
の和食の店に草子を案内した。今まで二人でゆっくり会うことなどなかった
ので、今日は食事をしながらのんびりしたいと思っていた。
「いいお店ですね。」「友だちに教えてもらったんです。古いけど料理はおい
しいって」
 次々に運ばれてくる料理を、美味しそうに食べる草子を見ながら圭吾は
なんだか胸が熱くなった。
「おいしいですか」「まあごめんなさい。私食べてばかりで、だって本当に
どれも美味しいのです。それによく歩いたからお腹もすいていたんです」
草子は照れて笑いながら「ここ昔ブームになった頃一度来たことがあった
のだけど、この年になってみると前には気ずかなかったいいところが沢山
あって、心が落ち着く良い街ですね。」と圭吾を見た。
「気にいってもらってよかった、少し街を歩きましょうか」
 二人は外に出た。もう何十年も前、この街が人気テレビドラマの舞台に
なり、全国から大勢の人が押し寄せたことがあった。ブームは去っても、
今もその名残のヒロインの名前の通りがあり、銘菓「しぐれ」を商う老舗や
レトロな喫茶店、夏には鵜飼い、秋にはいも炊きなどの古くからの行事も
あって、旅館やホテルも並んでいる。
 圭吾は草子に言いたいことがいっぱいあるのに、その言葉が浮かんで
来ないじれったさを感じていた。
 草子も同じ思いだったが、何となく幸せな気持ちだけで満足している自
分がいて、二人は黙って肩を並べて通りを歩いた。

 二人が帰って来た時にはもうすっかり陽は落ちていた。圭吾はこのまま
一人の家に帰りたくなくて小声で「食事にいきませんか」と誘った。
草子は驚いて一瞬圭吾の顔を見てからきっぱりと言った。
「有難うございます。嬉しいけれどもう充分です。今日一日で私一生分の
幸せを味わった気がします。本当に楽しかった。有難うございました。」
草子は深々と頭を下げた。その途端涙がこぼれ落ちた。思いがけない
涙だった。と同時に胸が痛くなるほどの寂しさがどっと彼女を襲った。
草子はゆっくり顔を上げた。辺りのほの暗さに圭吾が草子の涙にきづく
ことはなかった。
 それなら送って行くという圭吾に草子はもう一度最敬礼をして帰って
行った。
 男らしくなかったかなあ、心の隅で少しの反省と、せめて無理にでも送
って行くべきだったという大きな後悔が圭吾の中でせめぎ合った。

 圭吾は帰るとすぐゆきに「お土産」と言って、しぐれを供え「ただいま」の
挨拶だけした。
 圭吾は今夜一人で飲むお酒が、何故かいつもより美味しい気がした。
それなのに胸の奥の方にわだかまっている何かがその美味しさに水を
さした。
 今日一日の草子の楽しそうな様子が目に浮かんだ。それと同時に別れ
際の彼女の言葉がはっきり甦って来た。
 そうだ自分も楽しかったではないか。ゆきかいなくなって....初めてだ。

 「さあ明日も元気で歩くぞ! 」圭吾は声に出してそう言った。
 草子もきっと来る。
 伏し目がちに、それでも笑顔を絶やさなかった今日一日の草子の姿が
しっかりと圭吾の眼裏にあった。

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木瓜

私たちの世代の 出来事ですね
danさんのご主人とdanさんを主人公に置き換えても
まったく違和感がないのは なぜでしょう?
明日に希望があるって 良い事だと この年になって
おもいます
こちらでは今夜も雪が降り 明日の午後から回復との
予報です
by 木瓜 (2014-02-08 23:16) 

dan

大雪で大変ですね。
コメント有難うございます。あまり出来がいいとは思えませんが、いつもと少し視点を変えてみました。

 この機会に! 木瓜さんのブログ変わりましたね。
すごくいいです。明るい感じでランクもぐーんと上がって読みやすい気がします。ただコメントの仕方が変わっているので、戸惑っているのですが出来るでしょうか。
ひとつ挑戦しようとは思っています。
by dan (2014-02-08 23:48) 

かよ湖

danさん、こんばんは。
終章 ということは、このお話は一先ずこれでおしまいということでしょうか?
実は1章をUPして、すぐに読ませてもらいました。
私は今まで、danさんの情景描写のセンスは本当に素晴らしいと思っていましたが、今回のお話は、それに加えて、草子の心情がとても上手に表現させていると感心して読んでいました。
ストーリー構成も、途中に回想などが入り、とても良かったです。
また、圭吾を主人公にした恋愛ものですが、草子の置かれている生活環境が、現代の社会問題に直結していて、社会派の要素も含んでいるのは、非常に読者に読ませます。いいスパイスだと思います。
ぜひ続編で、圭吾との会話などで草子(独身・親の介護女性)の心の叫びを描いてもらいたいと思います。
もちろん、圭吾と草子のその後メインで・・・。
本当にいい作品だったので、色々コメントさせてもらいました。
すみません。。。
by かよ湖 (2014-02-09 02:39) 

dan

いつもながら嬉しいコメント感激です。
具体的に感想を述べて下さるのでとてもよく理解
できます。
まあちよっと褒めすぎの感ありですが、嬉しいのも
事実です。
続編は書きたいと思っているのですが、今はまとまら
なくて一応終章にしました。この作品に関して何より私自身がもやもやしているので、次はもう一歩踏み込みたいと思っています。
かよ湖さんも楽しい毎日のようで安心しています。

by dan (2014-02-09 12:12) 

リンさん

とても趣味が合うふたりなんですね。
そういうの大事だと思います。
まだ恋愛感情とは言えないかもしれませんが、お互いが生きる励みになっているのは間違いないですね。
私も続編を望みます。
by リンさん (2014-02-10 18:30) 

dan

いつも有難うございます。
頑張って二人の今後のこと考えてみます。
こういう境遇の人がこの頃多いように感じたのが
この作品を書くきっかけでしたから。

by dan (2014-02-10 19:09) 

ENO

NICE ありがとうございました!
おかげさまで、111,111 を達成することができました。感謝の気持ちでいっぱいです・・・。

by ENO (2014-02-10 21:28) 

あかね

若くはないふたり、謙虚ですよね。
たぶん、若くはないふたりがゆっくりと恋愛をはじめ、ゆっくりゆっくり心を寄り添わせていく第一歩なのかな、なんて、私は勝手な解釈をしました。

このくらいのお年頃の男女の感情には共感もしやすいです。
またもっと、こんな小説を書いて下さいね。

by あかね (2014-02-11 12:49) 

dan

あかねさんの解釈の通りです。
続編となるとどうしてもそうなりそうですものね。
色々考えていつかいいのが出来たらいいなあと
思っています。
嬉しいコメント有難うございました。
by dan (2014-02-11 14:00) 

みかん

こんばんは^^
一緒に食事に行くことになって
楽しい時間を過ごした2人。
別れ際に涙した草子さん
翌日の朝の散歩に来るかな?って
思いました。
続き 読みたいです♪
by みかん (2014-02-11 21:56) 

dan

若いみかんさんが読んで下さって嬉しいです。
まして続き読みたいなんて感激です。
シニアの落ち着いたこれからを書きたいと
思っています。
有難うございました。
by dan (2014-02-11 22:24) 

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