春子さんの茶の間 その6 [短編]

  春子さんの思い出はふと家事から解放されたときなど、つるつると繋がって出てくる。
今日は朝、東の窓を開けた時今年初めての金木犀の香りがした。もう秋が来たのだ。

 それにしても花絵さんからの手紙は春子さんを驚かせたし、考えもさせられもした。
 
 手紙によると、花絵さんの高校時代の恋が卒業と同時に終わったと思い込んでいたのは
春子さんの独りよがりだったようで恋は続いていたのだ。
 でも彼が大学を卒業する少し前には花絵さんは結婚して東京に住んでいた。
 彼からのプロポーズはなかったのだろうか。どうして結婚しなかったのだろう。

それでも彼が仕事で上京した時など、二人は喫茶店や公園で逢瀬を楽しんでいたというのだ。
 これはもう恋というより大人の友情というものだと今だからこそ春子さんも妙に納得した。
 
 当時このことをもし春子さんが知っていたらどうだろう。
「結婚していながら昔の恋人に逢うなんて何ということ。頭冷やしなさい。」
もしかしてそんな花絵さんとは絶交だ、ときっと喚いたに違いない。そういう時代だった。
 
 親友だと思っていた花絵さんの、こんな大切なことも春子さんは知らなかったことになる。
そして長い長い年月が過ぎて今花絵さんが春子さんに、心配な相談があるとの手紙だ。
 
 この長い年月、春子さんは彼のことを全然知らなかったわけではない。
二年毎の高校の同期会に彼は必ず出て来たし、花絵さん、春子さん、高子さんの三人旅で京都に遊んだ時など、定年になっていた彼が車で奈良の方まで案内してくれたこともあった。
 そんな時春子さんは「持つべきものは美人の友だち」とか言いつつ高子さんと徳した気持ちに
なって喜んでいた。花絵さんはにこにこと助手席で笑っていたけど嬉しかったのかなあ。

 花絵さんが旦那様を亡くした三年前に、春子さんは「彼と時々電話しているの」と聞いたことがあった。
 それもいいかなあ、と少し羨ましく思ったことを覚えている。
それっきり春子さんは彼らの電話のことなど忘れてしまっていた。
 
 彼からの電話は一週間に二回くらい夜遅く携帯にかかって来ることが多かった。
時々は花絵さんからかけることもあったようだ。それが一か月前からぷっつりかかってこない。
心配になって花絵さんからかけても、まったくつながらない。
 もしかして亡くなったのでは.....と思うと心配でたまらないどうしたらいいのだろうか。

 毎日メールを交わしているのに、何も言いだせなかったのだと思うと複雑な心境の春子さん。

 手紙を読んで春子さんは花絵さんの彼に対する気持ちが初めて本当に分かったような気がした。
そして今彼がどういう状態なのか。花絵さんのために知りたいと思った。 
 手紙だけではではわからない。春子さんはすぐに花絵さんに電話した。そして今までのいきさつを聞き、出来るだけ力になりたいと約束した。

 
 



 
 


 

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春子さんの茶の間 その5 [短編]

  彼岸花も色褪せて本格的な秋が来た。
窓を開け放ち風を入れる時、つい鼻歌でも歌いたい気分の春子さんだ。
待ちに待った短い秋、懐かしい思い出がいっぱいの秋。
 昔ほど元気ではないけれど、この青い空を見ていると電車に乗りたいと思う。
と言っても今は「はいっ」と道連れになってくれる人もいない。友もみな老いた。
 二時ごろ郵便が来た。その字に見覚えがあってつい嬉しくなって封を切るのももどかしい。
親友の花絵さん。美人で人柄もよくて中学時代からの友である。
 性格そのままの優しいきれいな文字。二三日前にメールもしたのに手紙なんてどうしたの?

 花絵さんは恋多き人で普段は静かで、どちらかと言えば引っ込み思案なのに恋をすると
元気になるのだ。それも自分から好きになるというのはなくて、いつも声をかけられる側。
 だが彼女にとってはそれが当然と思っているようにも見える。

 中学時代のお相手は同級の優等生で勉強もスポーツも万能。背が高くてかっこいい少年だった。
しかし、この幼い恋は彼が卒業と同時に父の転勤でこの街を去ることになって終わった。
 駅まで見送りに行きたいと頼まれて春子さんも一緒に行った。
ご家族も一緒だったので、春子さんは恥ずかしくて、彼にペコリと頭をさげるのが精一杯だった
のに花絵さんは、花束なんか渡して笑顔で話していた。本当は寂しかったと思う。

 高校に入ると新しい同級生は中学の倍以上の人数になった。
夏休み前には花絵さんには複数の男子生徒から声がかかり、春子さんも相談されてやっぱり
勉強の出来そうなハンサムな彼に決めた。
 
