濃紫の寒あやめ咲いた [随筆]

 立春が来ても今年は寒あやめが咲かない。
あんまり毎日眺めるので恥ずかしいのかなあ。
 暖かくなり過ぎたのか。

 おお、咲きました。真っ白に霜の降りた朝一度に三輪。
何だか切なくて、しゃがみこんでしばらく見つめていました。

 遠い遠い日の彼の姿も一緒に顕れて、一瞬びくっとして少し嬉しい私。

 この花にまつわる思い出はいっぱいあり過ぎて笑ってしまった。
 すぐに写真の前に飛んで行って「咲いたよ、咲いたよ」

 「もうもっと静かにして、分かった分かった」と苦笑いの彼。

 とにかく花好きの彼は大輪の牡丹も、野に咲く小さな草花も大好き。
散歩の帰りにはいつも何か摘んできて、玄関の小さな備前焼きの花瓶にひょいと入れる。

 私も早春の草花は好きで特に、あぜ道に星を散りばめたように咲く大犬ふぐりは格別だ。

 ずっと昔この花を知らなかった彼に、お城の石垣の隙間に咲く花を見つけて、得意満面
教えた日のことが昨日のことのように思い出されて懐かしい。

 季節を巡り咲く花をいつも優しい眼差しで見つめていた彼。
 お喋り過ぎる私を本当はうるさいと思っていたのだろうに。口にしたことはなかった。

 どちらかと言えば陰気な彼のことが、自分と反対の静かさが私には魅力だったのかも。

 彼と関わった幸せな五十年余の日々を思い出すとき、その憂鬱そうな顔の眼鏡の奥の
 優しい優しい瞳を、私はいつも愛しい想いで見つめていた気がするのだ。

 待ち焦がれた寒あやめが咲いた。

 またしばらく二人の世界に入ってしまいそうな私。

 優しい春の日差しが、もうあの真っ白い霜を消してしまったのではないか。
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もの想う月11月も終わりです [随筆]

 庭の紅葉が真っ赤に染まり、そしていつの間にかそこらあたりに散り敷いて、

静かに霜月が去っていきます。

 もの想うことの多いひと月、青い空を見ては感激し浮かぶ雲をみると汽車に乗りたい。

私は少し若返って、出来る限り心のままに動きます。

 汽車に乗って瀬戸の海とそこにうかぶ藍色の島々、赤や白の灯台に目を細めました。

 夫の実家のある駅、初めて二人で歩いたお城のある町にも下りてみました。

 半世紀の時を越えても、思い出は鮮やかによみがえってきます。

 それで満足している私も、私に違いありません。

 コロナに道をふさがれても、まだまだみな元気で笑顔を忘れないようにしています。

 カルチャー教室もほとんど閉鎖になって、たった一つ一番好きなのが続いているので嬉しい。

 そこまで来た師走とともに、少しでも明るい新年を迎えられますように祈っています。

 
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初冬の庭で [随筆]

 短い秋を楽しむ間も無いままに冬の声を聞いた。
立春と聞けば心も弾むのに、一文字違うだけで立冬は何となく寂しく侘しい心地がする。

 先日剪定をして頂いた。
この職人さんに剪定をお願いするようになってもう十一年。
知人の紹介で初めて来られた日、庭を丁寧に見てから私に言った言葉が忘れられない。

「この庭を見ていると、作った人の気持ちがとてもよく分かります。愛情がいっぱいですから」
 
 四十代と思われる彼の顔を思わず見直してしまった私。本当に嬉しかった。この人なら
夫が自分で作りたかった庭を引き継いで大切にしてくれるような気がして安心した。

 朝の八時半から五時半まで黙々と作業をされるので、お茶を差し上げる時だけ話をする。

 椿、梅 さくらんぼ ウバメガシ 利休梅 百日紅 山茶花 つつじ 紫陽花 木蓮 そして松
小さい庭に、まあいっぱい。
 この上牡丹を初め鉢植えもいっぱい。残念ながら鉢物はすぐに枯れてしまった。

