春子さんの茶の間 その11 [短編]

 今日も猛暑だと、とテレビ画面にはずっと高温注意報がでている。
それでも午前中は日によって違う方角から涼しい風が吹き抜けているので、エアコンはいらない。

 朝の家事を済ませると春子さんは新聞を持って茶の間に篭った。
庭のランタナの朱色の花と緑の葉っぱが風に揺れているのが、レースのカーテン越しに見えて
ついにんまりの春子さん。
 
 今春子さんには心配事がひとつある。 高校以来の友葉子さんのことだ。
 
 春子さんの友はみなさん旦那様がお元気で「共白髪」を満喫していらっしゃる。
で、食事をしましょう、とか買い物に行きましょうと、容易には誘えない。チャンスだと
思っても「朝にならないと体調がわからないから」と言われると後の言葉が出ない。


 そなん中でただ一人葉子さんは元気で車にも乗っているから、時々春子さんの茶の間に
寄ってくれてコーヒー飲んでお喋りが弾んで、「ああ楽しかった。元気が出た」と喜んでくれる。
 葉子さんは春子さんが誘わなくても向こうから来てくれるたった一人の友なのだ。

 旦那様も勿論お元気で、年もかなり上なのに食事だけちゃんと作ればそれでいいという。
一人で本を読んだりピアノを弾いたり散歩に出たり喫茶店でゆっくりしたり素敵な紳士なのだ。

 春子さんと葉子さんは高校の時数学が嫌いで嫌いで、世の中に数学がなかったらどんなに良い
だろうとよく話ていた。
 
 卒業後は消息も分からぬまま年月が過ぎ偶然街で会った時は四十歳は過ぎていた。
お互い歩いて十分くらいの近くに家を建てていたのにも驚いた。
 来し方を語り、何よりのびっくりは葉子さんの旦那様が大学の数学教授だったこと。
その時春子さんの言った言葉
「ええっ! 嫌よ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことあるでしょう。」
これはいくら何でも失礼だったと何回も葉子さんに誤った。
葉子さんはそんな時もにこにこ笑っていた。

 二人はお見合いで素敵な相手に恵まれた稀有な一組だと春子さんは思っている。


 その葉子さんにもう十日も携帯が通じない。

「電波の届かないところか電源が切られています」無機質な声がするだけ。
こんなことはかってない事なので、どちらかが入院でもしたのかしらと悪い想像ばかりする。
 二人暮らしで東京に優しい一人娘さんがいて月に二回は様子をみに帰って来る。
春子さんは会ったこともないので連絡のしようもない。

 今日お昼食事の後片付けをしながら春子さんは呟いた。

「神様、葉子さんはどうしたのでしょう。今年私は花絵さんを失いました。これ以上私の大切な人に悪戯をしないでください」


 日が暮れかかり少し涼しくなったころインターホンがなった。

そこには素敵なグレーの帽子をかぶり、ににっこり微笑む葉子さん元気な顔が映っていた。









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突然の猛暑にがっくり そして danの繰り言 [日記]

 過ごしやすい梅雨、暑くもなくムシムシもしない。
青田を渡る風は心地よくて梅雨入りはしたものの、元気いっぱい快適な毎日でした。
 ところが大雨警報や雷注意報が毎日出るようになり、その割には当地は大したことなく
先日平年より大分遅れて梅雨明け宣言がありました。

 七月も半ば過ぎなのだから暑いのは覚悟していました。
でも26、7度だった気温が連日33度超え。「ひぇー」ジジ、ババの悲鳴です。

 午前十時を過ぎるとエアコン無しでは死んでしまいそうな暑さです。
家に篭り涼しい所で非生産的な怠け者の私はとろりんとしています。

 いつもの夏とどこが違うのか、そう確かにひとつ年はとりました。でも別に悪いところが
増えたわけでもないのに。
やっぱり突然の大きな気温の変化に体がついて行けなかったのでしょう。
 
 私はのらだけど、今日はこれをしょうと決めたら少々体調が悪くでも案外頑張るたちです。
というより何か用事があった方が、生きている実感があるから安堵するようです。
 
 毎日自分のことだけして、自分のことだけ考えていればいい。

 旦那様のお世話に明け暮れている同輩の方たちから見たら「いいなあ」と思うのでしょう。
 実際面と向かってはっきりそう言われたこともありました。

 私やっとこの頃そういう人たちににっこり笑って「本当に呑気でいいですよ」と言える
ようになりました。

 でも一人になると私の思い、愚痴やその人たちに対する悪口雑言は止まりません。

 「私はこんな生活を望んだことはありません。
予想だにしなかった老年期に入ってからの一人暮らし。最愛の人を亡くした悲しさ、辛さ
寂しさ。そういう最大の犠牲を払って、否応なく今の生活があるのです。

