春子さんの茶の間 その13

  窓ガラス越しの陽の光はもう春爛漫の感じ。
庭の椿も一度に咲いた。
真紅で大きめ女王様のようなのも、ちまちまと小さい藪椿も、しっとりとうつ向いている白い椿も。
 
 寒がりの春子さんには嬉しいけれど、こう一足飛びに春がきたのでは風情がない。
 
 春子さんには家事の外にやることは沢山あって、一日中退屈をすることはないけれど、
それと寂しいのとは別物だということに、ずっと前から気が付いてはいた。
 近頃特に感じる。親しい友もみな老いて「出かけよう」と誘っても「明日になってみないと」と
起きてみないと体調が分からないなどと、情けないことを言う。
 友がおかしいのではない。春子さんが元気過ぎるのだ。
 昔から元気だった。両親に感謝しなさいよとよく言われた。

 出かけると言ってもデパートをぶらついて食事してコーヒー飲んでお喋りするくらいのこと。
まあデパートでも今となっては欲しいものもないと言う。
 春子さんだってそれは同じで商店街などいつから行ってないだろう。

 考えてみれば同年配の知り合いも高齢者施設にいるので時々訪ねる。
楽しく過ごしても、帰りには落ち込んでしまう春子さんだ。

 今春子さんは毎週火曜日「源氏物語」を読む会に行く。これが今の生きがいだと言っても
過言ではない。約20名ほとんど60代から70代初め。終わって食事に行くこれが又楽しい。
 古典大好きの春子さん他にもニ、三通っている。

 ご近所さんも皆さん優しくて、ここに住むことにも大満足。
離れていても子供たちも頑張っている。
 人生は人それぞれ、運命ということもあろうが自分で切り開くことだって出来る。
 もう少し頑張ってみよう。早々と旅立って春子さんを悲嘆のどん底に落とし込んだまま
まだ迎えに来てくれない愛しい春夫さんには、今度はもう少し待ってもらうことにしょう。

 いつもの年より早く来そうな春。春子さんの茶の間に暖かな穏やかな光が満ちている。
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穏やかな春の始まり

 暖冬の令和二年。悩まされ続けた風邪もやっと出て行きました。

穏やかなお正月、節分、立春、思うに毎年散歩をしながら口づさむ「早春賦」今年は
歌っておりません。 春は名のみの風の寒さよ.....


 我が家の近くに大学のグランドがありそれを囲むように樹齢50年にも及ぶ楠木が並んでいます。
 
 私たちが希望に胸膨らませて新居をここに建てたのもそのころでした。
まだ若木だった楠木の上に沈む夕日が本当に真っ赤で、二人でよく眺めたものでした。

 子供たちが巣立ち二人になっても、転勤や二人の仕事の都合で、さてこの家に二人で
いたのは何年位かしら。

 又一人になってしまった私はもう十四年近くここに一人でいます。
 嬉しいことに近所の人たちも好い人ばかりで、みなさん優しくして下さいます。

 私いつも娘に言っては笑われるのです。

「退屈はしないけど、それと寂しいのとは別物だよ」

 二月から又「源氏物語」を読む会が始まり毎週火曜日に二時間ほど出かけます。
二十余名、勿論原文で読みます。
 嬉々として出かけたら朗報が待っていました。

 源氏を読み切るには途方もない時間がかかるということで、講師の先生の発案で別に
「宇治十帖」を読む会も始めようと。

 また生きる目標が出来たと高齢者組は大喜び、他の人たちは多分六十代で頼りになります。

 次からは先生を囲んで食事でもしましょう。とこれまた嬉しいことです。

 元気で動けるからこんないいこともあるのだと、今更ながら両親に感謝の気持ちが募ります。

 「明日お寿司作るからそのつもりでいてね。」さっき近所の友から嬉しい電話です。

 私のお寿司好きは有名で、こういう申し出が時々あるのも嬉しいことです。

 そうそう近くにある「お好み焼き」にも皆で行こうと。

 暖かい早春人々の温かい繋がりが嬉しいです。

 寒波襲来「寒い寒い」とニュースでは言うのですが、カラス窓いっぱいに溢れる陽光は
穏やかで、一吹きの風さえありません。
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