 今でも春子さんは不思議な気がする時がある。
 春子さんは花絵さんと同い年なのに、恋というより男子に関心がなかった。
勿論声をかけられたこともなかったのだが。
 花絵さんが恋に浮かれるだけの人だったら、春子さんは決して親友にはならなかったし、
相談にも乗らなかったと思う。
 彼女は真面目で勉強もよくできた。春子さんにとっては理想で自慢の友だちだったのだ。

 高校時代の花絵さんは、今までのように彼のことをあまり話さなくなった。
そのことを春子さんも気にもしてなかったし、知りたいとも思わなかった。
 でもある時私たち仲良し三人組のひとり高子さんが言った。
「私昨日の日曜日花絵さんに誘われて白浜に行ったら、彼と彼の友だちがいて四人でボートに
乗ったのよ。びっくりした~」
「えええ!彼の友だちって同級生?大きなボートやね」
「いいえ知らない人よ、彼の友だちらしかったわ。私はその人とボートに乗ったんだから」
だったら花絵さんは彼と二人でボートに乗ったことになる。
 春子さんは腰が抜けるくらい驚いた。
 花絵さんはなんて大胆なのだろう。高校生なのに恋人と二人でボートにの乗るなんて。
ちゃんと高子さんも誘って内緒じゃないものね。
 もしかして二人は本当の恋をしているのかも。こういうことに疎い春子さんでもそう感じた。
そして春子さんではなく高子さんを誘った理由も、花絵さんの気持も手に取るようにわかった。
もはや真面目過ぎて理屈ばかり言い、恋心の分からない春子さんはお呼びでなかったのだ。
 色々あったこの恋も二人が高校卒業して、彼が県外の大学に行った時終ったと春子さんは
思っていた。

 春子さんたち三人組は地元で就職して、今までと変わりなく楽しい青春真っただ中にいた。


 






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山桃追想 [短編]

 朝ゆっくりと新聞を読む。
とにかく全ページに目を通して政治も文化もスポーツに経済面も。
多少斜め読みの感じもするが、千秋の大切な日課のひとつである。
そして今日地方版の片隅に真っ赤な実をつけた山桃の木の写真をみつけた。

 千秋はとっさに母の実家にあった大きな山桃の木を思いだした。何十年振りだろう。
あの村を離れてもう半世紀近い。学生時代までは夏休みや冬休みを待ちかねて弟たちと
すっ飛んで行った。祖父母と叔母たちの優しさだけが待つ故郷へ。
 ただ屋敷の周りに何本もあった、柿やみかんや、杏にイチジク。畑にはトマトが食べ放題。
本当に食べるもののなかった終戦直後。これら何よりのご馳走だった。

 千秋はふと思い出した。あれは小学四年生の夏休みだ。赤黒く実った山桃は美味しい真っ盛り。祖母が食べごろだから、後で取ってあげるから待っていてねと買い物に出かけた。
 山桃の木は家の西側の小さな川の上に乗り出すように二階の窓近くまであり、あちこちに
張り出した太い枝が、ちょうどよい足場となって子供でも容易に登ることができた。
 千秋は誰もいない間にやりたいことがあった。とっさに登ろうと決めて決行した。
 そろそろと木に登り、そこから屋根に下りて窓から千秋より三歳年上の叔母の幸子の部屋に
入りり込んだ。
 カーテンの閉まった薄暗い部屋は余計に千秋の冒険心を掻き立てた。少し胸がどきどきした。
 幸子は女学生なのに末っ子だったせいか、なかなか気が強くて元気がよくて、いたずらっ子の
千秋は余り好かれていなかった。
 千秋は、幸子が机の引き出しに宝物のように大切にしまってある、押出しクレヨンを
取り出した。
 いつも幸子が自慢げに見せてはくれるけれど、絶対に触らせてはもらえなかった。
 そのクレヨンはまわりを厚手の紙で巻いてあり、ちょうど割りばし位の棒で少しづつ
クレヨンを押し出して使う仕組みになっているのだ。
 千秋は座り込んでわくわくしながら大好きな赤色のクレヨンをそっと押してみた。
少し硬い感じがしたので、エイッと力を入れて押したらすっと赤い色が出てきた。
 一回だけやってみるつもりだったのに、嬉しいのと面白いので千秋は我を忘れて次々に
いろんな色を押し出した。

 どのくらいの時間が経ったのだろう。ガラッと部屋の戸が開いて幸子が鬼の形相で立っていた。
それからのことは、思い出したくなかった。
 千秋に飛びかからんばかりの勢いで泣き叫ぶ幸子。祖父母や叔母も飛んで来て、なぜか千秋も
おーんおーんと大泣きしたのだ。
 結局遠来の客の千秋は叱られなかった。謝った記憶もない。
 可愛い初孫と愛しい末娘のこと。祖母はどんなに悲しかっただろうと、高校生になったころ
千秋はやっと悪いのは自分だったと気がついた。

