平成シニア物語  水仙  1 [平成シニア物語]

 「元気ですか」
時候の挨拶もなく始まるその手紙には、亜紀が彼らを案じていたように、康も
亜紀の十五年から目を離したことはなかったこと。
輝美の結婚式だけは知らせてやりたいと思ったが、輝美が頑として反対した
こと。
 輝美も今は子供の親となった。自分は決して母を許せず会いたくもないが
お父さんが会うのは止めない。退職して暇になったのだから二人で旅にでも
出かけたら.....と言ってくれたこと。
など康が迷った末にこの手紙を出す決意をした理由が書かれていた。
亜紀は涙で手紙の文字が見えなかった。
 会いたい直ぐにでも、と思うその裏で我儘勝手をしてきた自分にその資格
はないと考える冷静な自分がいた。康に対しては嫌な思いなど一つもない。
今となってはただ懐かしい人だった。会って今までの自分の行為を謝るだけ
でいい....そう思った。
 亜紀は康の優しさに賭けた。今会いたいと言ってくれるその言葉を信じよう
と思った。
 心をこめて会いたいと返信した。直ぐに康が場所と日時を知らせて来た。
最後に温泉でのんびり美味しいものでも食べましょう。と小さく書いてあった。

 冬の旅は寂しい。でも今日は何だか暖かい。見知らぬ街の小さい駅に下り
立って亜紀は思わず呟いた。
 この駅で下りたのは手を取ってゆっくり歩く親子らしい二人と亜紀だけ。
ひっそりした駅前通りを真っ直ぐ歩いて、二つ目の角を曲がると康のメモに
ある「美よし」という旅館はすぐに分かった。
 看板がなければ旅館と気がつかない位の二階家で玄関の格子戸を開け
ると思ったより広い板間があり、しっかり拭きこまれた床は光っている。
「はーい」
亜紀が声をかける前に、藍染めの着物を着た上品な女性が出て来て
「いらっしゃいませ。若山様ですね。」
とにこやかに迎えた。「はい」亜紀は応えてもう一度その女性を見た。
亜紀と同い年くらいだ、女将た゜ろうか。
「どうぞご案内いたします」
と亜紀の前に立った。
 廊下伝いの中庭に夕灯りが落ちて敷石が光っている。その一隅に寄り添
うように水仙の白い花とすくっとたった緑の葉が見えた。
「水仙きれいですね私の好きな花です。」
つい言ってしまった亜紀に
「そうですね」
大きく頷いて女性が応えた。
 小さいけれど落ち着いたこの宿を亜紀はいかにも康らしいと思った。
「お着きになりました。」
女性が声をかけた。部屋は二間続きの和室で庭に面した広縁のソファに
康が座っていた。十五年目に見る康の顔だった。彼はゆっくり立ち上がると
「ここすぐに分かっただろう。」
と大きな声で言って手を上げた。その声を亜紀は懐かしいと思った。
「ええ、早かったのですね。」
亜紀は康に会ったらもう少し気持ちが高ぶって、取り乱しそうで心配して
いたのだが、案外普通でいられたのが不思議だった。
「すぐお食事になさいますか。」
女性はそう言った。他に宿泊者の気配もない。
「少しゆっくりしたいから後でいいよ。」
女性は小さく会釈をして出ていった。
 亜紀はソファにかけずに座卓の前に座ると大きく一つ息を吐いた。
「元気そうだなあ、来てくれて有難う。随分ひさしぶりだなあ。」
康は機嫌が好さそうで優しい笑顔で亜紀を見ている。その顔は昔と変わら
ないことが又亜紀を苦しくさせた。
「静かでいいお宿ですね。さっきの方が女将さんですの。」
関係のないことを言いつつ、亜紀は今更ながらに重苦しく沈んでいく自分
の気持を持て余していた。

 二人は若き日の二十年間を共に過ごした元夫婦だった。
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リンさん

亜紀さんは何をしたのしょう。
そして康さんの理由って?
先がとても気になります。
早く書いて~^^

by リンさん (2015-02-11 17:02) 

dan

とうしょう。あまり期待しないで下さい。
いつものようにあっ! ということにはなりません。
有難うございます。
公募ガイド次街に出た時に絶対買います。
早く読みたいのに寒くて....家に籠っています。
by dan (2015-02-11 19:23) 

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