春子さんの茶の間 その8 [短編]

  今夜は十六夜の月が春子さんの茶の間から庭に出るとよく見える。
風が少しあり薄雲が流れて時折その姿がぼやけて見える。それもなかなか風情があっていい。
 
 春子さんは今日も住田夫人との電話のことを、花絵さんにどう告げればいいか朝から
家事をしながら考えていたのだけれど、まとまらぬまま夜になってしまった。
ありのままを言っても花絵さんが素直に受け取らないのでは.....とそんな気がして仕方がない。
それでもやっぱり事実をそのまま知らせるのが一番いいと思い至った。
何より彼が元気だったのが嬉しかったから万事OKだと。少し気が楽になった。

 いつもメールをする時間の十一時過ぎ春子さんは電話をした。
「もしもし私よ。少し遅いけど時間大丈夫?」
「いいよお風呂も入ったし後は寝るだけ」
二人とも気楽な一人暮らしだ。
 住田君元気だったよ生きていたよ。よかったね。一気に喋ると受話器の向こうで花絵さんが
ふっうーとに一息ついたように春子さんは感じた。

 春子さんは住田夫人との話をそのまま忠実に話した。
「嘘よ、私ついこの間まで電話していたもの。一か月も前から入院しているわけないわよ」
一番に元気だったことを喜ぶ言葉が聞けると思っていた春子さんがたじろぐ程の強い口調だった。

 長い付き合いの春子さんが知らなかった花絵さんの一面? だって二人の友情は半世紀物だよ。
一瞬のうちに春子さんは花絵さんと関わった少女時代、二十歳の頃、新婚の頃、子育ての頃、
子供たちが独立してからの、少しゆとりの出来た還暦の頃を思い出していた。
そのどの時にもこんなにきつい彼女の物言いは聞いた覚えがなかった。

 勿論二人は結婚してからは遠くに離れ住み会うこともままならなかったので、それほど親密に
付き合ったわけではなかったけれど、花絵さんのことが大好きだった春子さんは、だれよりも
彼女のことは理解していると自負していた。

 「恋をすると人格が変わる人がいる」いつか誰かに聞いたことがある。その時春子さんは
そんなはずはない。そんなのは本当の恋ではないと内心思った。
でも今考えると恋にもいろいろあるからなあ。幸せな恋ばかりではない。辛い恋や憎い恋、
汚い恋?や悲しい恋。もしかして人格変わるかも。

 花絵さんもその昔、もしかして住田君に失恋したのかしら。何も知らなかった春子さん。

 住田夫人は住田君が昔の友人と関わることを嫌がっている。きれいごとを言っても私には
わかる。携帯電話も持たせてない。電源は入っているのに応答はない。時々電話はしていた
のに突然音信普通になったのもおかしい。入院しているなんて信じない。ちゃんと面倒は見て
ているのだろうか。

「花絵さんよくわかったよ。どっちにしても彼が生きていることはわかったのだから、病気が
よくなったらまた連絡あるかもしれないよ。気長に待つことにしょうよ。良かったよかった。
今夜はお休みさい」

花絵さんが受話器の向こうでまだ何か言っていたけど春子さんは電話を切った。
 心が重く少し疲れを感じた。あの花絵さんがねえ。

 春子さんはただ誠実で、春子さんを信じてくれた春夫さんと恋をして、他のどんな恋も知らない。これはとても素敵な体験だったのではないかと、今更ながら懐かしい彼の好いとこばかり
思い出していた。

 少し日が過ぎて花絵さんの気持ちが落ち着いたら会いに行こう。
 そして今この年になっても恋する気持ちをなくさない純粋な花絵さんに、やっぱり貴女は素敵
だから私は花絵さんが大好き! と言ってあげよう。
 
 十六夜の月は今中天にあって今夜の二人のことどう思っているだろう。
 

 









 