 祖父母は晩年は、春や秋にはよく千秋の家にやって来て温泉を楽しんでいた。
でもこのクレヨン騒動の話が出たことはなかった。
 大人になった千秋と幸子は、遠く離れ住んでいたから、何かの時会っても笑顔で話し合えた。

 新聞写真の山桃が思い出させた、いたずらっ子千秋の懐かしくて苦い思い出だ。

 この山桃の木にはもう一つ千秋の心のなかに、今も優しく愛しい想いを抱かせてくれる
二人の面影がある。
 父母は幼馴染で結婚した。そして終生変わることない愛を全うしたと千秋は思っている。

 父母が亡くなってからのことだ。千秋が田舎に行って親戚たちが昔話をしていた時、母の
従兄の喜久治おじさんが笑いながら話してくれた。

 「実はおれ子供の時から千秋の母さんのこと好きじゃった。母さんはあの山桃の木に登って、
学校帰りの子供たちに次々山桃の実を投げつけて、みんなキャアキャア言って逃げ回った。
おれもやられた。おれにはバンバン投げるのに隣にいる父さんには絶対に投げなかった。
子供心にもすぐわかったよ。母さんは父さんが好きなんだと。
 大人になって父さんが俺に母さんが好きだと相談した時、話通したのはおれなんだよ。」

 話終わって、得意げに喜久治おじさんは千秋を真っすぐ見た。
「好い話を有難う。薄々は知っていたけどそんなに小さい時から.....」
千秋の胸はほっこり何とも言えない暖かさに溢れた。

 田舎の母の実家、緑色の葉と赤い山桃の実が空いっぱいに広がって、その空に優しくて
いつも仲のよかった父母の姿が千秋にははっきりと見えた気がした。

 

 
 


 





 


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春子さんの茶の間 その4 [短編]

 今日も暑いなあ。ガラス越しに見る庭の木々もぐったり。連日の猛暑にげんなりの春子さん。
一人の午後、コーヒーでもと立ち上がったら電話が鳴った。
「暑いけど何かしてる?別に予定なかったら出かけて来ない?」
Hさんだ。少し涼しくなったらと、ずっと前から誘われていた。
「暑いからと思ったのだけど、家の中は涼しくしてあるし、思い切って出ておいで。」
「嬉しいわ。ぼんやりしていたところだからお言葉に甘えてお伺いするわ」
春子さんは即座に決めた。歩いても七、八分バイクなら三分だ。

 Hさんとは子供が同い年で知り合いになったから、もう五十年近いお付き合い。
旦那様は銀行員で、春子さんのことが男?らしくて話が面白いから好きだと言ってくれる。
Hさんが春夫さんの淡彩画の会に入っていたので、こちらも気心のしれた間柄。
 特に定年後みんなが暇になってから、そして春夫さんが逝ってからは優しい二人に
随分助けられている春子さんである。

 春子さんは少し明るめの服にお気に入りのスカートで出かけることにした。
久し振りの訪問である。

 通されたいつものお座敷はひんやりとして、パッチワークが得意のHさんの作品がいっぱい。
テーブルクロスは藍色の糸で細かい刺し子模様。座椅子のクッション、壁のタペストリー。
その辺に置いてある小物もすべて手作り。こういうことの苦手な春子さんにとっては感心する
以外ない。こんなに部屋しっとり馴染んでいるのをとても羨ましいといつも思う。

 テーブルには小さな朱色の角盆に、ガラスのカップにワイン色の冷たい紅茶とレモン。
アイスクリーム。プリン。クッキー。が可愛らしく並んでいる。
 「可愛い。」上機嫌の春子さんと、ちょっと得意げなHさん。彼女の心配りが嬉しい。

 電話では時々話していたけれど、本格的なお喋りは久しぶりで、冷たい紅茶を頂きつつ
二週間ほど上京していた春子さんの話やら、東京から帰省していたHさんの次男一家の話
など、楽しい時間が過ぎて行く。
男の子ふたりのHさんはお孫さんが二人とも女で、何年かに一回会うくらいでは扱い方が
分からないと笑う。そうかもしれないなあと春子さんは自分のことを思ってみる。
 
 春子さんが行くとすぐ顔を見せて下さる旦那様がみえないので、どうしたのかと思って
いると、少し腰がいたいので休んでいるとのこと。 
「大好きな春子さんが見えてるのだから、食事の時は出てくるからね」とHさん。

