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鈴のふるさと 学生時代 1 [鈴のふるさと]

 街に来てすぐ転校する中学校へ行った。何故か父と一緒に行くのが恥ずかしくて困った。
村の学校はニクラスだったのにここは五クラスあると聞いただけで足がすくんだ。
 そうでなくても田舎から来て勉強も随分遅れているのではと、鈴は足が重かった。
校長室には年配の女の堀本先生がいらして、
「この学校で一番厳しい先生です」と校長先生に紹介されて鈴はますます小さく縮こまった。
 でも鈴を見る先生の目は優しくて、鈴も思わずにっこり笑ってしまった。
 
 教室には男女五十余人の同級生が待ち構えていて、興味深々。この頃には鈴も朦朧としていて
何が何だか分からぬうちに、教壇の上に立たされて先生が紹介して下さった後一言いいなさいと。
 震えながら「よろしくお願いします」と小さい声で言った。
 すぐに授業が始まり、待っていた英語の先生がペラペラといったら窓際の生徒がさっと立って
窓を開けたので鈴はとうとう越しが抜けたように、椅子にへたり込んでしまった。
 
 これは大変なことになった、よりによって多分一番学力差があるだろうと思っていた英語が
初日の授業だなんて「運」が悪いのにも程があると、鈴は生きた心地がしなかった。
 それでも授業が終わると、先生が決めて下さった私担当の典子さんがすぐに席に来てくれて
 「家は近いし分からないことは何でも聞いてね」と言ってくれ鈴は初めてほっとした。
 彼女とはそれからずっと大人になってもいい関係が続いた。

 鈴が猫をかぶっていたのは一週間位で、すぐ本来のお転婆さんに戻って楽しい中学生活が
続いた。
 秋に転校したのですぐ運動会があり、その後先生に勧められてバレー部にも入った。
田舎の学校でパスくらいはしたことがあったけれど、全くの初心者なのに背が高いというだけで
 「前衛のセンターやりなさい」と言われ毎日毎日トスを上げる練習。
まるでオットセイのように鈴は黙々とトスを上げ続けた。
 
 三学期に入って鈴の学校で家庭科の研究会があり市内の先生方が大勢いらした。
その時も担任の堀本先生が「研究授業」されるので鈴たちはその日のために勉強やら、先生の
接待やら係を決めて放課後も準備に奔走した。
  
 家では父母や弟妹達もそれぞれ自分たちの居場所に慣れて、狭いながらも小さな家で明るく
楽しい毎日を過ごしていた。

 年が明けてもう春には鈴も三年生、この半年でお城があり、温泉があるこの素敵な街のことが
皆大好きになって、それぞれが夢をもって頑張るのだと鈴も張り切っていた。

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鈴のふるさと 学生時代 [鈴のふるさと]

 鈴は父の転勤のため故郷の村を出て大きな街にやって来た。

五時間も汽車に揺られてトンネルをいくつもくぐり、紅葉した山の木々いつまでも続く青い海。
 鈴はこの旅を退屈することなく希望と好奇心でいっぱいだった。
母に時々睨まれるほど弟妹とはしゃいでいた。
 
 父から住む家が小さいことだけは何度も聞かされていた。
 大きな街は戦争でやられ焼け野が原になったのだと聞かされていた。

 汽車を下りて駅前の広場に立った時、鈴は言葉が出なかった。
弟が痛いと言うほどその手を握りしめていた。

 高い建物はひとつもなく、た焼け野が原の街に電車の線路が真っすぐに延びていた。

 やって来た電車で官舎のある所まで十五分くらい。
「お父ちゃん小さい家はこの電車くらいの大きさ?」小さい声できく鈴に父は頷いた。

 これから鈴たち家族七人が住む家に着いた。

「大きいじゃない」鈴は思った。......のだけど。
 
 荒壁に灰色のセメント瓦、ちゃんとした家だ。官舎なのだから。
ここに来る道々見たどこの家より立派だと思った。
 
 入り口を入ると割に広い土間があり、奥に畳の部屋が六畳と四畳半。一間半のふすまのない押し入れ。外の小さな廊下の突き当りにお便所。
 台所は入口の土間の横に井戸がありポンプがありセメントの洗い場があった。

 十四歳の鈴は嬉しいような泣きたいような複雑な気持ちで、今まで住んでいた村の大きな
御殿のような家を思い出していた。

 父の職場の人が待っていてくれて、手造りのおはぎを沢山下さった。
 その美味しかったこと、このことは鈴たち家族の後々までの語り草となった。

 一応家財道具が届くまでここには住めないので、職場が用意してくれた温泉の近くの
小さな旅館に住むことになった。
 
 ここに滞在した十日ほど、父も仕事が休みで転入や子供たちの転校手続で忙しかったが
 旅館のご飯を食べて毎晩入る温泉に鈴は満足して、やっばぱり街はいいなあ。
 みんなの顔もぴかぴかして、とても幸せな鈴だった。

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鈴のふるさと  おわりに [鈴のふるさと]

