平成シニア物語  春隣 父と娘 [平成シニア物語]

 車は桜並木を快適に走る。この坂を登り切った所に草子の父のいる老人
施設「あけぼの園」がある。
 草子は一年前までは父と二人で生活していた。父は買い物に出かけたり
食事の準備や掃除など簡単な家事はよく手伝ってくれた。ただ八十歳を過
ぎた頃から時々弱音を吐くようになった。それでも草子に心配をかけまいと
父なりに頑張ってくれているのをみると、草子も元気が出て仕事に励むこと
が出来た。
「結婚してくれたらいいといつも思っていたけど、母さんが亡くなってみると、
草子がいてくれて本当によかったよ」父はよくそう言って小さく笑った。
「ねえそうでしょう。お父さんのことは私に任せて、安心していていいのよ」
草子も心からそう思っていた。
 経済的にも案ずることは何もなかった。父と娘、二人の穏やかな生活が
ずっと続くはずだった。ところが昨年の秋、父が転んで大腿骨を折った。
 入院して手術、リハビリと約四カ月の療養が続いた。その間草子は時間
の許す限り父に寄り添い励まし続けた。幸い父は車椅子を使いながらだが
自分で歩けるまでに回復してくれた。
 退院して我が家での生活にも少し慣れ、草子もこれなら何とか又二人で
やっていけると思い始めて一カ月が過ぎた頃、父が話があると言った。
 父は病院に居る時から医師や、担当のケアマネージャらと話し合い退院
後は施設に入ることを決めていた。
 もう草子のために何の手助けも出来ない。足手まといにはなりたくないの
一念だった。家からそう遠くない所に父の気に入った施設が見つかった。
 父がその決心を草子に話した時、彼女の知らぬ間にすべての手続きは
終っていて、後は草子の同意があればいいだけになっていた。
思ってもいなかったことだった。草子は静かに話す父の顔をじっと見つめた。
すぐには言葉が出なかった。
「すまないなあ、何の相談もせずに決めてしまって。」申し訳なさそうに父が
言った。父の気持ちは分かりすぎる程分かったけれど、草子には納得でき
なかった。
 「たった二人の家族じゃないの、父と娘だよ。私は今まで一度だってお父
さんのこと面倒みているなんて思ったことなかった。これからだって少し足
が不自由でも二人の生活が変わることなんてないんだから。この家にたっ
た一人ぼっちでいる私のこと、本当に考えてくれたの?」
 言いたいことはいっぱいあったが、草子はそれを言葉にすることは出来
なかった。ただ草子のことだけを思う父の深い愛情が胸底にずしんと響い
て溢れそうになる涙をぐっとこらえた。
「お父さんあまりに突然のことで私今混乱しているの。だって私はいつまで
もここでお父さんと一緒だと思っていたから。でも一生懸命私のことだけ考
えてくれたお父さんの気持を大切にしたいから。分かったわ。お父さんの
いう通りにしましょう。」父の顔がほっとゆるんだ。
「有難う。草子ならきっと分かってくれると思ったよ。なーに別れるったって
すぐ近くなんだから、会いたい時はいつでも会えるんだよ。」自分に言いき
かせるような父の口調だった。
 こうして昨年桜が咲き始めた頃父は「あけぼの園」に移った。
 一人になった草子は初めの頃何度も、朝「お早う」と言いかけて苦笑した。
残業で遅く帰っても灯りのついていない家、最初の頃はペットで涙にくれた。
寂しくてどうしょうもなく、車に飛び乗り父のもとへ行ったこともあった。
 父はいつも笑顔で草子を迎えてくれた。同じ想いの父は自分がここで、ど
んなに安らかな日々を過ごしているかを語り草子を諭した。
 父が元気で明るく毎日を送っていてくれると思うと草子も安心し、いつしか
一年が過ぎた。
 その間草子は圭吾という素敵な男性に巡り会った。彼女の前に今までと
は違う新しい別の道が開けたのだ。