 予定の時間にお寿司屋さんが来て食事の時間にはご主人も見えた。お元気そうでよかった。
もうすぐ八十五歳になるという。腰のほかにもそれなりに病気があるのだと笑うけれど
七十二歳になったばかりで逝ってしまった春夫さんのことをふと思い、今ここにいたら
どんなにいいだろうと、つい思ってしまう春子さんである。
 
 ここからは話上手のご主人の独壇場、政治、経済これからの我々年寄りの生き方。
時の経つのも忘れて楽しい食事会だった。
 「一人で食べてもつまらんでしょう。また時々ご一緒しましょう。私は出かけられないから
又来てくださいね゜。」

 優しい二人に見送られて外にでると、陽は落ちて涼しい夕風が心地いい。
 有難うございました。いい友人のいることを、幸せだと感じつつ、楽しかった数時間を思い
つい、ほほが緩んでしまう春子さんである。
 明日も暑そうだけど頑張ろう。こんなに元気をもらったのだから。

 





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春子さんの茶の間 その3 [短編]

 空梅雨気味の空を見上げてため息一つの春子さん。
自慢の紫陽花は葉っぱばかりがどんどん伸びて、少し前に一輪だけ寂しげに咲いた花が
そろそろ色褪せて来た。
 こんなのは初めて。
 毎年次々に大輪の花を咲かせてくれて雨に一入の感ありと、嬉しがっていたのに。
もしかして寿命?と不吉なこと考えたりする。
 
 もう二十年以上やっているシロアリ駆除の点検に業者が来た。五年毎に契約更改をして
毎年一回無料の点検に来て下さる。この辺りは湿気が多いということで太陽電池で動く
換気扇や扇風機も入れた。
 三十分ほど床下でトントン、ごそごそ作業して、汗みどろで出てこられるので、六月に
なって初めてエアコンを入れた。
 冷たいお茶を一口飲んで、早速タブレットに写してきた床下の状態を見せてくれる。
三年くらい前まではテレビに写していたから、これも進歩したのだなあと春子さん感服。
 「異常はありませんが所々湿気がひどく、土台のコンクリートにカビか来ています。」
はいはいと検査書に署名してすましている春子さん。いつまで住めるか分からないこの
家に余計なお金はかけないと決めている。
 「この団地で一緒に五軒くらいお宅と契約してた皆さんまだ続けていますか」
何気なく聞いた春子さんに
「あのそういうことはお知らせできないんです。個人情報になりますので。」
春子さんは呆れながらも黙っていた。
 これが?個人情報ってそんなに大したことではないのに。
近頃立て続けにこういう場面にであった。
 職場で社員の個人の電話番号を教えてくれない。歯科で春子さんの友人が治療に
来る日を聞いても教えてくれない。春子さんが紹介した人なのに。
 確かに電話に関わる詐欺など多いけれど、ここまでやるか。と笑えてしまう。
 
 世の中潤いなくなったなあ。人間を信じないということでしょう。少し方向性が
違う気がする。人間って本質的にもっと誠実で優しくて信頼していいものではないか。

 業者さんが帰ると、春子さんは茶の間のお気に入りの椅子にへたりこんだ。
何か空模様まで変な様子になり、じっとり汗も出てきて気分も悪くなって来た。
 
 平成も後一年足らず、ああ昭和はよかったと遠い遠い昔に思いを馳せる。

でもサッカーは素晴らしい、今ここに生きていてずっと応援してきた彼らの大活躍を
見られるだけでも幸せだ。
 ヨーロッパ旅行のフランスで、真夜中に着いたリオンの駅で春子さんが現地のガイド
さんに開口一番「サッカーどうなりました」と聞いたw杯フランス大会。
「負けたけど川口さんカッコよかったですよ。」
ニコニコ顔の美しいガイドさんのこと今もはっきり覚えている。

 やっぱり元気で生きているということは素晴らしいことかもしれない。
今夜は嬉しくて興奮して眠れない夜になればいいのに。きっとなる。

 冷たい麦茶を飲みながら春子さんの気持ちも大分穏やかに落ち着いて来ようだ。
 


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春子さんの茶の間 その2 [短編]

「きれいに咲いたねえ」「豪華だと言ってもいいくらい」「だってもう植えてから
四十年にもなるらしいよ」
 二階に行こうと階段を上がりか時、話声が聞こえた。
 春子さんはにんまり、玄関先のつつじの花に見入っている三人の顔が浮かんだ。
五月晴れの素敵な昼下がり、今出ていったら長くなるだろうと思いつつ、ドアを開けた。
「あら春子さんお出かけでなかったの」三人がにこにこしている。
「はい今日はお出かけの予定はありません」春子さんも少しおどけて応える。