 鈴が六年生になった時初めて男の先生が担任になった。
今まで優しい女の先生ばかりだったので、鈴は少し不安だった。
 初めて教室に現れた先生は、お父さんくらいの年の広野先生だった。
先生は黒板に大きく「広野幸雄」と自分の名前を書いて、自己紹介をすると
にこにこと皆の顔を見まわした。
そして初めに皆さんに話しておきたいことがありますと、はっきりとした口調で
語りかけた。
「長い戦争が終わって二年余り過ぎました。平和な世の中になって静かに勉強
出来る皆さんは本当に幸せです。これからは下級生のお手本になるような六年
生になりましょう。
 先生が今日特に皆さんにお話ししたいのはこれからは女子も一人の人間として
しっかり勉強しなければいけないということです。大人になってこれからの日本を
作っていく子供を産む女子の皆さんは賢くなくてはいけない。
 これからは男子に負けないようにしっかり勉強して下さい。そのために先生は
何でも皆さんの手助けをしたいと考えています。一緒に頑張りましょう。」
 教室はしーんと静かになり皆真剣に先生の言葉に聞き入っていた。
頬を紅潮させながらも静かに話す先生の言葉は、素直に鈴の胸に響いた。
皆は広野先生と、思い出に残るような素晴らしい六年生を過ごした。
 この後鈴はこの時の先生の言葉を忘れることはなかった。

 鈴は中学生になった。といっても一緒に進級する顔ぶれは変わらず、運動場の
向こう側にある中学校の校舎に移るだけである。
 ただ大きな変化は、いままで女子組一クラスだったのが、男女共学の二クラス
となり、鈴たちは生まれて初めて男子と机を並べることになった。
 何故だか鈴は勇気が出て来て、男子になんか負けないぞ!と密かに思った。

 一年生の夏休みの宿題、理科の自由研究で鈴たち女子ばかり五人の仲よしは
色々考えた末、村の大きな岩田池の土手の「植物採集とその分布図」を作ること
になった。
 この池の土手には四季折々の草花が咲き、花を摘んだり、土手を滑り下りたり
夏には浅い所で、キャーキャーと泳いだり水遊びをして子供たちには天国だった。
 大きなとりのこ用紙に、調べた植物の分布図を記号と色別けで書きこみ、採集した
植物の標本を張り付けた。
 暑い太陽の下で、教室で、五人の夏休みの半分はこの研究に費やした。
出来あがった自分達の作品にやり遂げた達成感があり、五人は満足だった。

 秋きも終わりに近づいた頃五人は理科の安藤先生に呼ばれた。
この研究が郡の代表に選ばれ、県大会で入賞したという。先生は嬉しそうに、内緒
にしていたことを詫び、いまさらのように五人を褒めてくださった。
思いがけない知らせに鈴たちは嬉しさが爆発して真夏の暑さの中での努力が認め
られたことが嬉しかった。そして先生の周りで何回も万歳を繰り返した。

 その表彰式と展示発表会が隣のK市であるので、先生が連れて行って下さること
になった。といっても当時のこと交通手段は自転車しかない。おまけに先生はK市に
住んでいるので、゜「五人でいらっしゃい大丈夫かい」などと人ごとのようにおっしゃる。
K市までは二つの村を通って自転車で一時間はかかる。鈴たちにとってはかなりの
強行軍だったが、誰ひとり行かないというものはいなかった。
 澄み渡った青空の下、大声で歌を歌ったり、丘の上でおやつを食べたり遠足気分
で楽しかったが、二時間近くかかってやっと会場についた。
 会場には生徒たちの力作がずらりと並び、高々と掲げられた自分たちの作品に
五人は心の底から感動した。
 表彰式も終わると安藤先生が、待ちかまえていて近くの食堂でご馳走して下さった
かけうどんの美味しかったこと。
 大人になってからもこの話になると「あんな美味しいかけうどん食べたこと無いね」
みんなでよく笑った。

 三学期に入って鈴の父が、隣県の大きな街に転勤になり、鈴たち家族も春には
転校することが決まった。
 あの秋の自転車の旅が、鈴たち仲よし五人組のお別れ会となったのである。

 生まれてから大人の入り口まで、鈴が過ごしたこの村は四季の自然の移ろいが
ゆるやかで美しく、人々は明るく優しく鈴にとっては桃源郷であった。
 ここで祖父母たちの初孫、父母の長女として生まれた鈴は本当に大切にされた。
豊かではなかったが、いっぱいの愛情に包まれていた。
 その暖かい故郷を離れ、やさしい祖父母や恩師、友だちと別れて船出する鈴たち
一家は見知らぬ街のどんな港に着くのだろう。
 尊敬する両親と弟妹たちで暮らすその街へ、鈴は大きな希望と好奇心いっぱいで
踏みだそうとしていた。

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鈴のふるさと  秋祭りと百人一首 [鈴のふるさと]

