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瀬戸の海に春が来た [エッセイ]

 朝方からこんなにも淡い青い空。

心の芯がうずうずと踊りだし、春が来た春が来たと体中から歌声が聞こえる。

 このところの冷え込みと、遠慮なく吹き渡る北西の風にどん底まで落ち込んで

もう二月も半ばなのにと恨めしさでいっぱいだった。

 ああ嬉しい今日は気温もぐんと上がって19度もある。

 いいことありそうと、祈っていたら11時過ぎ弟夫婦がやってきた。

 毎日曜日には一人暮らしの私のために買い物に行こうと誘ってくれる。

一日中一人でいる私は、この時とばかりに喋る喋る。

 今日は気持ちいい青空だし暖かいからドライブでもしょうと。

「嬉しい嬉しい。海を見に行きたい」

 遠くの山を見ながら20分も走るともう海が見えて来た。

 海の色は紺碧の、淡い水色、緑に近い深い水色。様々の海の姿が美しい。

すぐそこにある小さな島のみどり。もう少し沖の藍色が美しい島が二つ三つ。
 
 赤い小さな灯台は海に突き出た突堤の先で、きりっと立っている。


 ゆっくりと海に沿って走っていると、嫌でも夫の面影が顕ち現れる。

 二人でよく海を見に行ったなあ。

 四季折々の海を、桜並木の隙間からかすかに光る海。ギラギラと力強い夏の海。

秋の海は優しいけれど寂しい感じが胸に沁みた。

 降りしきる雪が海に消えていた北国の風情。

 みんな今鮮やかに私の脳裏を駆ける。

 私はやりたいこと早々とやったから、今やること何もなくて一人ぼっちなのかも。

 私が思い出に浸っている間に、弟の車は随分走った様子。

 道の駅で名物の「鯛めし」を買って丘に登る。

「昔四人でよくここにきてお弁当たべたね」弟も思い出したようだ。

 もう何十年まえのことなのに、子供たちが巣立ってから、本当に近くへも遠くへも

長い旅や、ちよっとそこまでと本当によく遊んだ。

 後二人の弟たちは遠くに住み、今はコロナで簡単に会うこともかなわない。

 でも、一番頼りになる長男の弟が跡取りとして、実家を守ってくれているのが嬉しい。

 思い出を追いつつ、満足感いっぱいの私は弟夫婦に感謝しつつ、いつまでも続く美しい

瀬戸の海をながめている。
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大寒 霜がこんなにも美しい [エッセイ]

 大寒と言えば一年中で一番寒い日です。

 朝起きて一番に窓を開けて、あたりを見回します。

 屋根瓦にも、目の下の休耕田にも真っ白な霜。ここは六十戸余りの団地でもう五十年もの

 歳月を経て住む人も古くなったのですがみんな顔見知りで、気心も知れていて住み心地満点。

 ああ、冷たいけどなんて美しい、キラキラ光る霜に心奪われて寒さは二の次。

 見上げる空の青さは胸がときめくほどで、心の中が洗われてもっときれいになりそうです。

 こんなに素敵な環境に、私はもう十五年も一人でいます。

 健康で病院通いもなく、自由気ままに思い通りに生きています。

 寂しくないと言えば嘘になるかも知れないけれど、仕方ないことです。

 東京に住む子供たちとはラインで繋がり、娘は毎晩十時生存確認?の電話がきます。

 この電話は一方的で、きょうあったことを私一人が喋ります。

 彼女はいつも私が[元気でいてくれるのが一番嬉しい」と言ってくれます。

 いつもなら東京で過ごしているはずの一月ですが、今年はコロナ禍でそれも無理です。

 まあ私はいつものように好きなことに精出して、元気で頑張ってみようと決めています。

 太陽が暖かい日差しをいっぱい注いでくれています。

 今日も一日を大切に私らしく過ごしたいものです。
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ハッピーバースデーのメールが来ました [エッセイ]