 話題のつつじは直径半間はある大きさで、こんもりと傘を広げたようにブロック塀の
うえまで盛り上がって濃いピンク色の花がびっしり。
 春子さんも玄関の出入りについ立ち止まって見入ってしまうほど見事に美しいのだ。
南の道路に面していないのが残念なほど。
 春子さんの家は団地の東南のかどにあるので、東の玄関まで来ないと気づきにくい。
それでも気が就いた人がわざわざ見に来て、いろんな褒め言葉でこのつつじを愛でている
のを窓のそばで聞きながら、内心自慢たっぷり、嬉しくてたまらない春子さんである。

 このつつじは結婚した時、春夫さんの実家から小さな苗木を持ってきて二人で植えた
記念樹なのだ。
 なかなか大きくならなくて、花も咲かず毎年期待しすぎたからかなあ、などと話して
いた。長い年月にいつからか花が咲き木も少しづつ成長した。
 そして二人がこの木にばかり関わっていられない間に、こんなに大きく花が咲いた。
 特に春夫さんがいなくなってから一際きれいになった気がしている春子さんである。

 春子さんは上機嫌で三人を家に招きいれた。コーヒタイムにはもってこい。
三人は春子さんが心を許せる人たちだった。
 明るくて誰とでも付き合える人、とみんなはいうが、本当の花子さんはそうではない。
けっこう神経質で知らない人に話しかけることはまずない。
でも気心のしれた人となら、一人で喋っていると言ってもいいほど喋る。
 なぜか 春子さん自身にも理由は分からない。

 今日は三人いるからいつもの春子さんの茶の間ではなく、リビングへ案内する。

 

一人住いには大き過ぎるテーブル。真ん中にチューリップの花がガラスの花瓶に数本。
ゆったりした椅子が六脚。
 レースのカーテンも、海老茶色の地にオフホワイトの模様が美しいどっしりした厚手の
カーテンも、春夫さんが気に入って決めたものだ。
 大きな本箱には春子さんの本がびっしり。好きな古典の専門書から小説、最近奥の方から
前面に置きなおした「日本国憲法」かなり古びてみえる。
 ぼーっと座っているとき、前文と第九条を読み返している。
 ピアノの横の戸棚に控えめに家族の写真が数葉、一つの額にいれてたてかけてある
壁には春夫さんの淡彩画の額がいくつか掛けてあって、この部屋にしっくりなじんでいる。

「ここに来ると落ち着くよねえ。だから好き。」とМさん。五歳年下の優しい人。
「コーヒーも美味しいしね。」と同い年のSさんは一番長いお付き合い。
「前通るたびに春子さんいないかなあ」とつい思ってと笑うHさんは、ひとつ年上で陽気で
声が大きい。
三人とも春子さんが心を許しているいい隣人である。

 コーヒーが入って有り合わせのお菓子などつまみながら楽しい時間が過ぎて行く。
 春子さん以外は同居の子供さんがいるが、夫を亡くして遺族年金生活者の似たような
境遇だから、いいのかもしれない。
 でもみんなそれぞれ忙しくて、三人揃ってコーヒータイムなんて滅多にない。

 春子さんも一人になってもこういう隣人がいることはとても心強い。
いざという時頼りになる気がするのだ。

 それにしてもあのつつじの花は素晴らしい、人間で言えば花も恥じらう二十歳かと
誰かが言えば、いやいやあの妖艶さは....とまた花の話でもりあがる三人である。

 いつの間にか傾き始めたガラス越しの陽の光を気にしつつ、リビングに穏やかな
時が過ぎて行く。

 久し振りに賑やかで楽しい時間だと春子さんも幸せな気分の午後だ。

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春子さんの茶の間 [短編]

 激しい雨音が気になって眠れずにいると「ぽっぽ」古い鳩時計が一時をを告げた。
年のわりにはよく眠れるたちで、いままで寝付きが悪いと思ったこともない。
それなのにこの頃そうもいかなくなった。
 六十五歳を過ぎたころから友たちが眠れない話をするのを、よく聞くようになった。
そんな時春子さんは
「寝ようと思ったら三分で眠れるし眠ったら最後、朝まで目が覚めない」
と言って皆に呆れられたものだ。
 あれから何年過ぎたのだろう。

 目が覚めたらカーテンの隙間から明るい早春の陽が差し込んでいて、嬉しくなった
春子さんは飛び起きた。
「あらら朝ドラ終わってるよ」
 春子さんの日課は決まっていて、特に食事は規則正しく時間も決めてある。
 一人暮らしの気楽さで、のんべんだらりの生活はしたくない。
 それでも寒い冬は特別で、わりにのんびりラジオを聞いていてぎりぎり「えいっ」と
飛び起きる。