 夏休みが終わる頃から秋祭りの太鼓の練習が始まる。
 鈴の村のお祭りは、絢爛豪華な太鼓台と十八の部落に一つづつある獅子舞と
四年生か五年生の男子がたたく太鼓が主役だ。
 各部落から選ばれた男の子たちは、夕食を済ませるとそれぞれの稽古場で
みっちり太鼓打ちの練習に励む。二つの和太鼓を二人の打ち手が巧みなばち
さばきで、たたくのだ。この稽古は青年団の人やお年寄りの役員たちによって
毎晩のように行われる。
 鈴はこの音が聞こえて来るとわくわくして、お祭りが待ち遠しい。ただ残念な
ことに、祭りの花形の太鼓打ちには男の子しかなれないのだ。今年は弟が選ば
れて、自慢そうに稽古に出かけて行くのを羨ましそうに見送る鈴だった。
 約二カ月の特訓で彼らは踊りながら太鼓を打つ七、八種類の所作を完璧に
覚えなければならない。鈴は時々その練習を見に行っては、ああ自分には出来
ないかも....と頑張っている弟を誇らしく見つめていた。
 広場では鉢巻すがたの青年団のお兄さんが獅子舞の練習をしている。赤い
大きな獅子頭を操る人と、後ろに入って獅子の後ろ脚を頑張る人。休みの時
中から出て来た二人はびっしょりの汗で息を弾ませ倒れこむように横になる。
 獅子は二人の打つ太鼓に合わせて踊るのだから大変だ。十四、五分はある。

 祭りの当日、獅子舞いと太鼓打ちは朝から部落の家々を二三軒に一回の
割合で回るのだ。二日かけて一回りする勘定になる。時々休みながらとはいえ、
相当の重労働である。
 太鼓打ちのふたりはきれいに化粧して金銀の花笠をかぶり、着物には五色
のたすきをかけ、博多の袴をはいて白い緒の草鞋の出で立ち。手には赤い
毛の房が着いたバチを持っている。
 その姿はまるで絵のように美しく可愛い。鈴はこの姿に憧れたのだろう。

各部落で同じことが行われ、二日目の夕方神社の境内に全部落が集合する。
そして一斉に獅子舞と太鼓が奉納される。それが終わるといよいよ神輿が宮入
をすることになるのだが、それを太鼓台「ちょうさ」が邪魔をして追っかけまわす。
ドンドンドンと太鼓台に乗った少年が叩く大太鼓の音が、かなり広い境内に響き
渡り、見物の村人たちの興奮も絶頂を迎える。
恐いくせに鈴も仲間たちとキャーキャー言いながら、朝から着ている晴れ着の乱
れを気にしつつ、祭りを堪能した。
 日の暮れるころやっと神輿が本殿に納まり、皆は家路を急ぐ。
夜は最後の晩餐、大人も子供も、ご近所も皆で楽しくご馳走に舌鼓をうった。

 鈴にとってこの村の祭りは、大人になって見たどこの祭りより素晴らしく、華や
かで、暖かくて忘れられない素敵な思い出となった。


 お祭りが終わると盆地の村には足早に冬がやって来る。
 鈴の家の隣にこくちゃんの家があり、そこには女学校に行っているお姉さんが
三人もいて、夜には友だちが大勢集まって話したり、歌ったり楽しそうだった。
鈴も時々こくちゃんに呼ばれて、仲間には入れなかったがなんとなく大人ぶって
その様子をみていた。
 お正月に行った時、座敷で賑やかな声がして鈴が覗いてみると、晴れ気を着た
お姉さんたちがかるたをやっていた。鈴が知っている「いろはかるた」ではなくて
読み手が節をつけてお経のようなものを読むと、皆はキャアーキャアー言いなが
ら、目の前に広げられた、ひらがなだけが書いてある札を取りあった。
 鈴は初めてみるかるたに見とれた。特に読み手が持っていた札の美しさに驚
いた。きれいな着物をきた昔のお姫様や、お殿様、お坊様、こんなかるたもある
のだと、鈴の好奇心はむくむくふくらんだ。
 その夜飽きもせず見ている鈴に美代子さんが「鈴ちゃんかるた面白い?好き
なら、時々やっているから又呼んであげるよ」と言ってくれた。
 その後鈴はこくちゃんが呼びにきてくれると飛んで行った。初めは見ているだけ
だったが何回も行くうちに、美代子さんが「鈴ちゃんもやってみなよ」と言ってくれ
たので、鈴もその気になってきた。初めは何が何だか分からなかったお経も、教
えられて昔の有名な歌人の歌だと知った。
 鈴ははまった。その冬は隣りに通いつめて、いつも付いてきた弟とともに、何枚
かは取れるようになったし、十八番も出来た。
 「ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは」
意味などもちろん分からなかったが、鈴が一番に憶えた札だった。
 この冬の思い出はなかなか忘れられなくて、この百人一首との出会いは、その
後の鈴の趣味の方向づけに不思議な縁をもたらしたような気がする。

 鈴が中学二年で転校した大きな街の学校に、「百人一首」の大会があると知っ
た時、引っこみ思案の鈴に天から大きな力がおりてきたような、わくわくしたのを
鈴は今でも覚えている。 
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鈴のふるさと  夏の夜遊び [鈴のふるさと]

