寂しん坊のある日 [短編]

 今日も朝から蝉の声がやかましい上に、お日様ぎらぎら。
うんざりと窓の外を眺めつつ房江は今日こそ病院に行こうと思っていた。
 どこと言って悪いところもないのに、全身倦怠感とふわふわ感で心もとない気持ち。
 
 じっと考えてみるのに、これはもしかして鬱ではなかろうか。
 
 後期高齢者で一人暮らしももう長い。
 自分のことだけ考えていたらいいのだし、友達もいるし趣味もあるし、退屈をすることもない。
 他人様からみれば気楽なばあさんなのだ。
 ただ、退屈しないことと寂しいことは全く別物だと房江はこの頃やっと気がついた。

 近所の少し年上の初枝さんの姿が見えないなあと思っていたら、昨日見かけたので
「初枝さんどこかへおでかけでしたか」
 と聞くとくっくっと笑って
「私入院してたのよ。そこの脳神経外科へ」
「えっ脳神経外科?」
「昨年倒れて入院してから、しんどくなったら入院させてもらうのよ。子供も楽だし私も安心
でしょう。入ったら一か月くらいはいて、時々帰って来るの」
 
 房江さんはいいなあと、自分もそうしたいと真剣に考えた。でも元気な彼女にはかかりつけ病院
というものがない。
 どこも悪くなくてもしんどい時入院出来れば安心だろうと。
  
 そんな思いもあって、午後思い切ってその病院へ近くだけどタクシーで行った。
 
 なかなか感じのいい病院で、待合室でみていると、血圧の薬を貰う人。点滴しに来る人。子供の患者もいる。どうも脳の病気の人ばかりではなさそうと、房江は少し気が楽になった。
 すぐに呼ばれて診察室へ。優しそうな白髪まじりの先生が
「どうされましたか。」と落ち着いた声で聞かれる。
 「どこと言って悪い所はないようなのに、とにかくしんどくてふわふわします。食欲もあるし
夜もそこそこ眠れます。年のせいでしょうか。」
先生はじっと房江の顔を見ながら
「しんどいのなら点滴しますか。」
「いえ点滴はこわいのでしたくありません。」
先生は呆れた顔で房江を見たような気がした。
「夏バテでしょうか。一人で寂しいので鬱ではないかと」

 嫌な我儘な患者だと思っているだろうに、先生の目は優しいのが房江には怖かった。
貴女は何しに来たのかという顔で先生は
「せっかく来たのだから脳の検査しますか」
ああ点滴より怖いよ。でももう嫌だという勇気は房江にはなかった。
 МRi検査室もCT検査室も使用中の札がかかっていて何だかほっとした房江は別の部屋へ。
「五分くらいで終わりますから」
嬉しい看護師さんの言葉。本当に暗い所へ入ることもなく、じっと寝ていただけ。
 
終わるとすぐ先生の診察結果を聞くことに。先生は脳の画像を見ながら
「異常ないですね。詰まったところも切れたところもありません。まあしんどかったら
いつでも点滴しにおいでなさい。元気でますよ。」
「有難うございます。何だか病気治った気がします。」

 房江は本当にそう思った。
いつか点滴しに来て先生と仲良くなり初枝さんのように、しんどい時は入院させて頂こう。

 帰りはすっかり元気が出て、少し暑かったけれど鼻歌を歌いながら歩いて帰った。

 多分夏バテと寂しん坊の軽~い鬱。房江は自分の診断に十分満足していた。

 これからはもっと自分の健康に自信をもって楽しい毎日にしょうと決意した。
胸の中には安堵感のようなものが、すこしづつ広がって行った。

 夜になり涼しい風が吹いて、秋の気配を感じるベランダで、房江は十六夜の月を飽かず眺めた。

 

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奥様とばあや [エッセイ]

