平成シニア物語  春隣  最終章 [平成シニア物語]

 その日時間の許す限り草子は待った。朝公園に圭吾が来なかったことは
今まで一度もなかった。
 草子は昼休みを待ちかねて圭吾に電話した。呼び出し音が鳴るばかりで
応答がない。昨日の朝は変わり無かったのにどうしたのだろう。草子の心配
はどんどん大きくなって悪いことばかりが浮かんでくる。
 仕事が終わると草子の足は真っ直ぐ圭吾の家に向かっていた。行っていい
のかどうか考える余裕はなかった。ただ圭吾の様子が知りたい一心だった。
 チャイムを押した。初めて訪ねて来た圭吾の家は森閑として人のいる気配
がない。どうしょう、考え込んでいると
「柴田さんのお知り合いですか。」
と隣の家の庭から女性の声がした。
「はい。柴田さんお留守でしょうか。」
女性はちょっと考えてから
「実は昨夜体調を悪くなさって今入院しておられます。」
と言った。草子は心臓が止まるほど驚いた。
「どんなご様子なのでしょう。」
「詳しいことは分かりませんが、胸を打ったとかでご自分で救急車を呼ばれ
たようだから、大事には至らないと思いますよ。」
親切な隣人はそう言って、圭吾が市民病院に入院したことを教えてくれた。
 家まで来てよかった。草子は丁寧に女性にお礼を言うと、居ても立っても
いられず、その足で病院に向かった。
 今まで体調が悪い話など圭吾から一度も聞いたことはなかったのに。
隣人の言葉に一安心しつつも、圭吾の様子を自分の目で確かめるまでは
落ち着かなかった。
 ナースセンターで聞いた病室のドアを開けると、二人部屋の一方には誰も
いなくて、奥のベットに圭吾が眠っていた。その顔を見た途端、草子はもう
涙が止まらなかった。「よかった、本当によかった。」
 そっと椅子に座って圭吾を見つめる。顔色も良いし寝息も普通で病人には
見えない。早く病院に来たのが良かったのだろう。
 食事の時間になってやっと圭吾が目を覚ました。草子を見つけると驚いて
起き上がろうとする。草子は目で制して「じっとしていて下さい。」とやさしく
言って言葉を続けた。
「様子は聞いてきました。脚立から落ちて胸を打って肋骨に二本もひびが
はいったそうですね。」ここで草子はくっくっと小さく笑った。「ごめんなさい。
でも大怪我にならなくてよかった。私柴田さんておちついた方だと思っていた
から。今朝公園に見えなかったから本当に心配したのです。最悪のことまで
考えて、仕事もしないで一日おろおろしていました。お宅に伺ってお隣の方
から事情をきいて、やっと一息つきました。でも柴田さんのお顔を見るまでは
と、つい後先も考えずにここまで来てしまいました。ご迷惑ではなかったです
か。」草子はほっと一息ついて安堵の笑顔で圭吾の顔をのぞきこんだ。
 圭吾は動く草子の口元をじっと見ていた。胸がじんと熱くなって不覚にも涙
がこぼれそうになって横を向いた。草子の一途なおもいがじーと胸に染みた。
「迷惑だなんて。」圭吾の声は上ずっていた。まさか草子が病院へきてくれる
なんて思ってもみなかった。
 昨夜圭吾は古い本を探しに納戸へ入った。何冊かの本を抱えて脚立から
下りる時足を滑らせて転げ落ち、したたかに胸を打った。一瞬呼吸が止まる
ほどの痛みがあり、その後息をする度に胸が痛んだ。少し大げさかと思いつ
つも自分で救急車を頼んだ。その時飛び出してきた隣人に事情を話した。
 病院ではレントゲンなど検査の結果、内臓に損傷がないことが分かり十日
ほどの入院で済みそうだった。ちらっと草子に連絡しようかとも思ったが思い
留まった。
「どうしてすぐ知らせてくれなかったのです?すぐ分かることなのに。」
「心配かけるから.....」
「何も知らないほうが心配です。」
「悪かったよごめん。さっき君の顔見た時本当に驚いた。いや嬉しかった、
夢をみているのかと思った。」二人の話はいつまでも続いた。
 この日面会時間が終わっても草子はしばらく圭吾の側にいた。

 圭吾が退院する日まで、草子は毎日やって来た。必要な買い物をしてきた
り、食事や、着替えを手伝ったり、ごく自然な形で洗濯もせっせとしてきた。
 何くれとなく圭吾の世話をしていると、いつもより彼を身近に感じて草子は
幸せな気持ちになった。
 圭吾も今回のことは子供たちにも知らせなかったので、草子以外は訪ねて
来る人もなく、仕事が終わると飛んで来る草子を心待ちしていた。甘えては
いけないと思いつつ、気持ちのどこかで甘えたがっている自分に、圭吾は
とっくに気が付いていた。