 朝食は茶の間で朝ドラを見ながら八時、昼食はニュースをみながら十二時、夕食は
ローカルニュースを見ながら六時。
 季節によって多少変わるけれど原則これを貫いている
 朝食の後片づけをしたら、一時間は新聞を読む。
経済面はざっと項目を見るだけで一面と三面記事は大見出しを見て関心のある記事には
さっと目を通す。
念入りに読むのは文化文芸とスポーツ。これでも結構頭の体操にはなる。
 本を読むのも心の通い合う友と長電話するのも、春子さんの好きなこの茶の間だ。

家事は最低限、必要不可欠以外は無理をしないと決めてある。元気が一番。

 若い時は友と連れ立って遊びに趣味に、たまにはカルチャースクールによく出かけた。
今はそれぞれ事情があって、お出かけもままならない。

 夫の春夫さんとも、彼が定年退職してからは、思いついたら即旅に出たし、絵を見たり
コンサートにも出かけた。
 それぞれの趣味にお互い干渉はしないが理解して、協力を惜しまなかった。
 
 子供たちも自分たちの思うままに、頑張っていたので春子さんたちに何の気掛かりも
なくこういうのを悠々自適というのかもと思ったり。

 夫の春夫さんと二人で過ごした約十年余は今考えると本当に 素敵な日々だった。
 春子さんは人が感心するほどさっと子離れできたし、心の片隅に「自分が一番大切」
という信念のようなものを若い時から持っていた気がする。
 我儘と言われても、それを春夫さんも子供たちも容認してくれていた....と思っていた。
 そして本当に自分の思う通りの人生が送れたと満足していた。
春子さん自身も心の底から幸せで、嬉しいことだと秘かに自慢に思っていた。
 でもそれは春夫さんという理想の伴侶がいたからこそだと一番良く分かっているのは
春子さん自身のはずだ。

 しかし、春子さんがそのことに気がついたのは、最愛の春夫さんが遠い遠いところへ
旅立った後だった。

 「思い知った」というべきか。「傲慢だった」というべきか。涙ながらの反省ばかり。

 春子さんのすべての景色が無色になった。
 ただ悲しさだけが虚しさだけが、寂しさだけが朝から晩まで、春夏秋冬春子さんに
ついて来た。

 長い時が過ぎて行った。
 この頃になってやっと、今でもいつもそばにいる春夫さんと春子さんは茶の間で
涙なしで昔話がいっぱいできるようになった。
 喋っているのはいつも春子さん。
 昔と変わらず、にこにこ優しい眼差しでその様子を見つめている春夫さん。

 一足飛びに桜が咲いて春がきた。

 茶の間の飾り棚に寄り添って嬉しそうな笑顔の春夫さんと春子さんの写真。
「おはよう」
 セピア色のそれに向かって毎朝春子さんは大きな声でご挨拶をするのが朝一番の仕事。

 今日も春子さんの茶の間から素敵な一日が始まりますように。

 このまま元気でいたいなあ。春子さんの贅沢な願望である。


 

 
 
 

 
 
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桐の花 [短編]

