公園の桜が満開になりました [エッセイ]

 澄み渡る春の空を、満開の桜の花の下に入り込んで覗くのが好きです。
 
 コロナウイルスのために鬱陶しい毎日が続いています。
 毎朝知事さんが当地のコロナ感染者の様子を報告して下さって、感染者やその関係者の
ことも発表されるので、不安もそんなに切実ではありません。
 それなのにマスクも消毒液も、トイレットペーパーさえ売り切れて、そこそこ買いだめを
している人もいるようです。
 
 私が通っているいくつかのカルチャー教室もすべて休講の通知が来ました。
 行けるところは病院だけと言う人もいますが、残念?と言うべきか私病院にも縁なし。

 で近所の年の離れた仲良しと二人で近くの公園へ桜見物に出かけました。
 歩いて十分余り昔から市内の桜の名所のひとつで有名なお寺のある小高い山です。

  昔は我が家の縁側からその桜が見えて、満開になったら見物に行ったものです。
 ところが今は家やマンションが建ち並びその山さえ見えません。

 いつもならこの時期お花見の団体でいっぱいなのに、今日はニ、三人の人影だけ。
ベンチに腰掛けて桜を仰ぎ見ます。

 そして、私はその澄んだ空の向こうに確かに夫の面影を見つけてしまいました。

  ずっとずっと昔二人でここに来た時のことが、体中に溢れてきて隣に友だちがいるのさえ
忘れてしまっていました。

 
 あの日私たちは三年に余る交際期間を経て結婚の決意をし、彼が私の両親にその報告と
許しを得るために家に来た日でした。
 離れ住んでいた私たちの逢うのは月に一度あればいい方で、彼の仕事の都合で二か月振りと
いうことも珍しくありませんでした。
 ただ毎日綴った日記のような文通は家族が呆れるほど、定期便のように届きました。 

 二人の様子を見守ってきた父母はにこにこして、父が言った言葉を今も忘れてはいません。
「二人で自分たちの描いた地図の通り、明るく真っすぐに歩いて行きなさい。若者らしく」
 もともと父大好きの私でしたが、この時の私は本当に誇らしい思いで彼の目を見ていました。

 そのあと嬉しくて二人は五キロはあるこの公園まで歩いてきたのです。
その時の写真を見ると、公園の桜の木はどれも一メートル位。そうもう半世紀も前のことだもの。

 あの時私たちの新居がここに建つなんて思ってもみなかった二人でした。
 ご縁、運命、何はともあれ今は本当に良かったと思っています。

 あれ以来桜が咲いたら町内会の花見、親戚が来たらお弁当持って、私の親友三人組でも何度か。
でも残念ながら二人で桜を見た記憶はありません。

 思い出に浸ってしまった私、ごめんなさいと心の中で謝りながら満ち足りた気持で友だちに
感謝。

 吹く風さえ心地いい桜満開の公園。
 しばらくコロナウイルスのことも忘れて。
 この桜が散って若緑の葉桜が美しくなる頃には、きっと平和な初夏が訪れますように。
 
nice!(4)  コメント(2) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。