 気温三度、十年振りの寒波が来る。朝からテレビもラジオもこのことばかり。

空は青く澄み渡り朝方雪もちらちらしました。

そしてなんと冷たい。手が凍り付いたよう。こんなことはあまり経験ありません。

 でも青空の向こうに濃い灰色のそれも黒に近いどっしり腰を据えた大きな雲。

頑固で意地悪そうな雲が下界を睨みつけているようです。

風は北風今は強くはないけどこれから吹きまくるぞと、役者は揃っているようです。

 それなのに私の心は温かい。朝から誕生日を祝うメールがもう何通も。

 私が母の年齢に達したから。

 母はとても元気で明るくて八十歳を過ぎても茶道に情熱をもって、お弟子さんも

大勢いました。

 それがなんの前触れもなくあの日あっけなく逝ってしまいました。

年末年始を私たち夫婦、弟夫婦と温泉で楽しんできた一月六日。

 眠るようにその朝目覚めることなく。

弟からの電話に半信半疑のわたしと夫は飛んでいきました。

 本当に安らかな幸せそうな顔をして母は目を閉じていました。

 私は泣くことも、悲しい気持ちもなくて、ただその安らかな顔をみていました。

 そして突然、59歳で56歳の最愛の母を残して逝った父の顔を思い出しました。

 父母は幼馴染で恋をしてとても仲の良い二人でした。私は父母が喧嘩をしたのを

見たことがありません。父が大好きだった私が嫉妬を覚えるほどでしたから。

 ああこれで母は大好きな父に逢えるのだと。20年余を経ての嬉しい再会だと。

 母の葬儀の日に初めて涙が出ました。涙は止まらなくなり、隣にいた義妹が

そっとハンカチを貸してくれたのを思い出します。


 それから私は母の年までは頑張ると弟たちに言っていました。

そして、とうとう今年その年を迎えた私です。

 私は元気でこんなに沢山「おめでとう」のメールを貰って複雑な心境です。

 でもやっぱり「うれしいかなあ」

 父母と夫に「またもう少しまっていてね」と小さい声で、お願いしましょう。



 
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雪がちらちら灰色の空 [エッセイ]

 何年振りかの実家で、穏やかで暖かいお正月を過ごして

ご機嫌で我が家に帰りました。上げ膳据え膳、勧められるままに

ご馳走を食べたせいか、体重も五年ぶりに200グラム増えて大満足でした。

 今年初めての源氏講座にも行き皆さんにご挨拶したのは、つい先日だつたのに。

 まあ今朝の寒さは年寄り泣かせ。予報雪も降ると聞いてもこの南国でと..気にも

してなかったのに。

 暖房がんがん、コタツにももぐり、それでもパソコンを打つ手が冷たい。

 読む気も書く気も起らずたった一人て考えていると寂しくて涙が出そう。

笑っている写真の彼が恨めしい。

 決めた。今日は私得意の「昔返り」。一日中暖かいところで心置きなくやってみましょう。

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コロナに翻弄されても [エッセイ]

 今年も後二日となりました。

 コロナ禍で東京の子供たちも帰れず、私もコロナごろごろの東京へ行く気にも
にもなれません。
 
 悠々と空気の美しいこの街でお正月を迎えます。

たった一人のお正月は初めてだけど、心の中で寄り添っている彼と二人もいいかも。  

 そうは言いつつ内心は実家に行こうと考えていました。車で十分なのですぐ行けます。

 先日それとなく打診した所義妹は、「あらお姉さん私は一緒にお正月を楽しくと考えている」
と言ってくれて、心底嬉しがっている私がいます。

 皆さん一年間有難うございました。

 くる年が素晴らしい年でありますように。
 来年もよろしくお願いいたします。 元気で頑張りましょう。
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冬将軍 突然襲来 [エッセイ]

