最後のメール「おやすみなさい またあしたね」 1 [エッセイ]

 私が唯一無二の親友Hさんから最後のメールを受け取って三週間が過ぎた。
 
 その間自分が何をしてどうなったか、今でも夢の国をさまよっているような頼りなさで
毎日の生活を普通にしているのが不思議な気がする。

 年末年始やゴールデンウイーク そして思いついたら子供たちのいる東京へ飛ぶ。
本音は十五歳からの友であるHさんに逢える、待っていてくれるそれが何よりの楽しみ
だったからだ。
 そして今回も毎日のメールや電話で「いつ来る?」「あと二日ね」「待ち遠しい」と。

 上京して四日目やっと十二月二十五日十一時半に会えた。私が風邪気味だと知って
「それなら私がそちらに行くよ」
 にこにこといつものHさん、改札口で待っている私。いつものように固く手を握って大笑い。
 色白で本当に綺麗な彼女とそうでなくても汚い上に、今回は帯状疱疹の跡が顔の右半分に
ああ私の顔。
 毎日メールで報告はしていたけれどきっと驚いたと思うのに
「あらもうほとんど分からないよ」
くどくど説明する私に笑顔が反って来る。あくまでも優しいHさんだ。


 デートコースは決まっているいつものお寿司屋さんで二人の好きな握りずし。
メールでは足りないあれやこれ話はいっぱいある。でも喋っているのは私だけ。
彼女は聞き役で相槌をうちつつたまにぼそりと一言。
 街を少し歩いてこんどは喫茶店ホットコーヒとモンブラン、これもいつも通り。

 それがあの日は恋の話になった。美しくて性格がよくて成績優秀なHさんがモテない
訳がない。中学高校と好きな人がいた。私はこの頃男子なんか眼中になかった。
恋など学生のするものではない、そんな人は不良だと思っていたのにHさんだけは許せた。

 珍しく彼女がよく喋った。優しい人だから「来るもの拒ばまず」だったのかなあ。
 中学の時のO君には後日談もあって初めて聞く私はまあ、とあんぐり。
 高校の時はN君М君二人いた。М君は古希の同窓会の時、隣の席にいた私がからかったら
「結婚したかった」とはっきり言った。彼とのことは私も少し覚えている。欠席していた
彼女に早速報告したら、ふふふと笑って「結婚なんて....」あっさり言った。

 ともかくこれらの話は、真剣な恋ではなくて彼女のなかではきっと青春の素敵な
思い出なのだろう。

恋多きМさんも大人になって結婚した素敵な旦那様と五十余年を添い遂げて、二年前に見送り
私と同じ一人暮らしになった。
 
 今度会う新年はいつものように上野公園をぶらぶらしてから浅草寺にお参りする約束をした。

 四時四十二分、駅の階段の上と改札口で二人は手を振って別れた。

 この時の別れが二人の永遠の別れになるなんて。

 いつでもМさんは私が死ぬ話をすると怒っていた。夫を亡くしてもうこの世に未練はないと
言った時も
「何言ってんのよ、旦那様の分まで生きなくては」
と強い口調で怒こったし、私たちもういつ死んでもおかしくない年になったと友だち同士で
話していても
「馬鹿なこと言わないの」と叱られた。

 彼女にとってはまだまだ素敵に生きる自信があったのかもしれない。
 
 涙はほとんど流してない私が、あっメールしなくてはと思い出してはもう彼女はいない
と胸が痛くて悲しくてつい涙が溢れてしまう。
 
 二人のこのメールは毎日もう十年以上続いている。最初の頃はああした、こうしたと四、五回
行き来していたのにこの頃では精々二、三回
「私ら年取ったんかねえ」とついこの間も笑ったところだったのに。

 そしてつい今夜もつい「おやすみなさい またあした」のメールを開けてしまう。
 

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