 夏になると大人たちは庭先や、通りに面した広庭に縁台を出して、食後の
ひとときを楽しむ。
将棋をさしたり、仕事のはかどり具合を話したり、でも女の人はあまり出てこ
ないのに、ふうちやんはいつも縁台の端っこに座り空を見ていた。
若いのに旦那さんか戦死して一人で里に帰って来たのだ。
 鈴たち子供には夏休みの夜はとりわけ楽しかった。少々外にいても早く
寝なさい、なんて言う親はいなかった。
 農家の前の広庭で、月の美しい夜は「影踏み」をする。じゃんけんで鬼を
決めたら「よーいどん」でいっせいに思い思いの場所に走る。
そして鬼に自分の影を踏まれたらその子が鬼になって、息も絶え絶えに逃
げまくり時のたつのも忘れた。みんながふらふらになるまで止めなかった。
 そのころ鈴たち独特の遊びがあった。恐いくせに面白くて鈴は好きだった。
 「ぺた」 村に初めてアイスキャンデー屋が出来るのだといって四角い箱
のような家が建った。ところが土壁を塗っただけで、工事が中断した。中に
間仕切りもなくて、一間ほどの入り口の戸を閉めると中は昼でも暗い。
 そしてここは鈴たち子供にとって絶好の遊び場になった。
こくちゃんが考えた「ぺた」は、鬼以外の人はこの家に入って、思い思いの
格好で壁や地面にぺたりとへばりつく。「よおしっ」の声で鬼はそろそろと
入って戸を閉めると、ほとんど何も見えない。少し目が慣れて来ると何と
なく人の気配はわかるので、手探りでそろそろと近づいてくるのが皆にも
分かる。皆はほとんど息もしないでじっとしている。
 この時の闇の世界、ただ荒壁の隙間からかすかに明りもみえて音のな
い空間は恐いくせに鈴は何だか好きで、鬼の気配を感じながら、じわっと
場所を移す。「キャー」一番小さいゆうちゃんが大声を上げ鬼につかまった。
途端にみんなはホッとして手を叩きながら月明かりの外へ飛び出していく。
 夏の大イベントは「肝試し」。丘の上にある源宋寺が舞台だ。表門から
墓地を抜けて裏門まで、子供の足で七、八分だかその道のりの遠いこと。
 青年団のお兄さんがおばけ役で、棒きれに白い布をつけて急に眼の前
でゆらゆらさせたり、一つ目小僧の面をつけて割烹着をきて「お化け~」
と奇妙な手つきで「おいでおいで」をしたり、敗れ提灯の蝋燭を遠くで降っ
てみせたり。
 毎年出るお化けは他愛のないものと決まっているのに子供たちは恐が
り、それでも全員が参加する。
鈴が手を引いている一年生の陽子ちゃんは、そのつめが鈴の手のひらに
食い込むほどに握りしめ、表門をはいった所でもう泣いている。
 鈴も頭では分かっていても、立派な大きな墓石の側を通る時は思わず
目をつぶってしまう。時折風が吹いたりすると、皆が一斉にキャーと声を
上げて走る。
 源宋寺のおじゅっさんは、子供たちが神聖な墓地で遊ぶひとときを大ら
かな心で見守って、許していてくれたのだろう。
 「肝試し」が終わると鈴たちは沢山のお菓子をご褒美にもらった。

 戦争が終わってからの鈴の村は穏やかで、ゆったりした時が流れ子供
たちにとって、忘れることの出来ない思い出をいっぱい残してくれた。
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鈴のふるさと  おやつ戦争 [鈴のふるさと]

 戦争は終っても鈴の田舎でさえ食料事情はきびしかった。
まして子供たちのおやつなんて論外、お菓子などには滅多にお目に
かかれない。
 それでも子供は知恵を絞って自分達のおやつの調達に余念がなか
た。
 鈴の村では養蚕が盛んで桑畑も沢山あった。春が終わる頃桑の実は
緑の葉っぱの間で色づき始め、黄色から赤く最後には黒褐色になる。
その頃を見計らって鈴たち一向はそろって桑山に登る。
先頭を行くのはこくちゃん、鈴よりひとつ年上た゜が頭が良くて仲間は皆
彼を尊敬してしいた。はじめさん、豊美ちゃん、ゆうちゃん、かずちゃん
と鈴の弟のみっちゃん。
 子供の足でも三十分も歩くと汗だくになりながらも桑畑に着く。
我先にと桑の実に飛びつく。子供の手の届くほどの高さに、木にもぶれ
付くように、黒々と光る実がいっぱい。
 しばらくは声を発するものもない。実を十個ほども食べると一息ついて
果汁で真っ黒になったお互いの口の回りを指さして笑い転げる。
 鈴は少し落ち着いて一番大きな黒い桑の実をほおばると、何とも甘い
香りと共に口のなかでとろける果実の美味しさにやっと気付くのだ。
 しばらく山で鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしてから、自分の駕籠に
それぞれが好きなだけ実をもいで帰った。でも誰ももうそれを食べたい
とは思わなかった。あのお土産は大人たちが食べたのだろうか。