 風の音がいつもと違う。手が冷たい。

今朝目覚めた時そう感じた。ああ肩口も寒い。そう言えばラジオが今冬一番の寒波とか

言っていた気がする。

 今日は生憎出かける予定がある。

のろのろと起きてみたら本当に寒い。昨日までの暖かさが嘘のようだ。

 遠くの山があっという間に赤や黄色に紅葉して美しい。

お出かけはタクシーを奮発して飛んでいき、早々に帰ってきた。

 当地でもコロナ禍は続いていて毎日県知事から報告がある。

 温泉街や繁華街には行かないに限る。

 突然の冬将軍襲来は、かえって良かったのかも。

 この頃は誰言うともなく、夕方になると近くの大学の楠並木を歩く習慣が出来ていて、

時間になると団地の暇人たちが、三々五々やってくる。

 昨日までは、楽しい笑い声が集まって四、五千歩歩くことなんか何でもなかった。

 でも、この寒さではそれも無理だろう。後期高齢者の集団なのだから。

 また、もう少し暖かくなってくれたら嬉しいのにと神様にお願いしたくなる。

 それまで気持ちを引き締めてみんなで頑張りましょう。

 師走も後半月、今年一年有難うございました。

 素晴らしい新年が明けますように。

  
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春子さんの茶の間その16 [エッセイ]

 春子さんの茶の間の窓ガラスを伝って下りる雨粒がやたら大きい。
今日で三日降りつづく雨。豪雨被害のニュースがひっきりなしに流れている。
 未明には避難勧告も出た。
 全市内に出た。携帯が効いたことのない信号音で鳴り、ラジオがレベル4の避難勧告。
 避難するってどこへ。ここは川もないし崩れてくる山も崖もない。

 夜が明けて近所の人が一人二人と出てきた。
「びっくりしたねえ、でもどう考えてもここが一番安全な気がして笑えて来た」
 意見が一致してまた笑った。
 
 市や県の当局者はきっと一番安全な避難を考えてくれるのだろう。でも細かいことまでは
指示できるはずもないから最大公約数で仕切る。

 やっぱり市民一人一人が自分で責任を持つべき事柄だと少し落ちついたら、すぐ納得できるのだ。

 すっかり雨が上がって薄日さえ見えて来た窓を見ながら、春子さんいい勉強したと思う。
年を取って一人で生きて行くこれから先、何事も自分でと心に誓った大雨だった。

 おだやかに晴れた日が続くなんて絶対にない。
 晴れたり曇ったり降ったり嵐が来たり、雷鳴がとどろいたり、人の人生と同じだ。

 のんびり、焦らず、しっかり前を見据えて真っすぐ歩いて行こう。
 
 春夫さんが、きっと待っていてくれるその場所へ!
  
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9歳になったさくらんぼ日記 [エッセイ]

 今日は青い空に所々白い雲が浮かんで澄ます。

このところ雲一つない青空が続いていました。

 家にこもってなんとなく過ごしている日々も、もう随分続いています。

今朝何気なく庭の木を見ているとさくらんぼの木が目に留まりました。

「あれっ思えば今年さくらんぼの花を見なかったきがする」よく見ると枝の先の方が

枯れているように見えました。

 枯れています。この木ももう六十年もこの庭にいるのですから。

 つくづく自分の来し方を思わずにはいられません。胸が痛くなるような切ない気持です。

 私の「さくらんぼ日記」みたいだと思いました。

 もう九歳にもなってよろよろと、思い出したように綴るブログ。

 娘に勧められ始めた頃の、あの意気込みも楽しさも元気もありません。

かと言って止めるのも残念な気がするのです。

 毎日楽しみにしているお気に入りのブログが沢山あって、元気を頂くからです。

 さくらんぼの木は枯れかかっているけれど、私はもう少し頑張ってみよう。

 だつて九年も続いてきたのだから細々でも枯らしてはいけない。

 まあ何か書くことは嫌いではないのだからと、自分に言い聞かせています。

 これからもよろしくお付き合い下さると嬉しいです。
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夏も近づく若葉の美しい季節なのに [エッセイ]