 ほとんどの木はこの家を建てた時からの長い年月私たち家族を癒してくれた。
世話はしないけど私も昔 蒲萄やゆすら梅がなっていた頃は一番に食べると言ってよく笑われた。

 庭の木々すべてに夫の面影が重なる。

 剪定の最後はいつも松ノ木。これが笑ってしまう。
 ヒョロヒョロで幹の根本でも直径12、3センチしかないのにくねくねと伸びている。
「何でこんな木なのかなあ」とお兄さんに聞くと
こういう風に作ったのだと言う。ここにも彼の意思が詰まっているのだと。
 可哀そうな松さんこんなに曲げられて大きくなれなかったんだ。ふふふ。
 この松に一時間はかかる。

 剪定をしてさっぱりした庭で「あらあまだ咲いていたんだ」と薄いピンク色に黄色い花芯の
山茶花を見つけてびっくりの私。
 二週間くらい前に待っていた山茶花を見つけてにこにこと庭に下りて木の下まで行って
さんざん眺めた。夫の好きな花今年も咲いたよとつい話かけた。

 その後みたこともなかった風流でない私。水遣りもしないのだから無理もないけれどね。

 そしてもう一つ石蕗の花。
 濃緑の丸い葉っぱからすくっと伸びるしっかりした茎の先に三センチほどの菊のような黄色い花が沢山集まって開く。
 冬の初めの色のない庭に灯をともしたように愛いらしい姿を見せてくれる。
これから先、梅が咲くまで花はない。
  
 でも我が庭にはもう一つ夏から咲き続けてきいる強い花がある。
 ランタナ この花だけは唯一私が植えたのだ。
もう四十年も前勤めていた会社の社長さんが苗をくれた。
 曰く「これほど世話のいらない花はない。持って帰って庭の隅にでも植えときな」
花に興味のないノラの私を見越しての言葉だ。
 なんとなく頂いて、いまではどのように植えたかも覚えてない。

 でもリビングのガラス越しに今も鮮やかな朱色の小手毬のような可愛い花を咲かせている。
その社長さんも今年旅だたれた。歳月の長さを思う。

 我が家の小さな庭もこうして眺めていると、私には胸が切なくなるほどの想いが詰まっている。
 
 これからの寂しい季節、厳しい寒い冬でも、お日様だけは暖かい日差しを届けてくれる。
 もう少し頑張っていこうかなあ! 
  早く彼に逢いたい気持ちとせめぎ合っている私がいる。
 
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青春の日よふたたび! [随筆]

