平成シニア物語  通り雨 [平成シニア物語]


 夜桜見物の人たちでざわめく公園を横切って、電車通りに出たところで若菜は
ほっと小さく息をはいた。
 還暦を迎えて開かれた高校の同期会は、久し振りのこととて故郷の街へ大勢
の友が帰ってきて盛会だった。
そのまま会場をホテルのバーに移して、二次会が始まるようだったが飲めない
若菜は一人で帰途についた。
 九時過ぎだと思うのに電車は満員で、若菜は端の方にやっと腰かけて、目を
向かいの席にやった時あっと声を上げそうになった。吾朗だ。彼も同時に気が
ついたようで、思わず二人は頭を下げた。
 吾朗は二次会に行かなかったのか.....、それにしても彼はどこへ行くのだろう。
電車が止まる度に人が乗ってきて、お互いの姿を遮ってしまった。
若菜が電車を降りようとして席を立った時、前の席に吾朗の姿は見えなかった。
挨拶くらいはしたかったのにと思いつつ、駅を出て歩き出した時すっと人影が
若菜の前に立った。吾朗が目の前で笑っていた。
 「あらためてこんばんは」彼はおどけたように言ってペコリと頭を下げた。
「ああびっくりしたわ、どうしてここに」「勿論若菜君ともう少し一緒にいたかった
から」「冗談ばっかり」駅前のロータリーで二人は声を合わせて笑った。
 会場で二十年振りに会った時は、お互い年を重ねたなあ、と思いつつ、元気
ですか、と挨拶を交わしただけだった。
 若菜と吾朗は高校生の時、ほのかに想いを寄せ合っていた。でも黙ってさよ
ならしてしまった。
 吾朗は東京の大学を卒業して、そのまま帰ることはなかったし、若菜は地元
の短大に進んだので、この前の同期会で再会するまで音信も途絶えていた。
 二十数年ぶりに会った時、若菜には夫と二人の子供がいたし、吾朗も結婚
していた。
 「あれから十八年振りなんだってね。」吾朗が感慨深げに言う。「よかったら
その辺でお茶でも飲まないか」
 もうここから若菜の家まではタクシーで十分くらいで、少々遅くなっても大丈
夫だと若菜は思った。
「ええすぐそこに素敵なお店があるのよ」二人は連れ立って喫茶店に向かった。
 若菜の脳裏に一瞬、あの四十数年前の切ない想いが甦った。
 恋というほどのものでなかったとしても、図書館で一緒に本を読んだり、郊外
の森へ植物採集に出掛けたりした日々の思い出が、若かった二人の姿に重な
って、若菜の胸を少しだけ熱くさせた。
 店内は照明も明るくて数人の人がいた。二人は窓際のゆったりした椅子に
腰を下ろした。
「若菜君はとても若くて、この前あってからあまり変わってないなあ。」少しお酒
の入っている吾朗はうっとりとして目で若菜に言った。
「止めて下さい。私たち同級生で、それに私もう小学生の孫がいるんですから」
若菜は悪戯っぽく笑う。
「そうなんだ、僕が白髪頭になるはずだよなあ」と吾朗はまじまじと若菜の顔を
見つめた。
 吾朗は今日若菜に会った時からこのまま別れたくない思いがあった。ただの
懐かしさだけではない何かが、彼の背中を押した。
だから若菜が二次会に出ないのを見届けてから先に会場を出た。
 電車に乗るはずの若菜を待って、同じ電車に乗った。だから「若菜ともう少し
一緒にいたかったから」という吾朗の言葉に嘘はなかった。
 彼は商社に勤めているが定年になったら、故郷に帰りたいと考えていたが・
その思いは東京がいいと言う妻子によって一蹴された。
 吾朗が故郷を思う時、いつも高校生の若菜がいた。肩までの髪を三つ編みに
して水色のリボンで結んでいた。笑顔が愛らしかった。
 この前の同期会で卒業以来初めて会った若菜は、彼の想像以上の素敵な女
性になって吾朗の前に現れた。
 でもあの時は忙しい仕事を調整しての日帰りで同期会に出ていたので、吾朗
の気持ちの中に余裕もなかった。何故か二人で家族の話などしたような記憶
だけが残っていた。
 「吾朗君今仕事は?」若菜の声に吾朗は我に返った。「去年から子会社に行っ
てる。本当は仕事を止めてこっちへ帰りたかったんだが、まだ仕事を止めて貰
っては困ると奥さんに叱咤激励されてね。」冗談とも本当ともつかぬ口調で吾朗
は言った。「本当よね。まだ若いのだから。吾朗君はこちらに帰って何かやりたい
ことでもあるの。」「具体的には何もないけど、ただ余生はのんびり生れ故郷でと
思っただけなんだ。やっぱり我儘かなあ。」
 若菜は吾朗君ってロマンチストだなあ....と思った。この長寿の時代、六十歳で
のんびりしていられる人なんていないよ。若菜の夫の久志は六十五歳の今でも
第二の職場で頑張ってくれている。そしてそれを当然と思っている自分がいる。
 私たちはなにをしているんだろう。こんなところで現実的な話をしている。
 若菜は可笑しくなって吾朗を見た。
吾朗も何だか変な気持ちで落ち着かなかった。少し冷めてしまったコーヒーを
同時に飲んだので、ついふたりはくっくっと声を合わせて笑った。
 吾朗は若菜とお茶でも飲んだら、若かった頃の思い出話に花が咲いて、何と
なく甘い雰囲気が味わえるのでは.....と期待していた自分を、今さめた目で見て
いた。
 時々夢に現れる若菜とこうして少しの時を過ごせたことでよかったではないか。

 窓の外に目をやるといつの間にか雨が降り始めていて、濡れた舗道が街の灯
に潤ん見えた。
 吾朗はもう一度窓にもたれて雨を見ている若菜の顔を、じっと見つめた。



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コメント 6

左見右見

どうなるのだろう?
十歳年下の吾郎君 ついわが身に置き換えて
妄想の世界に 女性はあまり夢を見ないのかも
知れないな?下世話な男がここに居ます
by 左見右見 (2012-11-20 09:27) 

dan

少しは元気になられましたか。
このお話はこれで完結。後は読む人に任せて
それぞれの結末につなげて頂けたらと、虫の
いいこと考えています。有難うございました。
by dan (2012-11-20 10:47) 

ENO

それなりに読ませて頂きました。
これから先…
果たしてその結末は・・・
NICE ありがとうございます。
by ENO (2012-11-20 11:17) 

dan

コメント有難うございます。
読んで下さって光栄です。
イチローさんはWBCの顔だと信じている私は
残念でなりません。
by dan (2012-11-20 16:34) 

リンさん

結局「あの頃」に戻ることはないんだろうなと思いました。
だけど吾郎さんにこんなに思われるなんて、若菜さんは魅力的なんでしょうね。
余韻を残した終わり方。
いいですね。想像して楽しみます^^
by リンさん (2012-11-20 16:53) 

dan

有難うございます。
「あの頃」に戻りたい年頃なのです。人生もう先が
見えてきて、いろんな責任から解放された時、人は
ロマンチストになるのではないでしょうか。

by dan (2012-11-21 10:29) 

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