 いつもより少し早く朝の家事が終わった。

 空は真っ青で太陽はギラギラ今日も真夏日だ。
 一人住まいの私の一日は毎日同じで全く面白くもない。
 
 ふと街にでも行ってみようかと友の顔を思い描いてみたが、みんな浮かぬ顔をしている。
 この頃では用事もないのに出かけることなど考えたこともなかったのに。
 
 神の啓示だ。出かけよう。
でも暑そう、別に用事もないし。もう一人の私がぐどぐどと足を引っ張る。
 バス停までの三分が暑いだけよ。バスは涼しいしデパートはもっと涼しいと私。
その時閃いた。そうだタクシーにしょう。
 悲しい悲しい主婦の性、バスは260円タクシー1500円。でも今日は決めた。

 そうなると気持ちが華やいでいつもより少しはお洒落してみようとフアッションショー。
好きな黒のプリーツスカートに薄紫の小花柄のインナーにベージュのレースの軽い上着。
 鏡をみてまあまあじゃない。これで顔が無かったらもっといいのにと心から思う。
 
 でも奥様になった気持。

 いつものタクシーがきた。ところが残念、運転手さんが一番年配「多分後期高齢者」で
お喋りで、のんびりで運転が下手。顔に年寄りの茶色いシミがいっぱいあるので、人の顔を
覚えられない私が唯一覚えている人。
 電話した時、今出払っているので二十分くらい待って下さいと言われて嫌な予感はしていた。
こんなことは滅多にないから。
 とにかく団地の道から県道への右折がなかなか出来ない。車はポツリポツリと来るだけなのに。
そら行け!  はいっ出て! 声にならない声で叱咤激励しながら泣きそうな私。
その間彼は「今回は台風が来そうとか、今日は夏祭りだ」とか喋り続けている。
 いらいらと二十分以上かかってやっと着いた。1730円。

 デパートに入るといつもは人がいなくて恥ずかしいくらいなのに結構人がいる。
やっぱり夏休みだし、お盆も近いからだ。
 私は買い物の予定もないけど何か買いたいかもと思った。
 靴屋さんの辺りを見ていて好みのサンダルをみつけたので立ち止まったら、奥でこちらを
見ていたイケメンさんがすっと出て来た。そして「履いてみて下さい。いいでしょう」と
私が見ていたサンダルを持って来た。何て手際がいいのでしょう。
 履いてみて歩いてみて買ってしまった。何だか楽しくなってきた。

 次は地下に下りて送りものをしてから、全国の銘菓があるコーナーで訪ねてくれる友の顔を
思いながら和菓子や洋菓子を買った。肉屋さんで嫌いな肉もたまには食べなくてはと買う。
 
 ただ何となく買い物するって楽しいなあ。
いつも懐と相談して辛抱して計画的に買い物はした人生だった。
 
 「ケチの癖に欲しいもの買うときは大胆なんだから。そして必ずものにする」夫によく言われた。
 
さあもうタクシーで帰りましょうか。今なら奥様気分のままで。
 
 ちょっと待って、少し商店街も歩いてみませんか。「ばあや」の声がする。

 私が荷物を持ちますから。この商店街を15分も歩いてもう一つのデパートまで行って三千円の
お買い物すれば、バスのお帰り切符がいただけるじゃないですか。
 
のまま そうでした。私鉄デパートの特典です。そういえば私帰りのバス代払ったことないよ。
 商店街は暑いけれど歩いてみようか。

 もう半世紀以上も前の夫と私が突然現れた。
浴衣で歩いた土曜夜市。城山から眺めた花火。涼しい風が渡る堀端のベンチ。
 泣きそうになって思い出すのは止めた。

 ねえやになった私は荷物の重いのもなんのその、昔のお店など四、五軒になってしまった
懐かしい商店街を元気に歩いた。

 デパートでセールのブラウスを買ってバスのお帰り券をもらったのは言うまでもない。

 一人では食事もお茶も飲めない私は、ねえやのままで我が家に帰った。

 でもこの数時間久し振りに楽しかった。

 奥様もねえやも、ちよこっと出て来た夫も元気でよかった。

 この調子で後少しの猛暑を乗り切ろう。

 秋明菊は明かもう白い蕾をつけているのだから。
 

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