 朝からすっきりと晴れ渡り柔らかな秋の日差しが降りそそいでいます。

昨日までの雨模様が嘘のよう。

 今日は年に一度の「マドンナ会」いまから半世紀も前ともに机を並べて

仕事をした職場の仲間たちが集う日です。


 役所の外郭団体の財団法人として発足以来六十有余年、その変遷は

激しくて、今はその名も変わり事業は細々と続いているものの、人手に

渡りながらも姿を残していた事務所ビルも、とうとう取り壊されて昨秋から

マンションが建てられています。


 昭和三十年頃、女性は定年まで勤める人は珍しくて、四、五年働いて

年頃になると結婚退職していた時代です。


 そして二十数年前、退職した人たちが子育ても終わり、少しゆとりも出

来たからと、誰からともなく話が出て女子だけの退職者の会ができました。

 最初は二、三年に一度の割合で開催して、出席者も多く昔話に花が咲く

楽しいひとときを過ごしていました。

 しかし時が過ぎ親の介護から配偶者の世話へと忙しくなり、ついに自身の

健康も危うくなった数年前から、「生きているうちに会いたい」という年長者の

意見に賛同して毎年の開催となりました。


 昨年十回目の区切りのいい所で、もう止めようかということになった時、そう

大袈裟に考えずに、気軽に集まって食事してお茶でも飲む会にしたらどうかと

いう意見に皆が賛同して今年を迎えました。

 簡単に電話で出欠を聞き、十人位はあつまるかなあ、と心配していたのに

何と昨年とほぼ同数の十六人もの出席者。

 一見みんな元気そうで、八十六歳を筆頭に七十二歳までの仲間の笑顔です。

 近況報告も生き生きと、家に籠っている人は殆どいません。

 料理、囲碁、フラダンス、コーラス、カラオケ、俳句、短歌、川柳、洋裁、水泳

などなど。

 
 それでも「お薬は飲んでいますー」と誰かが言ったので爆笑となりました。

 
 その昔の職場の様子は忘れかけていても、ひとつ糸口が見つかって誰か

が話出すと、皆がああそうだったと一瞬で花の働く乙女に立ち戻るのです。


 二時間半の会食が終わっても名残惜しくて誰も席を立ちません。

 幹事さんの機転で近くのカフェに席を移すことになりました。所用があった

二、三人除いて皆が移動しました。

 ここでまた一時間余り、お喋りは尽きることなく続きました。


 楽しい時の過ぎるのは早く、また来年を約束して家路に着く頃は、暮れ易い

秋の日も傾きかけて、暖かい思い出を又一つ積み重ねた私たち仲間を、優しく

見送ってくれているようでした。 

 
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高原の町はもう秋模様 [随筆]

 文化の日は晴れる! 本当に美しい朝の空を見上げて溜息ひとつ。

何の予定もないこんな日は寂しくて切なくて恨めしい。

 若い時は祭日など家に居たことあったかしら。ずっと前から計画して、兎に角

出かけました。

 あの頃一緒だった家族も遠く、友も今はもうそんな元気はないのです。

 家事も一通り終わってごろんとしていた十時過ぎ電話が鳴りました。

「お久しぶりです、元気にしてますか。」一年振り位に聞く懐かしい友の声です。

 あまりにいい天気でドライブでもしょうかと思うのだけど一緒に行きませんか。

どこへでも行きたいところがあったら言って下さいとのこと。

 夢ではないかと思うくらい嬉しくて、「行く行く何処でもいいから連れていって。」

三十分したら迎えに来てくれるとのこと、私は大慌てで支度をしました。
 
 海でも川でも街でもと言うことでしたが、考えた末二時間足らずで行ける高原の

町にいくことにしました。


 彼女は年が一回り以上も若い友だちで、人柄も素敵な上に国立病院の看護師

として頑張り昨年定年退職しました。今は医療専門学校の教師として新しい仕事に

張り切っています。

 運転の腕前ももなかなかのもので、久し振りのことで喋り続ける私の話も笑顔で

聞いてくれるのです。


 街を過ぎてくねくねと峠に向かう坂道もすいすい、鬱蒼とした杉の林や松林を通り

ぬけて視界が開けると風にそよぐ銀色のすすきの原が続きます。

 咲き残ったこすもすの花もあちこちに見えて、ご機嫌な私。

 眼下の谷底から目を移すとはるかに光る海も見えて、ドライブも最高潮です。

 まだ紅葉には早いようでしたが、所々には少し色づき始めた紅い葉も見えて

秋の風情を感じることもできました。

 山際の小さい流れは落ち葉と木漏れ日を乗せてゆるゆると流れ、透き通った

水は手が痛いほどの冷たさでした。


 到着した町の真ん中は、はさすがに人が溢れ道の駅や物産館は活気に満ちて

いました。

 私たちも地元の野菜や果物や山の清水で育ったという新米買いました。

 食事をしたり、コーヒを飲んだりのんびりと高原の町で秋を楽しみました。


 思いがけなく楽しい一日を過ごさせてくれた友の優しさを、本当に嬉しく思うと

共に、持つべきものは友だち....と感じ入った私です。

 「またね」にこにこと手をあげて帰って行った友の車を、感謝の気持で見送り

ました。

 もうすぐ本当の秋を連れてきそうな風が、やさしく足元を通り過ぎて行きました。
  
 

 


 








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霜月にひとり [随筆]