 少づつ登っている感じがして道も狭くなった。 車がやっと通れるくらいだ。もうそろそろ目的地に着くころだと佐保子は目を凝らす。 辺りは生い茂った木々の緑が美しく、開け放った窓から森の香りも飛び込んでくる。  道路を大きく曲がったところで真正面に薄緑色の建物が見えた。やっと着いた。 駐車場に四五台の車も見えた。  車を停めると佐保子はゆっくりと建物に近づいた。三階建てのスマートなそれは、 老人ホームには見えない。窓も大きくて華やいだ感じさえする。 「とうとうホームに入ったよ」三日前に祥子から突然電話が来た。彼女は昔の職場の 先輩で佐保子とは三つ違い。しっかり者で頭がよくて信頼できる人だった。  お互い結婚しても付き合いは続いていて海外旅行にもよく行った。  長い年月が流れ二人とも年をとった。それでも元気で特に祥子は腰や膝が痛くなって からも、兎に角行動派で、誘われれば一人でツアーに入って旅もした。  佐保子はそんな祥子を見ながら、ただ感心するばかり、「旅の途中で足が痛くなったら どうするのだろう」とか、「杖をついてまでよく行くなあ」とか.....。  そんなに元気だった祥子が昨年の秋救急車で運ばれたという。肺炎と心不全で足がたた なくなったそうだ。  知らせを聞いて駆けつけたら、一週間前に会った時の彼女とは別人の祥子が、点滴の 管などいっぱいつながれて、酸素マスクまでしている。 意識はあるものの、何を言っても頷くだけで、その様子に佐保子は動顛してしまった。  結局半年も入院してどうなることかと心配していたのに、少しづつ回復して四月には 退院して、一時的にべつの病院に移った。  その病院がよかったのか彼女の生命力が勝ったのか、退院できることになった。  しかし一人暮らしの祥子は自宅に帰ることを断念してホームに入る決心をした。  それはずっと前から考えていたことだったが、思っていたより早くなってしまった。  広い廊下、明るいガラス窓、応対してくれた職員も感じがよくて佐保子は内心ほっとした。 もっと嬉しかったのはベットで迎えてくれた祥子が本当に元気になっていたことだった。 「ねえ、元気になったでしょう。」  挨拶よりも先に祥子が例の甲高い声で言った。 この声何か月振りに聞いただろう。口もきけなかった頃、頷くだけの時、電話をしてももそ もそと何を言っているのか分かり辛かった頃。  先生もこの年で半年も寝ていると寝たきりになる人が多いですと気の毒そうに言ったのに。  佐保子は思わず走りよって祥子に抱きついた。十五キロ痩せたという体は頼りなくて、つい 涙が止まらなくなった。みると祥子もぽろぽろ涙をこぼしている。  目が会った途端どちらからともなく笑顔になりはっはっははと笑った。  よかったよかった。  部屋はトイレとスマートな洗面台。その隣のベットとのちょっとした区切りに小さい障子 が二枚。作り付けのクローゼットもゆったりしている。 部屋の感じがなんとなく素敵で、佐保子は今までに行った何か所かの施設と違う暖かさの ようなものを感じて嬉しかった。  祥子の終の棲家となるであろうこのホームは佐保子の中では合格だ。  夫に先立たれて子供もいない祥子とはそんな話もよくしたが、それはもっとずっと 先のことだと思っていたのに。  現実はあまり考える余裕もなく、病院からの直結を余儀なくされた。    市内でも一等地にりっぱな自宅があり生活に余裕もあるのに。 病気をしなかったら、そして夫がいたら祥子の老後はもっと違っていただろう。  でもこれだけ元気になったのだから万歳ではないか。  佐保子の頭の中で複雑な思いが堂々巡りをしていた。  祥子は今車いすもいらない。小さな手押し車を押して食堂へも談話室へも行けるという。 寝たきりにならなくてよかった。  ベットに腰かけた祥子と本当に長い間話をした佐保子。  大きなガラス窓から柔らかな午後の日差しが差し込んで二人は幸せだった。    そのガラス窓の向こうに緑色に茂った大きな木がみえた。 佐保子は目を凝らした。その木の間隠れに薄紫の花が見えた。  桐の花。祥子は毎日この花見ているんだ。佐保子はそっと胸に手をおいた。  ふたりの大好きな花、この花が咲く頃、思いついたら車でよく山道を走った。  見つけると車を停めてしばし眺めた。 近くに行くことはできなかったけれど、遠くから飽かず眺めた。  そして祥子は俳句を佐保子は短歌を苦しみながらひねり出した。 「ねえあれ桐の花よね。」 「そうそう、このホーム決めた第一はあの桐の花がここから見えたことよ。」  祥子は自慢げに佐保子に笑顔を向けた。  佐保子は祥子のこの笑顔がいつまでも続きますように。  もっと元気になって来年はまたいつかのように、二人であの山の桐の花を見に行けたら どんなに嬉しいだろう。  窓の向こうの薄紫の桐の花がなんだか潤んで見えた。
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面影草  終章 [短編]

 川岸の桜並木の花は蕾の先か゛膨らんで紅色が覗きかけいる。
水の流れは清らかな早春の日差しをいっぱいに流れている。
遥かな山の頂には、うっすらと残雪が見え、どこからか小鳥の囀りが聞こえる。
 まだ冷たい川風に頬をつつかれて我に返った。
 私はこの川原のベンチにどれ位座っていたのだろう。

 老後を楽しく思うままに....という私たち夫婦のやり方で自分流を満喫していた。
二人とも元気でまだまだ若いと思っていた。
 でも彼が生まれて初めての病に倒れた。それと気づかぬまま検査を受けた時には
もうなす術もなかった。
 だから苦しい検査も治療も何ひとつしなかった。
 彼は私の前では決して泣き言は言わなかった。いつも大丈夫そうな顔をして
逆に私を励ましてくれた。
 一か月で退院して自宅療養となった時も、気分のいい日は庭で簡単な剪定の仕方を
教えてくれたり、うどんの出汁を作ったり、私に看病という実感はなかった。
 私のしたことは、毎日の食事を心を込めて作ることだけだった。
 二人ですごした最後のあの大切な日々、もっと彼のために為すべきことがあったの
ではないか、今も私の心の底にその思いはずっと重く悲しく沈んでいる。

