最後のメール「おやすみなさい またあしたね」 2
この冬一番の冷たい朝、昨日はひと時雪も舞った。
窓から見える白い水仙の清らかな花にHさんの姿が重なる。
彼女からの最後のメールを貰ってから二日間どうしても連絡が取れず心配していた。
こんなことは初めてだったし浅草寺へ行く詳しい約束も出来ていなかったから。
一人暮らしだったけどすぐ近くに次女のAさんと大学生のお孫さんが住んでいて、
毎日のように行き来していることは知っていた。
でもHさんはリビングに横たわり一人で旅立ってしまった。
私は警察署からの電話で事実を知った。私からのメールで色々分かったのだと。
今思うと私はこの時落ち着いていたと思う。
胸は早鐘を打つような動悸で今にも破裂しそうだったし、携帯を持つ手は震えていた。
多分血圧は200は超えていただろう。
それでも私は取り乱してはいけなかった。
話を聞いている間Hさんの愛しい笑顔が私を支え続けた。
涙は出なかった。
23時22分最後のメールをして間もなく亡くなったということが分かった。
原因は心臓病だった。そういえば心臓の薬は飲んでいた。
「こんなに元気なのに心臓のどこがどうなの」
何回かきいたことはあったけど
「よくわからない」
と呑気な答だった。
ここ何十年もの間会うと二人で東京の辺りを歩きまわった。
それでも一度も彼女が疲れたとか胸苦しいとか言ったことはない。
子供たちの前ではもういつもの私ではなかった。取り乱し放題。
娘が
「ママ今東京にいてよかったね。すぐにHさんに会いに行こう。きっと待っているよ」
こう言われたとき初めて涙が溢れて止まらなくなった。
Hさんの長女Nさんからも連絡を頂き一人で大丈夫という私に、しっかり娘がついて来た。
駅まで車で出迎えてくれたNさんとは中学生の時以来の再会である。
Hさんは私が最後に逢った時そのままの美しい顔で眠っていた。
少し微笑んでいるような安らかな、今にも起き上がって「来てくれたのね」と言いそうな。
私は顔を撫で肩に腕に胸にもそっと手をおいた。自慢の黒髪にも触れた。
どこもかも冷たくて、あの駅での最後の手のぬくもりが突然蘇り涙がながれた。
「安らかにおやすみなさい。娘さんやお孫さんのことは心配いらないよ。貴女の自慢の人たちでしょう。旦那様きっと待っているよ。最後に私のことも忘れないでね。」
私はHさんに最後の手紙を書いた。
十五歳で逢ってからもう一人の友と仲良し三人の高校、娘時代、子育て中の何年間か会えなかった
頃のこと。
子供たちが成人してからの三人が毎年旅をしたこと。
そして昨年十月Hさんが里帰りした時十年ぶり三人がにホテルで泊まり温泉に入り楽しい
一日を過ごしたこと。
Hさんにというより最愛の母を亡くした二人の娘さんに、いっぱいいっぱいお母さんのことを
教えてあげたかった。
手紙はお母さんに書いたけれど二人に読んで欲しいと。そして最後にはお母さんと一緒にと。
私は我が家に帰った翌日もう一人の親友に逢った。
「また東京へ行って来るよ」
「Hさんに逢えるね、よろしくね」年末の電話で。
私は久しぶりとニコニコ顔の友にこんな辛い悲しいことを告げなければ、それも突然に。
ずっとずっと考えていた通り、
「大切な悲しい話をするよ」
彼女の肩をしっかり抱えて一息にМさんが亡くなったことを話した。
その時の彼女の表情は決して忘れない。優しい優しいこの人がどんなに驚いただろう。
暫らく言葉はなかった。そのあとしっかり二時間余り三人の思い出話は尽きなかった。
悲しい一月ももう終わった。
毎晩電話をくれる娘に
「大丈夫、彼女でいっぱいだった頭の端の方にこの頃またパパが出てき始めたよ」
「それは良かった、ごちそうさま」
「二月になったから頑張るよ」
週に一回だけする息子へのメールに
「頑張らなくてえーよ。自然体が一番」と返信来た。
窓から見える白い水仙の清らかな花にHさんの姿が重なる。
彼女からの最後のメールを貰ってから二日間どうしても連絡が取れず心配していた。