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春子さんの茶の間 その7

  二日続きの雨が上がり秋の気配が深まった感じの午後、一通りの家事を終えソファに座って 春子さんは、ずっと気にかかっていた花絵さんの彼のことを、もう一度考えた。  あれから毎日メールしているけれど、二人ともこのことには触れないで来た。  兎に角様子が知りたい。春子さんは考えていた通り意を決して彼の家に電話をかけた。 呼び出し音が六回、留守かな?と思った時 「はい住田でございます」 きれいな声の人が出てきた。 「奥様でしょうか」  春子さんは何回も考えていた通り、今日の用件について丁寧に説明した。  自分が住田さんの高校の同期生であること、ずっと前にもお世話になってお礼状を差し上げた ことがあったこと。先だっての同期会に欠席されていたので、どうしたのかと心配する人を代表 して電話したこと。  最後は勝手に考えた理由だったので、少し後ろめたい気持ちもしたが、平常心を装って。 「はい有難うございます。私覚えています。その節はお世話になりました。ご心配かけて申し訳 ございません。」  住田さんは、前から痛めていた頸椎の病気が急速に悪くなり療養していたところ、一か月前に 家の中で転倒して、今度は大腿骨骨折で入院しているとのこと。    ああ生きていた。春子さんの率直な思いだった。年も年だから急に音信不通になるなんて最悪 のことも考えないではなかったから。  花絵さんの安堵した笑顔が浮かんだ。よかった。  住田夫人は「遠方からわざわざ電話を頂いて本当に嬉しい。主人もきっと喜ぶでしょう。」と 丁寧に挨拶されて、春子さんも本当に感じのいい良い奥様だと思った。  花絵さんから聞いていたのとはちょっと違う。  彼は奥様とは年がかなり離れていて、前からあまり仲がよくなかった。彼が定年になってからも奥様はまだ仕事にも出ていたので、体調を崩してからも十分に面倒は見て貰えなかった。 だから花絵さんは電話は随分気を使っていたそうだ。 花絵さんの中にきっと奥様に対する後ろめたさがあったのではなかろうか。  春子さんなら夫が昔の恋人と電話するくらい全然平気だと思う。ただこっそりやられるのは嫌。 そんな話を花絵さんにした時、彼女は信じられないという顔をした。  若い時ならいざ知らず、ここ老境に至って昔の恋人と昔話をするなんて素敵ではないか。    とにかく彼が生きていることだけは確認できた。 早く花絵さんに知らせて、彼女の喜ぶ様子が見たい。春子さんの野次馬心がむくむく沸いてきた。       
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春子さんの茶の間 その6 [短編]

  春子さんの思い出はふと家事から解放されたときなど、つるつると繋がって出てくる。
今日は朝、東の窓を開けた時今年初めての金木犀の香りがした。もう秋が来たのだ。

 それにしても花絵さんからの手紙は春子さんを驚かせたし、考えもさせられもした。
 
 手紙によると、花絵さんの高校時代の恋が卒業と同時に終わったと思い込んでいたのは
春子さんの独りよがりだったようで恋は続いていたのだ。
 でも彼が大学を卒業する少し前には花絵さんは結婚して東京に住んでいた。
 彼からのプロポーズはなかったのだろうか。どうして結婚しなかったのだろう。

それでも彼が仕事で上京した時など、二人は喫茶店や公園で逢瀬を楽しんでいたというのだ。
 これはもう恋というより大人の友情というものだと今だからこそ春子さんも妙に納得した。
 
 当時このことをもし春子さんが知っていたらどうだろう。
「結婚していながら昔の恋人に逢うなんて何ということ。頭冷やしなさい。」
もしかしてそんな花絵さんとは絶交だ、ときっと喚いたに違いない。そういう時代だった。
 
 親友だと思っていた花絵さんの、こんな大切なことも春子さんは知らなかったことになる。
そして長い長い年月が過ぎて今花絵さんが春子さんに、心配な相談があるとの手紙だ。
 
 この長い年月、春子さんは彼のことを全然知らなかったわけではない。
二年毎の高校の同期会に彼は必ず出て来たし、花絵さん、春子さん、高子さんの三人旅で京都に遊んだ時など、定年になっていた彼が車で奈良の方まで案内してくれたこともあった。
 そんな時春子さんは「持つべきものは美人の友だち」とか言いつつ高子さんと徳した気持ちに
なって喜んでいた。花絵さんはにこにこと助手席で笑っていたけど嬉しかったのかなあ。

 花絵さんが旦那様を亡くした三年前に、春子さんは「彼と時々電話しているの」と聞いたことがあった。
 それもいいかなあ、と少し羨ましく思ったことを覚えている。
それっきり春子さんは彼らの電話のことなど忘れてしまっていた。
 