 九月初めから咲き継いできた秋明菊の最後の二輪が散りました。

霜月の声を聞いた途端に秋が来たようです。

 空はどこまでも高く澄み渡り、吹く風も時には冷たく通り過ぎていきます。

 一日は夫の祥月命日です。偲び偲びつつ早くも九年、随分元気になった

私ですが、年を経て彼よりもはるかに年上になってしまいました。

それでも大好きなお花をいっぱい持ってお墓へ行きました。

 毎月のことなのにやっぱりいつもと違う気がして手を合わせると様々な

感慨が胸をよぎります。

 何かある度にここに彼がいたらと何度思ったことでしょう。寄り添って歩く

同年配の二人連れが羨ましくてつい目をそらしてしまう自分を可哀そうにと

慰めている自分。

 月日を重ねても決して遠くならない夫のことを、それでいいのだと言い聞かせ

ながら、ひとりで歩いていくしかないのです。


 幸い私には二人のいい思い出が沢山あります。後ろ向きた゜と言われても

これは私の特権だと思っていつでもそこに逃げ込みます。

 そこには若かったふたり。子育てに悪戦苦闘していた頃の。単身赴任地から

電話でお互いの様子を話合った頃の。子供たちが巣立ち心おきなく好きな

趣味に没頭していた頃の。そして突然の病に倒れ、想像だにしなかった早い

別れの日までのふたりだけのわが家での一カ月。

 私の脳裏には、その時々の幸せなふたりの姿が鮮やかに甦ってきます。


 静かな霜月の夜です。叢雲に月の姿はみえません。

 





 
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金木犀やっと色づきました。 [随筆]

 朝玄関を出るとあの懐かしい香りが風とともに。

三日前には目を凝らさないと見えぬほど花は緑色。今年は金木犀が咲くのが

遅いと感じていました。
 
 酷暑と長雨、朝晩の気温の高低の激しさに植物だって調子狂うよと、ご近所と

話していました。

 それが今朝ほんのりと薄黄色に色を置き秋の香りをいっぱいに。

 私の好きな十月、庭では雨上がりが嬉しいのか小鳥の声もしています。

 十月は夫の生まれた月、彼もきっと自分の生まれ月を気に入っていたのだと

思います。

 その証拠にその十月を精一杯生きて十一月一日未明に旅立ちました。

そして私は十月が嫌いになってしまいました。

 でも時が経つにつれて、私たちの大切な人生の区切りの出来ごとも十月が

多かったことを思い出しました。

 そしてまた大好きな十月が戻ってきたのです。

 その十月もあっと言う間に半分終わってしまいました。

 黄金に実っていた稲もいつの間にか刈り取られ、背の高い鷺たちが落ち穂を

ついばんでいるのでしょうか、刈田をのんびり歩いています。

 毎日のウォーキングが終わる頃、西に沈む入り陽の美しいこと。不気味なまでに

紅い大きな太陽、少し曇っている日は濃い灰色の雲の中に沈んでいくその赤色に

魅せられて、毎日見ているのについ足を止めてしまいます。

 夜の月を楽しみに愛でていることは言うまでもありません。

 
 一人暮らしで、老老介護の苦労もなく、ただぼんやりと一日を過ごしている私は

贅沢といえば贅沢かも知れないと、ふと思うこともあります。

 しかしその代償は....と思うと失ったものの大きさに気がつき.....堂々巡り。

 これも私の人生なのだから仕方なし。もう少し頑張ってみましょうと。


 秋明菊も今最後の花たちが風に揺らいで、さよならを告げようとしています。

 穏やかな昼下がり、開け放った窓から金木犀の香りが忍びこんできます。

 

 
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秋霖  [随筆]