 ある日の午後、ゆすら梅が熟れていると豊美ちゃんからはじめさんに
報告があり、こくちゃんと鈴と四人でとりに行くことになった。
 しかしこのゆすら梅は、おぬいばあさんの家の鶏小屋の横にありその
枝はのびて実は丁度鶏小屋の上あたりに成っているのだ。
 夕陽を浴びて真っ赤に光るゆすら梅は本当に美味しそうで鈴は思わ
ず喉をならした。はじめさんとこくちゃんがへっぴり腰で鶏小屋の屋根に
登る、豊美ちゃんと鈴はいつでもゆすら梅を受け取れるように風呂敷を
広げて待っていた。鈴は胸がどきどきして少し心配になった。
 その時キャアーとはじめさんの声がして鶏小屋の屋根を踏み抜いた。
「くわっくわっ コッコーこっこっー」下で鶏たちが騒いで走り回る。
その音に「こらっー」とおぬいばあさんが飛び出してきた。鈴と豊美ちゃん
は一目散に逃げ出した。
 おぬいばあさんは子供たちのことを知ってはいたが、何事もなければ
ゆすら梅泥棒を許してくれていた。でも悪さをして逃げ遅れて叱られる
のはいつもはじめさんとこくちゃん。
 後ではじめさんに怪我がなく、鶏小屋もはじめさんのお父さんが修理
したというのを鈴たちは知った。この事件に懲りることもなく季節が巡る
度に鈴たちはここのゆすら梅の美味しさに舌鼓を打った。

 バス停の店「もちづき」の裏庭にはそこを流れる小川に沿って二本の
しゃしゃぶの木があり、夏には人差し指の先くらいの赤い実が熟れる。
子供たちはまず小川に入りそこから裏庭に忍びこんで、低く垂れ下がっ
た枝から実を取って食べる。少し渋味はあるが結構甘い。その代わり
食べ過ぎると口の中が白く爛れたようになりお腹も壊す。だからここで
やったことは大人たちには内緒にしていた。
さらさら流れる水の音を聞きながら、薄暗い木の下で声も出さずにしゃ
しゃぶをほおばるスリルは鈴にとっては、とても楽しいことだった。

 秋になるとまた一行は野イチゴやあけびをとりに山に行く。途中で拾
った椎の実は大人に頼んで煎ってもらった。
 大人に内緒でつばなや、しんこや、いたんぽも食べた。不思議にお腹
を壊したことはなかった。

 鈴の秘密をひとつ。春になると母は梅の実をたっぷり、ゆっくりゆっくり
煮込んで「梅肉エキス」を作る。これは腹痛に効くというので当時はどこの
家庭でも作っていた。
 鈴の家ではそれを瓶詰にして茶の間の戸棚の一番上においてあった。
鈴は時々それをおやつ代わりに食べた。誰もいないのを見計らって、大
急ぎ゛で割り箸にくるくると巻きつけて、こっそり部屋で食べる。顔が歪ん
でしまいそうに苦くて酢っぱかったけれど、ほのかな甘さが口に残った。

 鈴たちがおやつらしいお菓子に出会うまで随分時間がかかったような
気がする。

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鈴のふるさと  防空壕の話 [鈴のふるさと]

 田舎に帰ってから鈴が戦争を感じる出来事は余りなかった。
祖父の店の右側から少し裏手に入った所にに防空壕が掘ってあった。
 割合深くて大人も少し腰をかがめれば歩けるくらいの天井の高さだ。
そこに明りとりの小さな窓がある。入口は戸板一枚くらいの蓋がしてあり
そこを持ち上げて中に入る。
土の上に木で作った床があってその上に古い畳やござやむしろが敷い
てある。
壁は土がむき出しで、中に入ると暗くて湿っぽい土の匂いがした。
 ここには当座の食料や、着る物、布団なども少しは置いてあって、子供
が勝手に入ることは禁じられていた。

 鈴は学校の行き帰りに空襲警報が鳴って、トミ子さんに手がちぎれる
ほど引っ張られながら、役場の側の防空壕に入ったことが何度かあった。
でも恐いと思ったことはなかった。鈴たちは警報が解除になると、何事も
なかったようにワイワイと家路についた。
 そんな鈴にも防空壕で忘れられない思い出が二つある。

 ある日のお昼ご飯。長い大きな飯台の回りに家族全員が座って、さあ
という時に空襲警報がなった。みんなはとにかく防空壕に飛び込んだ。
もう慣れているとはいえ、やっぱり焦るし慌てるし、落ち着くとみんなはあ
はあ言っている。鈴は一番奥の自分の場所に座ってホットすると急に
お腹がぺこぺこなのに気が付いた。でもあの昼ご飯は鈴が残念がる程
のものではなかった。
 この村も農家の人たちは食料に困ることはなかったが、鈴の家の様に
非農家はどこでも食べることに不自由して代用食でしのいでいた。 
大人たちがよく言っていた「目玉が写る」くらいのうすーい麦の雑炊に
さつまいもの粉で作った真っ黒いカンコロ団子が浮いている。
 もう一つは、茹であがったばかりの黄色いほくほくのカボチャが皆の皿
に盛り分けられている。それと祖母の自慢のタクアンが山盛り。
生憎今日は祖父の魚も全部売れたらしくて、鈴たちの食卓には乗らなか
ったようだ。
 鈴はこのカンコロ団子が大嫌いで、前歯で噛んで嫌そうに食べると言っ
て母によく叱られた。
 だから今日も鈴の関心はカボチャ、あああれ持ってくればよかった。
隣に座っていた五歳の弟と目があった。「カボチャ忘れた」弟がぼそっと
呟いた。鈴はしらんぷりして座っている大人たちを恨めしげに睨んだ。


