卯月のこころ模様 [エッセイ]

 今年の桜はもう葉桜。
 卯月半ばだというのに目に飛び込んでくるのは、きらきらと若緑の輝き。
 我が家の゜庭も遅咲きの藪椿の一二輪が小さく赤く咲き残り、紫木蓮と花周防のほかは
初夏の感ありというところ。

 私の中で卯月は大切で嬉しい楽しい思い出がいっぱいつまっている季節なのだ。

 卯月の声を聞くとそわそわ、朝から晴れ渡り降り注ぐ太陽の光までが微笑みかけて
くれるような日は、思いははるかうん十年前に猛スピードで遡り、若かりし頃の自分を
みつけて満足だげと、我に返れば苦笑い。
 
 私のそばで勿論、彼もしっかり若返ってにこにこしている。

 今日は四月十一日。ふと閃いて確信にも似た想いで思い出のひとつを持ちだしてきた。
便箋の色も赤茶けて、何度も読み返した私の指紋と涙で薄汚れている彼との往復書簡

 少しドキドキしながら、そっと最後のページの日付を見る。
 「昭和三十五年四月十一日」私は大声を上げたい衝動にかられた。「やっぱり」

 「これがフィアンセとして貴方に贈る最後の手紙になるでしょう」
 心を込めて書いた私の万年筆の文字が、あの時の私の気持ちを鮮明に思いださせた。
 そこには離れ住んでいた結婚までの切ない三年の日々、いつも我儘で自分の思いを通し
続けた私を、優しく見守ってくれた彼への感謝と、結婚したらあなたが望むいいお嫁さんに
なりますと、可愛らしい?私の決意がしっかりと書かれている。

 三日後の彼からの返信には、こんな理想の家庭を作りたいという彼の三つの「信条」が
書いてあり、それは、若い二人で生きていくこれからの生活が容易でないことを、私に
知らしめるに十分な説得力があり、身の引き締まる思いがしたものだった。
 手紙の最後には私にたいする約束事が三つ、彼の優しさが溢れる言葉で綴られている。

 今日のこの手紙を読むことになった偶然を、私は彼からの贈り物だと信じている。

 そうそう「これから二人で生きていく歳月は長ければ長いぼといい」手紙に書いてあった
この言葉だけが唯一彼が果たしてくれなかった私との約束だ。

 彼が逝って十年余、時々取り出してみるこの手紙が、私に生きる元気をくれる唯一の
ものとさえ思えるのだ。

 卯月 うらうらと暖かで優しいのに、青い空をみているとふと胸が痛くなる。
 白山吹の花が、やさしい風にゆれている卯月の昼下がり、ひとりの私。
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