春子さんの茶の間 [短編]

 激しい雨音が気になって眠れずにいると「ぽっぽ」古い鳩時計が一時をを告げた。
年のわりにはよく眠れるたちで、いままで寝付きが悪いと思ったこともない。
それなのにこの頃そうもいかなくなった。
 六十五歳を過ぎたころから友たちが眠れない話をするのを、よく聞くようになった。
そんな時春子さんは
「寝ようと思ったら三分で眠れるし眠ったら最後、朝まで目が覚めない」
と言って皆に呆れられたものだ。
 あれから何年過ぎたのだろう。

 目が覚めたらカーテンの隙間から明るい早春の陽が差し込んでいて、嬉しくなった
春子さんは飛び起きた。
「あらら朝ドラ終わってるよ」
 春子さんの日課は決まっていて、特に食事は規則正しく時間も決めてある。
 一人暮らしの気楽さで、のんべんだらりの生活はしたくない。
 それでも寒い冬は特別で、わりにのんびりラジオを聞いていてぎりぎり「えいっ」と
飛び起きる。

 朝食は茶の間で朝ドラを見ながら八時、昼食はニュースをみながら十二時、夕食は
ローカルニュースを見ながら六時。
 季節によって多少変わるけれど原則これを貫いている
 朝食の後片づけをしたら、一時間は新聞を読む。
経済面はざっと項目を見るだけで一面と三面記事は大見出しを見て関心のある記事には
さっと目を通す。
念入りに読むのは文化文芸とスポーツ。これでも結構頭の体操にはなる。
 本を読むのも心の通い合う友と長電話するのも、春子さんの好きなこの茶の間だ。

家事は最低限、必要不可欠以外は無理をしないと決めてある。元気が一番。

 若い時は友と連れ立って遊びに趣味に、たまにはカルチャースクールによく出かけた。
今はそれぞれ事情があって、お出かけもままならない。

 夫の春夫さんとも、彼が定年退職してからは、思いついたら即旅に出たし、絵を見たり
コンサートにも出かけた。
 それぞれの趣味にお互い干渉はしないが理解して、協力を惜しまなかった。
 
 子供たちも自分たちの思うままに、頑張っていたので春子さんたちに何の気掛かりも
なくこういうのを悠々自適というのかもと思ったり。

 夫の春夫さんと二人で過ごした約十年余は今考えると本当に 素敵な日々だった。
 春子さんは人が感心するほどさっと子離れできたし、心の片隅に「自分が一番大切」
という信念のようなものを若い時から持っていた気がする。
 我儘と言われても、それを春夫さんも子供たちも容認してくれていた....と思っていた。
 そして本当に自分の思う通りの人生が送れたと満足していた。
春子さん自身も心の底から幸せで、嬉しいことだと秘かに自慢に思っていた。
 でもそれは春夫さんという理想の伴侶がいたからこそだと一番良く分かっているのは
春子さん自身のはずだ。

 しかし、春子さんがそのことに気がついたのは、最愛の春夫さんが遠い遠いところへ
旅立った後だった。

 「思い知った」というべきか。「傲慢だった」というべきか。涙ながらの反省ばかり。

 春子さんのすべての景色が無色になった。
 ただ悲しさだけが虚しさだけが、寂しさだけが朝から晩まで、春夏秋冬春子さんに
ついて来た。

 長い時が過ぎて行った。
 この頃になってやっと、今でもいつもそばにいる春夫さんと春子さんは茶の間で
涙なしで昔話がいっぱいできるようになった。
 喋っているのはいつも春子さん。
 昔と変わらず、にこにこ優しい眼差しでその様子を見つめている春夫さん。

 一足飛びに桜が咲いて春がきた。

 茶の間の飾り棚に寄り添って嬉しそうな笑顔の春夫さんと春子さんの写真。
「おはよう」
 セピア色のそれに向かって毎朝春子さんは大きな声でご挨拶をするのが朝一番の仕事。

 今日も春子さんの茶の間から素敵な一日が始まりますように。

 このまま元気でいたいなあ。春子さんの贅沢な願望である。


 

 
 
 

 
 
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