 台風や大雨、雷など怖い自然現象に一人で立ち向かわねばならない心細さ。
家庭に起こる日常生活の諸々の問題の解決。等々。考えたことありますか。」

 「なんなら代わってさしあげましょうか」

 嫌な人間になってしまった私。

 可愛らしい誰からも好かれるおばあちゃんになるのが私の夢だったはずなのに。

」 猛暑のせいで少しあたまの様子がおかしくなったdanでした。


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雨が降ります 寂しい雨です [日記]

 毎日が日曜日の私にとって三連休なんて関係ない。とひねくれて降り続く雨を眺めています。

出かける予定がない日の雨は好きです。しとどに優しく降る雨はでも少し寂しい。

 朝から予定の家事はさっさと片づけて、緑が一際美しい庭をぼんやりと見ていると

胸の底の奥の方がじんわりと痛くなって、心の中の涙を一粒そろりと吐き出してしまいます。

そして二階に駆け上がり馬鹿な私はやっぱり「宝物」を引っ張り出して一人でニヤリと

うつ向いて笑います。

 そう六十年も前の私と彼の青春がいっぱい溢れている往復書簡です。

  彼が逝ってもうすぐ十二年にもなるのに、彼は私から片時も忘れない。

おはよう、お休み、暑いね、寒いね。私から一方的に話しかける毎日です。

 まあ考えてみれば、そんなことだけ考えて過ごせる私は幸せなのかもしれません。

 私の親しい友人は皆さん旦那様が健在です。毎日のお世話も大変だと思うし、

私には分からない苦労もあるかも知れません。それでもとても羨ましく思ってしまいます。

 この気持ちは多分私が彼に逢えるその日まで続くのでしょう。

 
 「宝物」の最初の一ページ彼からの第一信。「ともだち」からの出発でした。

知り合って二か月で彼の転勤のために離れてしまった私たち。

 ただ寂しくて切なくて呆然としていた私に彼は

「汽車なら三時間で逢えるし、手紙だってあるのだから」と慰めてくれました。

 結婚までの三年間綴り続けた若いふたりの、思いが溢れています。

 
 彼を亡くしてからの私を支え続けて生きるための道しるべとなってくれた「宝物」です。

 
 続く雨音を聞きつつその時々の思い出に浸り切っています。

  寂しいけれど、自分なりに日一日を有意義に生きないと彼に逢った時叱られてしまいます。

 天気予報は一週間雨のマークが続いています。


 楽しい雨の日にしたいなあ。頑張ろう元気をだして。




 




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心優しい人の家 [短編]

 美千代は接骨院の石段が苦手だ。
たった三段だけど一段が結構高い。そしていつもここで少し忌々しい気持ちになる。
 だってここに来る人は足や腰が悪い人が多いのではないか。と少し先生が恨めしい。

 美千代が膝を痛めて困っていた時、知人が好い先生だと紹介してくれたが、六十そこそこで
接骨院というと「年寄り」の行くところだと少し抵抗があった。
 それでも膝の痛さに負けて渋々やって来た。
 五十歳代の先生は腕が良いだけでなく、なかなかイケメンで優しくて話もよく聞いてくれるのに
無駄口をきいたり、他の患者の噂話などはしない。
 美千代はすっかり先生のファンなって膝が治ってからもご縁は続いている。

 あの頃は石段なんて気にもならなかった。

 あれからもう五年、美千代もりっぱな高齢者。この頃では腰も肩も時には体中が痛い。
そして石段が苦手になった。
 
 それでも今の季節になるとその石段が嫌でなくなる。
一番上で腰を伸ばして軒先を見てついにっこり笑ってしまう。

 小さな小さなお客様、小指の先ほどの濃茶色の頭が五つ行儀よくならんでいる。
「今年もはるばる来たんだねえ」
 チチチチ親鳥が帰ってくるとみんな顔中を口にして丸が五つ。美千代はつい大笑いしてしまう。

 しばらく見とれてから中に入ると
「畑中さんは燕が好きなんですね」と助手の水田さんが言って受付だけでも先にしたらと笑う。

 どうも先生と二人で、スリガラスのドア越しに美千代の様子を一部始終見ていたらしい。
中に入ると飾り棚の小さな白板には「今年も燕が三家族来ています。」ときれいな字で書いてある

 燕にはどうして「心優しい人の家」が分かるのだろう。忘れもせずに毎年迷わずやって来る。
誰に教えられたわけでもなく、家の造りだろうか、風の通り加減か。
 接骨院のコンクリートの天井と柱の狭い隙間に、何度も土や藁しべなど運んで来て器用に巣を作っている。

  美千代の家などその気配さえ見せないのに。

 それでも梅雨で気の滅入るこの季節、美千代は接骨院の燕家族に随分癒されて優しい気持に
なっている。
 
 もしかして、この気持ちがいつか燕に通じるかも。そして我が家にも。
  
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