 ある夜中に突然空襲警報が発令された。こんなことは珍しくて、皆一斉
に防空壕に向かった。父はリュックを背負い鈴と弟の手を引いて、妹を抱
いた母を気使いながら、暗闇のなかを急ぐ。防空壕には祖父母がいて、
もう蝋燭の灯をつけていてくれた。外は静かで物音ひとつしない。
様子を見て来ると外に出ていった父が、しばらくして帰って来ると、どうも
東の空が真っ赤になっている。街に爆弾がおちたのではないかと言う。
大人が相談して、ここは危ないということになり、近所の人たちと、もっと
山際の部落の方まで逃げることになった。
 鈴たちは防空頭巾をしっかりかぶりなおし、母は妹をおぶった。
外に出ると少し月明かりがあり、皆で固まって走った。途中で一度飛行機
の爆音が聞こえたと言って、だれかの命令で横を流れている小さな川に
皆がずり落ちるように入ってしゃがみこんだ。どこかの子供が大声で泣き
出したけど鈴は弟の手をしっかり握って二人とも泣かなかった。川の水は
少しだったけど冷たくて膝から下はみんなずぶぬれになって潜んでいた。
しばらくして警報解除のサイレンがなり、みんなはとぼとぼと家に帰った。
 その夜村には爆弾も焼夷弾も落ちなかったけれど、近くの街には爆弾が
落ちてまる焼けになったと、その話でもちきりだった。
 この夜のことは大人になってからも弟とよく話した。遠くまで逃げて川の
中にまで入る必要があったのか?防空壕の方が安全だったのでは?.....と。

 鈴が三年生の八月戦争は終わった。鈴にその日の記憶は全然ない。

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鈴のふるさと  生まれた村 [鈴のふるさと]

 鈴が二年生になった時戦争が厳しくなり、兵隊さんの街は危ないと鈴たち
一家は生まれた村へ帰ることになった。
 鈴にはこの村の記憶はほとんどなかった。鈴が帰ることになった家は父の
実家で祖父母が商売をしていた。二人が始めた小さな魚屋は今では仕出し
をやったり、村で二軒しかない宿屋のようなこともやっていた。
 店の隅っこにには三、四人が座れるスペースがあり、仕事帰りの村の人た
ちがお酒を飲んで大声で話し込んでいることもよくあった。
 しかし店の基本は魚屋で、いろいろな魚が店先に並んでいて、祖父が市場
から帰る時間には、何人かのお客さんが待っていることが多かった。
 
 鈴が転校して初めて学校に行った日、先生に連れられて教室に入ると誰か
が大きな声で「魚屋の鈴ちゃん!」と言い皆がどっと笑った。
 小さな村のこととて、もう鈴たち一家のことは皆が知っているのだ。
「静かにしなさい。今度転校してきた河原鈴さんです。みんな早くお友だちに
なりましょう。」と先生が言うとみんなは一斉に拍手してくれた。
 鈴は嬉しくてついにこにこ笑って手をふった。みんな初めてみる顔だったが
鈴は何だか懐かしい気持がした。
 実は受け持ちの横尾先生も、祖父の店のお客さんで鈴はもう店で先生に
逢っていたのだ。
 田舎はたまに空襲警報や警戒警報のサイレンが鳴って、どこにいてもすぐ
防空壕へ飛び込むことはあっても、大人にも戦争の切羽詰まった緊迫感は
感じられなかった。

 祖父は鈴が寝ているうちに市場に出かけて、おおき木箱を三つも四つも
自転車に乗せて帰って来る。箱の中には旬の魚がぎっしり詰まっている。
 祖母は待ちかねて店の陳列台に、魚をきれいに並べたり、焼いたり焚い
たり忙しい。でも祖母はそれを楽しそうにやっているので、鈴は店が好きだ。
 煉瓦で作ったかまどで、串に刺した「かます」を何本も焼く。真っ赤な炭火
の上でじゅうじゅうと油を落としながら、こんがりと焼ける頃にはいい匂いが
して鈴はごくんと唾をのみこんでしまう。たまに祖母が座り込んで眺めてい
る鈴に「はいっ」と一本あつあつの「かます」をくれることがある。そんな時
鈴は家の縁側に座り込んで、火傷しそうになりながら白いほくほくの身に
かぶりつく。鈴はあまり魚は好きではなかったのに、この「かます」の味だ
けは美味しくて忘れることが出来ない。
 もうひとつ祖母が大鍋いっぱいに湯でる「わたりがに」沸騰した鍋に入れ
るとさっと色が変わって鮮やかな朱色になる。この時は鈴は必ずそこにい
て、茹であがったあつあつを一個ねだる。もうこれこそ鈴の一番の大好物
なのだ。
 ところがこれはそう簡単には手に入らない。茹であがるのを待っている
お客がいれば、なかなか鈴には回らない。あっと言う間に売れてしまって
じっと待っていた鈴は泣きそうになる。でも商売だものと諦める外はない。