 美しい季節とはうらはらに、鬱陶しく重苦しい毎日が続いています。

籠っている家を一歩出ると若葉の香りがどこからともなく漂ってくるのに。

 楽しみに通っていたカルチャー教室ももすべて休講。

友人たちとの電話でのお喋りも種切れ。朝晩一人で行く散歩も寂しい。

 心身ともにしっかりしません。

 コロナウイルスがなくなるのはいつの日か。

たまに顔を会わせるご近所さんとも長話は禁物。寂しいですね。

 太陽の光が降り注ぎ、青い海に沿ってをごとごと走る電車に乗って終点まで行けるのは

いつになるのでしょうか。

 その日まで元気をだして笑って待ちましょう。
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公園の桜が満開になりました [エッセイ]

 澄み渡る春の空を、満開の桜の花の下に入り込んで覗くのが好きです。
 
 コロナウイルスのために鬱陶しい毎日が続いています。
 毎朝知事さんが当地のコロナ感染者の様子を報告して下さって、感染者やその関係者の
ことも発表されるので、不安もそんなに切実ではありません。
 それなのにマスクも消毒液も、トイレットペーパーさえ売り切れて、そこそこ買いだめを
している人もいるようです。
 
 私が通っているいくつかのカルチャー教室もすべて休講の通知が来ました。
 行けるところは病院だけと言う人もいますが、残念?と言うべきか私病院にも縁なし。

 で近所の年の離れた仲良しと二人で近くの公園へ桜見物に出かけました。
 歩いて十分余り昔から市内の桜の名所のひとつで有名なお寺のある小高い山です。

  昔は我が家の縁側からその桜が見えて、満開になったら見物に行ったものです。
 ところが今は家やマンションが建ち並びその山さえ見えません。

 いつもならこの時期お花見の団体でいっぱいなのに、今日はニ、三人の人影だけ。
ベンチに腰掛けて桜を仰ぎ見ます。

 そして、私はその澄んだ空の向こうに確かに夫の面影を見つけてしまいました。

  ずっとずっと昔二人でここに来た時のことが、体中に溢れてきて隣に友だちがいるのさえ
忘れてしまっていました。

 
 あの日私たちは三年に余る交際期間を経て結婚の決意をし、彼が私の両親にその報告と
許しを得るために家に来た日でした。
 離れ住んでいた私たちの逢うのは月に一度あればいい方で、彼の仕事の都合で二か月振りと
いうことも珍しくありませんでした。
 ただ毎日綴った日記のような文通は家族が呆れるほど、定期便のように届きました。 

 二人の様子を見守ってきた父母はにこにこして、父が言った言葉を今も忘れてはいません。
「二人で自分たちの描いた地図の通り、明るく真っすぐに歩いて行きなさい。若者らしく」
 もともと父大好きの私でしたが、この時の私は本当に誇らしい思いで彼の目を見ていました。

 そのあと嬉しくて二人は五キロはあるこの公園まで歩いてきたのです。
その時の写真を見ると、公園の桜の木はどれも一メートル位。そうもう半世紀も前のことだもの。

 あの時私たちの新居がここに建つなんて思ってもみなかった二人でした。
 ご縁、運命、何はともあれ今は本当に良かったと思っています。

 あれ以来桜が咲いたら町内会の花見、親戚が来たらお弁当持って、私の親友三人組でも何度か。
でも残念ながら二人で桜を見た記憶はありません。

 思い出に浸ってしまった私、ごめんなさいと心の中で謝りながら満ち足りた気持で友だちに
感謝。

 吹く風さえ心地いい桜満開の公園。
 しばらくコロナウイルスのことも忘れて。
 この桜が散って若緑の葉桜が美しくなる頃には、きっと平和な初夏が訪れますように。
 
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