 十日もすると圭吾はもうすっかり元気になって、退院が決まった。
 その日は草子が車で来てくれるという。圭吾は素直にその好意を受け入
れた。
「おめでとうございます。本当によかったですね。」草子は笑顔で言った。
「有難う、草子さんには本当にお世話になりました。助かりました。このお礼
はどうしたらいいのかなあ。」
 車が圭吾の家に着くと草子は手際よく、それほど多くはない荷物を玄関ま
で運んで言った。
「柴田さん、朝のウォーキングはまだ無理だから、これでしばらく会えないん
てすね。」
 草子はこのまま帰るつもりのようだ。上がって行けといっても、多分彼女は
そうしないだろうと圭吾は思った。
「そうだね。でも今回のお礼はきちっとしたいから、一度ゆっくり遊びに来て
下さい。また連絡するからね。本当に有難う。」
「お礼なんていいんです。私は自分のしたいようにしただけだから。」
 やさしく圭吾を見つめる草子がそこにいた。
 その時圭吾は感謝の気持ちと、草子へのあふれる思いを抑えることが出
来なかった。圭吾は眼の前の草子をそっと抱きしめた。
 驚いた草子は一瞬体を引き離そうとしたが、圭吾は渾身の力をこめてもう
一度草子を強く抱きしめた。
 その腕の中で草子は高鳴る自分の心臓の音を聞いた。顔がほてり全身の
力が抜けて行くような感覚の中で、胸の底からこみあげてくる圭吾への切な
る想いが、体いっぱいに広がっていくのを感じていた。
 草子は静かにこぼれる涙の中にいた。

 圭吾が元気になって二人はまたいつものようにウォーキングを楽しむよう
になった。並んで歩く二人の様子は以前と変わらなかったが、圭吾の入院を
経てお互いを思う気持ちはずっと深くなっていた。
 圭吾は一つの決意をしていた。機が熟して、いつか草子が承知してくれる
なら結婚しよう。
 例えそれが一年先でも二年でも、生ある限りその日を静かに待とうと。
 公園の桜はいつしか葉桜になっていた。
 「お早うございます。」草子の元気な笑顔が見えた。
 「お早う。」大きな声で応えながら圭吾は高く高く手を振った。
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みかん

入院がきっかけで更にお互いの気持ちが
近づいたんですね。
2人はめでたく結婚しましたとさ っていうので
終らないところがいいですね^^
あぁ いいお話を読めて幸せな気分です♪

by みかん (2014-03-27 20:30) 

プラトニックラブですね

不満の残る最終章で残念です

わたしが 草子だったら 会社を休んで すぐに
駆けつけていました

独身を通した女性は こんなものでしょうか?

退院した男やもめを 玄関先まで送って帰る?
私だったら せめて 出来合いのお弁当でも上がって
食べるくらいには 二人とも心を許したはずです

年老いての結婚は 難しいとおもう 同居するにしても
しがらみのない関係を維持すべきだろうと考えました

ついつい 物語に入り込みすぎました ごめんなさい
by プラトニックラブですね (2014-03-28 00:22) 

かよ湖

結婚で終わるのかと思いきや、心の距離は縮まっても以前と変わらない距離感がdanさんらしくて、よかったです。
来年の桜は、どんな二人で見るのだろう?
by かよ湖 (2014-03-28 01:21) 

リンさん

いいですね。
ふたりの仲が少しずつ進展して、結婚を考えるまでに至るんですね。
たぶん簡単なことではないと思います。
家族の反対に遭うかも。
だからこそ焦らずに愛を育んで行くふたりは、とても好感がもてます。
by リンさん (2014-03-28 17:19) 

dan

みかんさん
シニアには若い二人の恋とは違い突っ走れない諸々の事情があると思います。
でも少し子供っぽかったかなあとも。
若いみかんさんがいいお話思って下さって嬉しい。
有難うございました。
by dan (2014-03-28 18:44) 

dan

guestさん
ご期待を裏切って申し訳ありません。
おっしゃる通りいい年をした男女ですものね。
でも私としてはこれが勢いっぱい。頑張ったつもりなのです。
実は私プラトニックラブ派なんです。ほほほほ。
貴重なご意見有難うございました。
by dan (2014-03-28 18:52) 

dan

かよ湖さん
来年の桜はどんな二人で見るのだろう?
このフレーズ気にいりました。
ああこんな余韻のある終わり方にしたかったです。
でもdanらしくてよかったと言って下さって嬉しいです。
有難うございました。
by dan (2014-03-28 18:59) 

dan

リンさん
シニアの結婚は難しいですね。
二人の気持だけでは中々成就しません。
その辺りをちゃんと読んで下さって嬉しいです。
時間をかけてもこの二人には幸せになって欲しいです。
有難うございました。
by dan (2014-03-28 19:06) 

あかね

この年頃の男女ですものね。
どっちかが病気になって、どっちかが気遣って、それで距離が縮まるなんてこと、リアリティがあっていいですね。

たしか桑田佳祐さんも、そのころは好きだったひとの由子さんが病気のときに通いつめて落としたとかいう話を聞いたことがあります。

この年頃のふたりだったら、無理に結婚しなくても、お互いが大切なパートナーっていうのもいいかもしれませんね。
by あかね (2014-04-06 18:36) 

dan

病気になるって月並みだなあと思いつつ書きました。
私もパートナー、茶のみ友達が、この年頃の二人には一番ふさわしい気がしています。
でも少しは恋しく思って欲しい。
もうひとつ亡くなった妻のことは忘れないで欲しい。
私って単純でしょう。
いつも読んで頂いて嬉しいです。
有難うございました。
by dan (2014-04-06 23:10) 

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