 その朝少ししんどいと言うので、急いできてくれた弟の車に自分で歩いて乗った。
そしてそのまま入院して様子を見ることになり、緊急事態ではなくてほっとした。

 その明け方先生も予測できないまま、突然彼は本当に安らかに旅立ってしまった。

 あの時彼の手をしっかり握っていた最後の別れから、私は一滴の涙も流していない。
いや涙は出なかった。人は本当に悲しい時、涙は出ないものだと身をもって知った。
 彼が逝って半年も過ぎた頃朝のお参りをして、何気なく彼の写真を見た時突然涙が
溢れた。
 少し笑っているあの眼差し。彼に関わった半世紀近く私は満足していた。
でも彼は.....私は彼の望んだような妻だったろうか。
 いいえ我儘で意地っ張りで、ちっとも優しくなかった。
私は後悔の念に苛まれた。今更もう遅いのに。
 彼がいなくなって初めて出た涙。止まらなかった。それから毎日泣いた。涙って
どの位あるのだろうと本気で考えた。
 食事もしない、眠れない、どこに居ても何を見ても彼の姿がついてくる。
 ある日ふと思った。彼が今の私のこんな姿を見て喜ぶだろうか。悲しいに違いない
どんなに心配しているだろう。

 私はうつ病の一歩手前で踏み止まった。
子供たちや兄弟、友人たちの励ましに支えられて少しづつ自分を取り戻していった。

 春が何度も巡った。
 毎朝一番に大きな声で挨拶をする「おはよう!」彼はいつもにこにこ現れる。

 遠い遠い日初めて二人がデートしたあの川原に座っている。
町の様子はすっかり変わった。でも自然は昔のままここにある。
 そして彼もあの日よりは少し年を取ったけれど、今確かに私の隣に座っている。
 「絶対に待っていてね。もうすぐ会えるから」

 淡い青い春の空、桜の花が川岸を桜色染める頃、私又ここに立っているのだろう。

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面影草  15 [短編]

彼と私のそれぞれの生活が始まった。理由もなく単身赴任してもらっていると
いう後ろめたさはいつしか消えて、私は一人を満喫していた。
 私の母が近くで一人暮らしをしていて、毎日のように様子を見にいっている
ことが私のなかでは少し心の負担を軽くしてくれていたのかもしれない。
 こういった生活について、彼も特に不満を口にはしなかったし、私も訪ねた
時の彼の仕事ぶりに安心していた。
 休暇が取れると二人でよく旅をした。私の母も連れ出して車で、列車でそして
飛行機で。
子供たちも東京に居を構えたので春や秋に誰からともなく話が出て、家族揃って
旅に出たこともあった。
 その合間を縫って私は古い友達と海外にも出かけた。
彼は外国は嫌だと笑って、一人で出かける私をのために空港までの送り迎えを
してくれた。
 私は結局彼が退職するまで彼と一緒に暮らすことはなかった。
二人ともその距離感の心地良さに慣れてしまっていたのかもしれない。
 
 彼は定年まで働いたら即リタイアして、のんびりと余生を送りたいといつも
言っていた。
少し早めに退職すれば後四年か五年関連事業に就職する道を殆どの同僚は選んだ。
 彼は言葉通りきっぱりと職を辞して嬉々として五年振りの我が家に帰って来た。
 本当にお疲れ様でした。家族のために頑張ってくれた、健康だったし離れていても
私たちに何ひとつ心配をかけることもなく、私は感謝の気持でいっぱいだった。
 二階の自室に運び込んだ荷物の多かったこと。彼が欲しがっていたものすべて
揃っていた。多趣味の彼がこれからここで過ごす日々には充分過ぎるほど。
 私は二人で頑張ったあの若かった日々、励ましあって切り開いて来た我が家の
歴史を胸が痛くなるような感動とともに思い起こしていた。
 彼は感傷に浸る間もなく乞われて町内会長を引き受け、あっという間に「浦島」
状態から抜け出て、いろいろな行事もこなして生き生きと毎日張り切っていた。
 私は何だか遅れてきた新婚気分で、今までの罪滅ぼしとばかりに頑張った。
 彼は自分流を貫き庭の手入れ、日曜大工、家の中の不具合は何でも修理できた。
趣味の切り絵も年に一回の東京上野での展覧会には大作を出品した。上京すると
一週間くらいは滞在して子供たちと温泉へ行ったり「命の洗濯」を忘れなかった。
 ハーモニカも教室の仲間と発表会に出たり、お年寄りを慰問したり楽しそうに。
若い頃から好きだったクラシック音楽や、演歌も好き、歌えば結構上手だった。
 版画、スケッチ、篆刻、まあなんて多趣味、私はただあきれ返ってみていた。
 穏やかな日々が静かに流れて、彼が夢に描いていた余生は永遠に続くものだと
私は信じていた。


 

 


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