こんなことは初めてだったし浅草寺へ行く詳しい約束も出来ていなかったから。
一人暮らしだったけどすぐ近くに次女のAさんと大学生のお孫さんが住んでいて、
毎日のように行き来していることは知っていた。
でもHさんはリビングに横たわり一人で旅立ってしまった。
私は警察署からの電話で事実を知った。私からのメールで色々分かったのだと。
今思うと私はこの時落ち着いていたと思う。
胸は早鐘を打つような動悸で今にも破裂しそうだったし、携帯を持つ手は震えていた。
多分血圧は200は超えていただろう。
それでも私は取り乱してはいけなかった。
話を聞いている間Hさんの愛しい笑顔が私を支え続けた。
涙は出なかった。
23時22分最後のメールをして間もなく亡くなったということが分かった。
原因は心臓病だった。そういえば心臓の薬は飲んでいた。
「こんなに元気なのに心臓のどこがどうなの」
何回かきいたことはあったけど
「よくわからない」
と呑気な答だった。
ここ何十年もの間会うと二人で東京の辺りを歩きまわった。
それでも一度も彼女が疲れたとか胸苦しいとか言ったことはない。
子供たちの前ではもういつもの私ではなかった。取り乱し放題。
娘が
「ママ今東京にいてよかったね。すぐにHさんに会いに行こう。きっと待っているよ」
こう言われたとき初めて涙が溢れて止まらなくなった。
Hさんの長女Nさんからも連絡を頂き一人で大丈夫という私に、しっかり娘がついて来た。
駅まで車で出迎えてくれたNさんとは中学生の時以来の再会である。
Hさんは私が最後に逢った時そのままの美しい顔で眠っていた。
少し微笑んでいるような安らかな、今にも起き上がって「来てくれたのね」と言いそうな。
私は顔を撫で肩に腕に胸にもそっと手をおいた。自慢の黒髪にも触れた。
どこもかも冷たくて、あの駅での最後の手のぬくもりが突然蘇り涙がながれた。
「安らかにおやすみなさい。娘さんやお孫さんのことは心配いらないよ。貴女の自慢の人たちでしょう。旦那様きっと待っているよ。最後に私のことも忘れないでね。」
私はHさんに最後の手紙を書いた。
十五歳で逢ってからもう一人の友と仲良し三人の高校、娘時代、子育て中の何年間か会えなかった
頃のこと。
子供たちが成人してからの三人が毎年旅をしたこと。
そして昨年十月Hさんが里帰りした時十年ぶり三人がにホテルで泊まり温泉に入り楽しい
一日を過ごしたこと。
Hさんにというより最愛の母を亡くした二人の娘さんに、いっぱいいっぱいお母さんのことを
教えてあげたかった。
手紙はお母さんに書いたけれど二人に読んで欲しいと。そして最後にはお母さんと一緒にと。
私は我が家に帰った翌日もう一人の親友に逢った。
「また東京へ行って来るよ」
「Hさんに逢えるね、よろしくね」年末の電話で。
私は久しぶりとニコニコ顔の友にこんな辛い悲しいことを告げなければ、それも突然に。
ずっとずっと考えていた通り、
「大切な悲しい話をするよ」
彼女の肩をしっかり抱えて一息にМさんが亡くなったことを話した。
その時の彼女の表情は決して忘れない。優しい優しいこの人がどんなに驚いただろう。
暫らく言葉はなかった。そのあとしっかり二時間余り三人の思い出話は尽きなかった。
悲しい一月ももう終わった。
毎晩電話をくれる娘に
「大丈夫、彼女でいっぱいだった頭の端の方にこの頃またパパが出てき始めたよ」
「それは良かった、ごちそうさま」
「二月になったから頑張るよ」
週に一回だけする息子へのメールに
「頑張らなくてえーよ。自然体が一番」と返信来た。
2019-02-02 12:32
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コメント(2)
悲しいですね。
しかも突然のお別れなんて、どれだけ辛いかお察しします。
息子さんと娘さん、優しいですね。
by リンさん (2019-02-02 20:37)
有難うございます。
今は静かに時が過ぎるのを待つしかありません。
by dan (2019-02-02 22:33)