 「さわら」の時期になると大きなのが帰って来る。祖父は見事な包丁さば
きで、刺身や焼き物用に魚の身を切り分けていく。鈴は店にやって来た友
だちと、まな板を取り囲んでお腹の中の卵が「真子」か「白子」をあてっこ
する。大人がやっているのをみて真似るのだ。この味は好き好きで、どちら
が美味しいという訳ではないが、さっと開いたお腹にまっ白い「白子」か薄
ピンクの「真子」を見つけて当てたほうがキャーと喜んで自分の勘を自慢
するという他愛ないものなのだ。
 しかしここに集まる子供たちの本当の目的は、祖父が時々箱の隅っこに
押し込んでもって帰る「うみほおずき」。 
何かの卵のうらしいのだが、十個くらい連なっていて一個つつはずして、よ
く洗い口に入れて搾るようにかむと「きゆっきゆっ」と鳴るのだ。
潮の香りとともに少し生臭いけれど、玩具なんてない田舎の子供たちにと
っては、宝物みたいなものだ。
 畑のほおずきは、赤く熟れるのを待ってその実に穴をあけて丁寧に種を
出し、用心深くきゆっきゆっと鳴らして遊ぶ。しかしこれは鳴るようにするま
でが大変で、鈴たち小さい子の手には負えない。
 海ほおずきは、少々乱暴に勘でも破れたりしない。いい音で鳴る。
 
 鈴は魚屋の鈴ちゃんとして、すんなりと田舎の新しい学校に慣れみんな
ともすぐに仲良くなった。


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鈴のふるさと  母は手品師 [鈴のふるさと]

 母は毎日父を送り出すと掃除をしたり、買い物に行ったり、食事の支度を
したり、白い割烹着が家の中をくるくると動きまわっていた。
 午後からは大体ミシンの前に座っている。
鈴はいつもその部屋の出窓に座って母が軽やかに踏むミシンの音を聞くの
が好きだった。
そして何よりもその手元から次々に出来てくるものに見とれた。一枚の赤い
布が仲良しの節子ちゃんの折りスカートになったり、軍人さんの奥様の白地
にすみれの花がいっぱいの布がワンピースになったりした。
 鈴の洋服も全部母が縫ってくれた。
 家の中の小物も母が作ったものばかりだ。
玄関の下駄箱の横の柱に掛けてある、白い体に臙脂色のくちばしのあひる
さんの靴べら入れ。
 赤いネクタイをした黒猫の状さしは少しだらーんとして部屋の柱に。
 外が緑で中が黄色のかぼちゃには鈴のおはじきや、弟のぱっちんやビー
玉、どこかで拾った白い石や青いガラスが入っていた。
 家族の座布団カバーもみんな母の手作りで、それぞれ柄が違った。
鈴のは赤と黄色のチューリップ。弟のは黒と白の熊さんがいっぱい。父と母
のは葉っぱの色が違うけど同じ柄のものだった。
 赤と白のチェックの地にアップリケの赤い鈴が一つ。鈴の一番お気に入り
の手提げ袋は毎日学校にもっていった。
 「お母ちゃんは偉いなあ。」ミシンを踏む母を鈴は誇らしげに見ていた。 
もうひとつ鈴には秘密の楽しみがあった。
 ミシンの部屋の押入れの中には母が使う色々なものがしまってあった。
ここは触っては駄目と母には何度も言われた。
 棚に大小のミルクの空き缶が並んでいて、中に色とりどりのボタンが入っ
ている。同じ大きさや色別になっているのもあるし、一番おおきな缶の中を
見た時鈴はぎょっとした。もう世界中のボタンが集まったように大きいのやら
中くらいのやら、小さいのやら黒いのばかりがいっぱいだ。
 その隣の細長いお菓子の箱には、白や空色のチャコが行儀よく並んでい
るし、鈴がいつも見とれるのは小さな引き出しの中だ。赤や黒や青や白や、
鈴のクレヨンの色のようなきれいなミシン糸が並んでいるから。
 大きな引き出しには色々な布もたたんで入れてあった。
 これらが母の手にかかると、色々なものに変身するのが鈴には本当に
不思議だった。
 そして鈴はまた母が大好きになる。

 ある日仲よしの節子ちゃんや、いたずら坊主のシマちゃんたちと原っぱで
遊んでいた鈴は、口に入れてふざけていたかやつり草の端っこをつい飲み
こんでしまった。細長い草は喉にひっかかって、奥へも行かず出ても来ず
鈴は息苦しくて、せき込んで死にそうになった。
みんな驚いてシマちゃんが飛んで帰って母を呼んで来てくれた。
 すぐさま母は鈴を乳母車に乗せると駅前の吉田病院へ走った。その間も
鈴はゲーケ゜ービービー泣きじゃくていた。
 大通りに出るとお店が並んでいて、鈴の大好きなお菓子屋さんも見えた。
母は何を思ったのか、お店から豆大福を買ってくると、それを小さくちぎって
大口を開けて泣き叫んでいる鈴の口に入れた。鈴はびっくり目を白黒させ
ながらぐっと飲み込んでしまった。
 「あれっ」喉に詰まっていたかやつり草も一緒に? 
 鈴はすっきりした顔で母を見た。不安そうな母の顔がみるみる赤くなって
泣きべそが笑い顔になった。「よかったよかった」言いながら母は大袈裟に
鈴を抱きしめた。
 夜帰った父には母は報告しなかったのか、鈴は父に叱られずに済んで
ほっとした。