 九月ももう終わりです。

本当によく雨が降りました。出かける予定のない日の雨はどちらかというと好き。

 庭を眺めても雨に濡れた木々は、それぞれの緑を競うように艶々としています。

まるで灼熱地獄のようだった夏の辛さを取り戻しているかのように。

 田圃のあぜ道には彼岸花が赤く燃え盛り、一際鮮やかにみえます。

その赤に負けないほどの黄金色の稲穂の美しさは、陽の光に映えるのとは又

違った風情があります。

 私の秋明菊も花芯の黄色、花びらの白、葉の濃い緑を雨にさらしてしっとりと。

 続く雨音はしとしとだったり、ざざーっと来たり、おしなべて静かな感じです。

 この環境の中で私が感傷的にならない訳がありません。

 しばらく瞑想して心が落ち着くと得意の空想が始まります。
 
 これこそ私の自由、誰にも迷惑はかからないしお金もかからない。

時にはにやにやしている自分に気が付いて吹きだしたり、突然涙がほろり。

 静かで優しい時間が流れ、コーヒーをいっぱい。


 それでも最後にはやっぱり二人がいいなあと思ってしまう私がいます。

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雨の日の白いプレゼント [随筆]

 雨の予報、降る降ると言いながらほんのぱらぱら、今日も降らなかったら

もう駄目。ご近所のみんなと空を見上げて溜息ついていました。

 ところが夜中雷交じりの雨が降り出しました。いつもなら恐い稲光も平気です。

 嬉しくて窓を開けてみました。瓦屋根に弾ける雨が音をたてて流れています。

本当に雨らしい雨は一カ月振りでしょうか。

 朝になっても雨は降り涼しい、三十度を切るのも多分一カ月振りの二十八度。

私生き返りました。昨日まで体がだるくてエアコンの中でぼーと座っていました。

 玄関に出てみると、暑さの中でしっかりと茎を伸ばした十本ほどの秋明菊の

白い蕾が、雨の中で膨らんでいます。

 どんなに暑くても季節を感じ花を咲かせる自然の素晴らしさ、この花に一入の

想いがある私は、しばらく感慨にふけってしましました。

 庭の木々も待ち焦がれた雨に勢いを取り戻したように緑色の葉が濡れて

しっとりと秋の風情がもどったようにみえました。

 元気の出た私は台所の片付けをしようと思いたち、戸棚や引き出しの整理を

始めました。雨は峠を過ぎて時々小止みになったり、雨音が消えたり。

 窓も勝手口のドアも網戸にして、心地よい風に仕事ははかどりました。

一休みしようと椅子に座った時、網戸の向こうに白いものがみえました。

地面から三十センチほどの網戸からまっ白い仔猫が真っ直ぐ私を見ています。

 身じろぎもせずにこちらを見ています。まだ大人ではない大きさで、恐がって

いる様子もありません。

「どこから来たの。こんにちは」野良猫は時々みかけることもあったのですが

こんなにじっとしているのは珍しい。まんまるい目が可愛くて、つい携帯写真を

撮りました。

 それに驚いたのかすーっといなくなりました。その間「にゃー」とも鳴かずに

犬派の私を和ませてくれました。雨降りに一人で黙々働いているばあさんが

可哀そうだったので、ちょっとお相手してくれたのでしょう。

 犬派の私ですが、何だか楽しくなり猫もなかなか良い.....と思ったり。

 夕方になり雨はすっかりあがりました。薄暗くなってから外に出て涼しい風に

吹かれて裏の辺りを歩いていて、お隣の庭の白い芙蓉の花を見つけました。

 薄暗がりのなかにいかにも夏の風情でやさしさが漂っていました。

しばし見とれたことは言うまでもありません。

 たった一日の雨で体も心も元気になった気がしてしまう単純な私です。

 明日も頑張ろう!


 
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九月の風が胸に冷たく哀しいのは [随筆]

 待ち焦がれた虫の声を今朝がた聴きました。

あの賑やかな蛙の合唱といつの間に交替したのでしょう。

 今年の夏の暑さは尋常ではありませんでした。終日エアコンの中にいると

朝には今まで感じたことのない倦怠感に襲われて、頭も体も自分の思うように

働きません。

 病気かとも思ったりしたけれど、涼しくなったり友だちと会ったりすると元気が

出るところをみると、そうでもないらしい。

 ただひたすら涼しくなる日を待っていた私。

 ほぼ一カ月振りの雨らしい雨が降って嬉しくて、飛び跳ねたいるんるんの私。

 そんな私を一撃のもとに谷底に突き落とす知らせが来ました。

 Fさんが亡くなった.....。

彼はその昔、速記の勉強をしていた頃の仲間です。仕事が終わってから夜間の

学校で年齢も性別も違う人たちが集まって、速記士を目指していました。

 楽しかった二年間、誰も専門の速記士にはなれなかったけど、何故か気の合う

五人組ができました。アルバイトでは、都合のつく人何人かが組んで、随分色々な

所へ速記士然として出かけて仕事をしました。

 後の反訳にどれぼと苦労をしたことか、それでも三人寄ればなんとか....:

 アルバイト料が入ると、食事をしたり映画をみたり、これぞ楽しい青春でした。

 その後はそれぞれの道に進んだので、年賀状で近況を知るくらいの付き合い

になりました。

 二十年も経ったころ偶然再会して奥さんも速記をしていた人だったと知り、

親しくしていました。

 十年位前に病気になり、二人で頑張っていたのに、本当に残念です。

 
 この春から半年ほど何回電話をしても連絡が取れない友だちがいました。

 昨年の私の病気の時もお見舞いに来て下さって、元気になったら食事しょうと

約束していた友です。
 
どうしたのかしらと、心配しつつ夜ならと電話してみました。

 「もしもし」いつもと変わらぬ声を聞いてほっとした私に、彼女は想像もしなかった

辛い事実を話してくれました。

 突然脳梗塞で倒れ、四カ月も入院してやっと退院したところだと。

 胸がどきどきして、一瞬言葉がみつかりませんでした。それでも元気になって

よかったと言う私に彼女は静かな口調で

「今は右半身動かない。補助具なしでは歩くことも出来ないのよ。苦しいリハビリに

耐えてやっとここまでになったけれど、こんなことなら助からない方がよかった.....」

 私は何も言えませんでした。涙がぽろぽろとこぼれました。

 彼女は可愛くて聡明で私の自慢で憧れの友なのです。優秀な二人の子供さんの

手がはなれてからは、公民館活動や民生委員も引き受け、今や地域ではなくては

ならない人材です。

 自分のことで手いっぱいの私に「貴女も何かやりなさい」とよく言われたものです。

 すぐに飛んでいきたい私でしたが彼女は喜ばないでしょう。

 「良くなったら食事しましょう」なんて絶対に言えません。

 幸い優しい旦那様がお元気なので、二人ならきっと一緒に歩いて行けるでしょう。

 今のところ私は黙って見守り祈ることしか出来ない気がします。


 一年振りくらいに、今私が一番信頼し頼りにしている友から電話がありました。

 彼と私たち夫婦とは若い時からの友なのですが今は遠くに離れていて、五年前

奥さんを亡くされたとき以来会っていません。

 嬉しくて「久し振りですお元気ですか。」つい私も声が弾みます。

 彼は昨夜私の夢を見た。本当にいい夢だったので声が聞きたくなったのだと。

 そして十分ほど一緒に住んでいる子供さんのことなど近況を話し合いました。

 「ところで彼は元気かね。」

えっ! 何? 私は一瞬うろたえました。彼は私の弟のこともよく知っていたので....

 でもそんなわけありません。

「彼ってだれのこと?....」まさか。すぐに返事はありません。

「もしかして夫のこといってるの。彼は亡くなったのよ。奥さんと二人で来てくれた

でしょう。」

 「ああごめんごめん。そうだったなあ。忘れていたんじゃないんだが...」

 なかなか会えないけどせめて電話でてもまた話しましょうと電話を切りました。

 彼が夫のことを忘れていたとは思いたくありませんでした。

若い時からの私たちを一番理解していてくれた先輩夫婦だったのだから。

 それでも彼ももう八十六歳です。ぼっかり忘れることがあってもおかしくはない。

 私は人が年を重ねることの残酷さを思わずにはいられませんでした。


 私の好きな秋の足音がもう聞こえてきたのに、夫の秋明菊の白いつぼみが

膨らんできたのに、私の胸のなかでは冷たい風がそよりとゆらいでいます。




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