 彼からの電話は一週間に二回くらい夜遅く携帯にかかって来ることが多かった。
時々は花絵さんからかけることもあったようだ。それが一か月前からぷっつりかかってこない。
心配になって花絵さんからかけても、まったくつながらない。
 もしかして亡くなったのでは.....と思うと心配でたまらないどうしたらいいのだろうか。

 毎日メールを交わしているのに、何も言いだせなかったのだと思うと複雑な心境の春子さん。

 手紙を読んで春子さんは花絵さんの彼に対する気持ちが初めて本当に分かったような気がした。
そして今彼がどういう状態なのか。花絵さんのために知りたいと思った。 
 手紙だけではではわからない。春子さんはすぐに花絵さんに電話した。そして今までのいきさつを聞き、出来るだけ力になりたいと約束した。

 
 



 
 


 

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春子さんの茶の間 その5 [短編]

  彼岸花も色褪せて本格的な秋が来た。
窓を開け放ち風を入れる時、つい鼻歌でも歌いたい気分の春子さんだ。
待ちに待った短い秋、懐かしい思い出がいっぱいの秋。
 昔ほど元気ではないけれど、この青い空を見ていると電車に乗りたいと思う。
と言っても今は「はいっ」と道連れになってくれる人もいない。友もみな老いた。
 二時ごろ郵便が来た。その字に見覚えがあってつい嬉しくなって封を切るのももどかしい。
親友の花絵さん。美人で人柄もよくて中学時代からの友である。
 性格そのままの優しいきれいな文字。二三日前にメールもしたのに手紙なんてどうしたの?

 花絵さんは恋多き人で普段は静かで、どちらかと言えば引っ込み思案なのに恋をすると
元気になるのだ。それも自分から好きになるというのはなくて、いつも声をかけられる側。
 だが彼女にとってはそれが当然と思っているようにも見える。

 中学時代のお相手は同級の優等生で勉強もスポーツも万能。背が高くてかっこいい少年だった。
しかし、この幼い恋は彼が卒業と同時に父の転勤でこの街を去ることになって終わった。
 駅まで見送りに行きたいと頼まれて春子さんも一緒に行った。
ご家族も一緒だったので、春子さんは恥ずかしくて、彼にペコリと頭をさげるのが精一杯だった
のに花絵さんは、花束なんか渡して笑顔で話していた。本当は寂しかったと思う。

 高校に入ると新しい同級生は中学の倍以上の人数になった。
夏休み前には花絵さんには複数の男子生徒から声がかかり、春子さんも相談されてやっぱり
勉強の出来そうなハンサムな彼に決めた。
 
 今でも春子さんは不思議な気がする時がある。
 春子さんは花絵さんと同い年なのに、恋というより男子に関心がなかった。
勿論声をかけられたこともなかったのだが。
 花絵さんが恋に浮かれるだけの人だったら、春子さんは決して親友にはならなかったし、
相談にも乗らなかったと思う。
 彼女は真面目で勉強もよくできた。春子さんにとっては理想で自慢の友だちだったのだ。

 高校時代の花絵さんは、今までのように彼のことをあまり話さなくなった。
そのことを春子さんも気にもしてなかったし、知りたいとも思わなかった。
 でもある時私たち仲良し三人組のひとり高子さんが言った。
「私昨日の日曜日花絵さんに誘われて白浜に行ったら、彼と彼の友だちがいて四人でボートに
乗ったのよ。びっくりした~」
「えええ!彼の友だちって同級生?大きなボートやね」
「いいえ知らない人よ、彼の友だちらしかったわ。私はその人とボートに乗ったんだから」
だったら花絵さんは彼と二人でボートに乗ったことになる。
 春子さんは腰が抜けるくらい驚いた。
 花絵さんはなんて大胆なのだろう。高校生なのに恋人と二人でボートにの乗るなんて。
ちゃんと高子さんも誘って内緒じゃないものね。
 もしかして二人は本当の恋をしているのかも。こういうことに疎い春子さんでもそう感じた。
そして春子さんではなく高子さんを誘った理由も、花絵さんの気持も手に取るようにわかった。
もはや真面目過ぎて理屈ばかり言い、恋心の分からない春子さんはお呼びでなかったのだ。
 色々あったこの恋も二人が高校卒業して、彼が県外の大学に行った時終ったと春子さんは
思っていた。

 春子さんたち三人組は地元で就職して、今までと変わりなく楽しい青春真っただ中にいた。


 






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