 大人になってからも、鈴はこの時の母の荒療治を思い出して「危なかった
なあ」とよく母と笑った。
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鈴のふるさと  兵隊さんの街 [鈴のふるさと]

 鈴が三歳になった頃、父の仕事の都合で生まれた村から一里ほどの
隣町で、父母と鈴、弟の四人で暮らすことになった。
 田舎の家と違って塀に続く木戸をあけると、玄関まで庭木に沿った通
路かあり、木犀の香りがして、子供心に鈴はこの家が好きだった。
 家の近くに陸軍の師団があって、塀に囲まれた広い広い敷地には兵隊
さんが大勢いた。
 表通りの門の前には三角屋根の小さな箱のような家があって、そこには
いつも銃を構えた兵隊さんが立っていた。時々はラッパの音も聞こえた。
 鈴たち子供は、裏通のからたちの垣根のとげを気にしながら、隙間から
馬に乗ったり、隊列を組んで颯爽と歩く兵隊さんの姿を見ては、胸を躍ら
せていた。
 兵舎から少し離れた川の側の細い道にそって豚舎があり、異様な匂い
とブーブーと騒いでいた豚さんはどうなったのだろう。


 ガラガラと開く玄関の格子戸の音に鈴は転げるように飛んで行った。
さっきまで門の所でまっていたのに。ニコニコ顔の父は「ただ今」と言い
ながら小さな包みを鈴の手にのせた。「おかえりなさい」母が笑顔で鞄を
受け取る。
 父のお土産はいつも鈴が大好物のチョコレート。鈴はつるつるの紙を
はずして銀紙の端っこをめくりべろりとなめて父母の顔をみる。「もうすぐ
ご飯ですよ。チョコはあとでね。」いつもの光景である。

 ある夜のこと「ギゃアー」という鈴の泣き声に両親は飛び起きた。みると
鈴の右手が血で真っ赤に染まり、鈴は息もきれんばかりに泣いている。
父は寝巻のまま鈴を抱えて、三軒隣の小野病院へ走った。母が玄関の
戸を壊れんばかりに叩いた。「先生! 先生! 」パット電気がついて奥様が
顔をだした。「どうしたどうした」と言いながら、小野先生はゆっくり白衣を
はおりながら出てこられた。鈴の手を見て「ほほうー」と少し笑って「やら
れたなあ鈴ちゃん。でももう大丈夫。」と消毒をして薬を塗り白い包帯で
鈴の右手をぐるぐる巻きにした。
 鈴はもう泣きやんで珍しそうに辺りを見回した。
この時のことは慌てふためいた泣き顔の両親と、オレンジ色の電燈の下
で落ち着いた様子の小野先生の髭の顔。そして診察室の片隅の鈴の手
を洗った白い洗面台のことしか覚えてはいない。
 鈴はチョコレートのついた指をネズミにかじられたのだ。
きれい好きの母はいつも塵一つ無いほど掃除していたのに。
 そう言えば炊事場の土間の井戸の辺りをチョロチョロはしるネズミを鈴
は見かけたような気がした。


 「鈴 鈴」父の声がして眠っていた鈴は目を覚ました。陽の光が硝子戸
いっぱいに溢れている。
「鈴赤ちゃん生まれたよ。ホラ来てごらん。」父はまだねぼけ眼の手をひい
て座敷に行った。床の間にお雛様が飾ってある部屋の真ん中に、母の
寝ている布団が見えた。「お母ちゃん」鈴が呼ぶと母はにこにこと赤ちゃん
の方をみた。そこの小さい布団のなかに真っ赤な顔のお猿さんのような
赤ちゃんが、小さな手を固く握りしめていた。「妹だよ嬉しいね。」父は嬉し
そうに言って鈴を抱きしめてくれた。

 鈴は一年生になった。赤色の真ん中に白い百合の花のついたランドセ
ルを背負って、近所の上級生たちと集団登校する。六年生のトミ子さんが
鈴の手をひいてくれる。学校までの道を皆で大声で歌を歌いながら行くの
だが、鈴は恥ずかしくて声が低いとよく怒られた。

 勝ってくるぞと勇ましく 誓って国を出たからは.....

 お国の為に闘った兵隊さんよ有難う.....

歌詞は定かではないがとにかく歌った。
 戦況は厳しくなりつつあったのだろう。
学校でもっと嫌だったのはお弁当の時間。皆のお弁当のご飯に先生が
ふりかけをかけてくれる。焦げ茶色のそれは味などあったのだろうか。
 その正体はイナゴだ。広い練兵場の草むらで上級生がとって来たのだ
という。それを運動場に敷いたむしろの上で何日か乾燥する。
次に大きな鍋いで煎るのだ。こんがりと煎って冷してかりかりになったら
今度は石臼で挽く。これでイナゴのふりかけの出来あがり。
 このことは上級生がひそひそ話していたのを聞いた気がすが、真偽の
ほどは定かではない。
 でもふりかけは確かにあったし、運動場にはイナゴが干してあった。

その嫌なお弁当を食べる時鈴たちは手を合わせて声を揃えて唱えた。

 みいつのもと いまさいわいに しょくをうけ つつしんで あつちのめ

 ぐみをおもい  すききらいはもうしません いただきます

 鈴の兵隊さんの街での生活はもう少し続いた。
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