昭和初恋物語  最後の手紙 [昭和初恋物語]

 今夜初めて虫の声を聞いたような気がします。いつの間にか秋なのですね。
私さっきまで谷口さんと一緒でした。彼はいつも優しくて男らしくて、私本当に
信頼していました。
 千春、谷口さんと結婚するって本当ですか。私にはどうしても信じられません。
私は谷口さんと付き合い始めたことを、誰よりも先に千春に話したし千春も
ずっと応援していてくれたのに。
 二年間の交際で、私ようやく谷口さんを愛しているという自信も出来て、彼
となら結婚してもいい、いやしたいと思うようになりました。
 その気持を今夜谷口さんに告げるつもりでした。そんな私の感情に気がつ
いたのでしょう。谷口さんの方から先に
「僕ももうそろそろ結婚しょうと決めた人がいる。」
と切り出されました。
 その時、私は胸が苦しくなるほど嬉しかったのです。彼の結婚相手が自分
だと確信していたから。喜びを抑えて谷口さんの言葉を待つ私に
「芳井さん、今まで楽しかったよ。本当に有難う。僕はこれからも君さえよけれ
ば友人として仲良くやって行きたいんだ。」
 私は耳を疑いました。今度は驚きで胸が苦しくなりました。
 結婚相手は私ではない。どうして、何故、私は全身の力を振り絞って聞きま
した。
「谷口さんは私ではない誰かと結婚されるつもりなのですか・」 
 一瞬彼は目を伏せて大きな溜息をひとつつきました。
「ごめん芳井さん、僕は宮田千春と結婚するつもりです。彼女も快く受けてく
れました。」
と苦しそうな表情で言いました。
 千春、その時の私を想像できますか。一瞬何がおきたのか私自身容易に
理解することは出来ませんでした。谷口さんの結婚相手が、こともあろうに
千春だなんて.....。
 言葉もなくこれ以上谷口さんと一緒にいるのは惨めで辛すぎた。そこに立
っていられない程動揺してしまった自分が哀れでならなかったのです。
 どのようにしてその場を離れたのかさえ思い出せません。
 千春、私本当は今夜こんな手紙を書きたくはなかった。でも少し落ち着い
て考えてみると、どれほど辛く悲しいことでも、それでも私は質したい。
千春の口から本当のことを聞きたい。
 今夜は一晩中、虫の声を聞き続けることになるでしょう。

  千春へ                                五月


 五月許して下さい。この返事を書きながら涙が止まりません。
私は何度も何度も祐司さんのことを、五月に話そうと思いました。
 私本当は五月より先に祐司さんと付き合っていたのです。五月に彼のこ
とが好きだと告白された時、どうしても自分のことが言えなかった。あの時
素直に話していれば....今更言っても仕方ありません。
 私は祐司さんを責めました。私のことが好きなら五月と付き合うのはやめ
て欲しいと。
「大丈夫、芳井君は友だち以上ではないのだから。」
祐司さんはそう言い切りました。それでも一度はそんな彼が信じられなくな
り、別れたいと言ったこともありました。すると祐司さんは
「僕が愛しているのは千春だけだ。信じてほしい。」
と私をしっかりと抱きしめてくれました。
 その時私より美しくて賢い五月、そんな五月より私を愛しているという祐司
さんを信じようと決めたのです。
 五月ごめん。私言い訳はしません。ただひとつ聞きたいことがあります。
五月は優しい言葉、きれいな笑顔の外に祐司さんが望んでいたものすべて
を知っていましたか。
 ただ愛して欲しい、愛されたい、五月はそう思い続けていただけなのでは
ないですか。五月自身が心底彼のことを愛していたと言い切れますか。
 私は彼の望んでいたものすべてをあげたつもりです。そして私は彼の心以
外何ひとつ望まなかった。自分のことなんか考えなかった。ただ一途に彼の
ことを愛し続けました。祐司さんの気持が、どんなに五月に近付いても目を
つぶって彼を信じました。デートなどしなくても平気だった。自分の全身全霊
をこめて彼を愛しているという自信だけはずっと五月に負けなかったつもり
です。
 私が祐司さんと結婚します。
ただ残念なのは、これで中学時代からの親友五月と私の友情も終ってしま
うということです。そして祐司さんが望んだという彼と五月の友情も.....。
 私たちが結婚した後も三人でいられるなんて、私はそれ程出来た人間では
ありません。
 さようなら 五月。
 私も一晩中虫の声を聞くことになるのでしょう。

 五月へ                                  千春

nice!(5)  コメント(6) 

nice! 5

コメント 6

リンさん

今までにない形の小説ですね。
読みやすく、とても面白かったです。

切ないですね。
私は五月さんに同情します。
谷口さんは五月さんの気持ちを知っていながら「友達でいましょう」なんて、ずるいですよね。
このふたりの友情が終わってしまうのは、何だかもったいない。

お互いに「一晩中虫の声を聞く」と締めくくっているのが、すごくいいですね。
by リンさん (2014-10-31 19:56) 

木瓜

ずいぶんと久しぶりにダンさんのブログをお尋ねしました リンさんもおっしゃっていますが 何事かありましたか? 
詳しいことは解りませんが プラトニック・ラブ?がダンさんの小説に貫かれていたこと 私にはそれがもどかしかった
「五月は優しい言葉、きれいな笑顔の外に祐司さんが望んでいたものすべて  を知っていましたか」
男がそれの同意を求めるには それなりの決心があると思います 千春さんはそれを言わせる魅力があったのでしょう 

「彼の望んでいたものすべてをあげたつもりです。そして私は彼の心以 外何ひとつ望まなかった」 ?

機会があったら 掘り下げて書いてほしいと思います


by 木瓜 (2014-11-01 10:41) 

dan

リンさん
有難うございます。
思いつきでこういう形で書いてみました。平凡で面白味はないなあ。と落ち込んでいたので尊敬するリンさんのコメントは嬉しいです。
二人の友情については私もちょっと考えました。
by dan (2014-11-01 18:29) 

みかん

谷口さん ずるい‥
読み終えた直後の感情です。
女性二人は30歳くらいの設定で読ませてもらいましたが
谷口さんは芳井君は友だち以上ではないって言ってるところがずるいです。
あぁ ずるい(・へ・)
ほんとにすみません こんなコメントで(^_^;)
でも書かずにいられなかったんです~
by みかん (2014-11-01 21:50) 

dan

木瓜さん
本当にお久しぶりです。私は別に変わったことはありません。木瓜さんのブログ春頃からずっとアップされて
なかったので、この所お伺いしていませんでした。
また書かれているようで安心しました。是非訪問したい
と思っています。
今回のコメント嬉しいです。
私は今もプラトニックラブ路線を踏襲しているつもりです。ご指摘のフレーズ「望んでいたものすべてあげた」
ここは書きながら「誤解」されるかも....とふと思いました。そしてもしそういうふうに読まれてもいいか....と
私の小さな前進です。
本当に有難うございました。
by dan (2014-11-01 22:37) 

dan

みかんさん
いつも有難うございます。
若いみかんさんのコメントは参考になります。
谷口さんのこと怒ってくれてアリガト。
それからこれは昭和の話なので彼女たちの
年齢は二十二、三才の設定です。こんな話も
現代ではないかもしれませんね。
by dan (2014-11-01 22:51) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。