 「あけぼの荘」はクリーム色の外壁がモダンな二階建で、敷地が広く手入
れの行き届いた園庭に四季の花々が途切れることはなかった。
入居者は二十人あまり、職員の手を借りながらだが自分で生活できる人た
ちで、明るい雰囲気がただよっている。
 父の個室は十畳くらいでペットとソファがあり、隣に小さなキッチンとトイレ
がある。草子は毎週土曜か日曜こはこにきてたっぷり一日を父と過ごす。
 父は休日くらい自分のための休養に使いなさいと言いながらも、草子が
来るのを心待ちしていることは、その笑顔が教えてくれる。
 玄関に車椅子の父がいた。「今日はいい天気だなあ、もう来る頃だと今
来たところだよ」「お父さん元気そうね」言いながら草子は車椅子を押して
父の部屋に入った。持ってきた赤と黄色のチューリップを出窓にかざると
「お父さん春でしょう。今日は外に出かけましょうよ。」と笑いかけた。
 八十三歳の父の顔がパット明るくなった一瞬を草子は見逃さなかった。
頑張っていても、この家から外に出ることのない父の毎日を思って草子は
少し胸が痛んだ。
 二人はいつものようにこの一週間の出来事を話合う、父もここにきてから
又始めたハーモニカが少しは上達したが、年のせいか中々息が続かなくて
と笑った。草子も会社でのこと、そうそうこの頃では圭吾のことも話すように
なっていた。思い切って二人で汽車の旅をした話をした時は、父は本当に
嬉しそうに、うんうんと聞いてくれた。その様子を見て草子もほっとした。
 午後からは外に出た。今まさに春爛満、車の窓を少し開ければはいって
くる風も心地いい。草子はすぐに父の好きな演歌を小さく流した。
 四、五十分も走ると郊外にある母の眠るお寺に着いた。月命日には必ず
草子がお参りするので、花もきれいに供えられている。
 父がゆっくりと母の墓前に立った。じっと手を合わせている姿を見て、草
子はやっと気が付いた。父が母の大好きだった濃い茶のジャケットを着てい
ることに。
 胸がジーンとなった。もう何十年も前に父と母が二人で撮った写真。その
時の母の弾んだ声が甦って来た。「草子、馬子にも衣装、ってこのことよね。
見てお父さんのカッコイイこと。わたし...」後は言わなかったが草子は思った
この年になっても二人は仲のいい夫婦、その娘の私は幸せ者だ。そしてふ
と自分もいつかそうなりたいと。
「お母さんお父さんていつまでもカッコイイよね。」草子も長いこと手を合わ
せていた。
 日が傾きかけた頃あちこちで花を見て少し疲れた二人はわが家に帰った。
昨日から草子が心をこめて作った、父の好物が並ぶ食卓で、久し振りに親
子二人の楽しいくつろいだ夕食だった。「おいしいね、おいしい。」そんなに
食べられないのに父は嬉しそうだった。
 「有難う草子、今日は本当に楽しかったよ。思いがけず家で二人でご飯た
べられて、ああまたひとつ母さんに冥途の土産話が増えたよ。」
 草子はこんな父の顔を、いつまでも見ていられるように、これからも時間
の許す限り父と一緒に過ごそうと思った。
 春の宵のやさしい風が、二人の窓に桜の花びらをそっと散らしていった。


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木瓜

春隣 Webで見つけた俳句です

どこか 似ているから ?


老いてなほ夢ふくらめり春隣  永岡セツ

紅少し濃く引くことに春隣  稲畑汀子

厄介な方へ歩む子春隣  中村房枝

春隣君が隣に居ればなほ  稲畑廣太郎
by 木瓜 (2014-03-11 10:58) 

みかん

草子さんのお話を読んで 
とても優しい気持ちになれました^^
娘への想い 父への想い
痛いくらいに伝わってきますね✿
by みかん (2014-03-11 14:40) 

dan

木瓜さん
ありがとうございます。
春隣は何となく良いことがありそう....と私の解釈で
タイトルにしました。春がそこまで来ている感じです。
by dan (2014-03-11 19:57) 

dan

みかんさん
有難うございます。父娘がいい関係でなければ
草子が前に進めないと思って。次の話へのステップ
です。
by dan (2014-03-11 20:04) 

リンさん

いい話ですね。
草子さんには幸せになってほしいな。心から思います。
なんていい娘なんでしょう。
私、自分の親にこんな風に出来るかな…と考えてしまいました。
ふたり暮らしが長かったから、余計に互いを思いあっているんですね。
by リンさん (2014-03-13 18:37) 

dan

有難うございます。親も子もこうありたいという
私の願望でしょうか。
お互いを思いやって生きたいと。
現実はなかなかそうはいかないのて厳しいですね。
by dan (2014-03-13 22:39) 

ごんべ

地震はどうでした?
なんともありませんでしたか?

by ごんべ (2014-03-14 23:11) 

あかね

この前の小説の、圭吾さんと恋愛をはじめたのかな、という感じだった草子さんですね。
やっぱりこの方は優しくて、それだけに器用ではなくて、恋愛もゆっくり進めるタイプなのでしょうね。

私の母も一昨年に入退院を繰り返し、退院してからは薬のせいで幻覚を見たりして、結果的には介護つきマンションに入りました。老齢の親、人ごとではありません。

そうそう、ごんべさんも書いておられますが、あの地震、danさんのお住まいだと近くでは? 大丈夫でしたか?
by あかね (2014-03-16 00:41) 

dan

有難うございます。お陰さまで地震は大丈夫でした。

 あかねさんもお母様のこと気がかりでしょう。
 今の世の中みんな色々なもの背負っていると私は
思っています。草子には幸せになってもらいたいのでが。
by dan (2014-03-16 11:45) 

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