面影草  終章 [短編]

 川岸の桜並木の花は蕾の先か゛膨らんで紅色が覗きかけいる。
水の流れは清らかな早春の日差しをいっぱいに流れている。
遥かな山の頂には、うっすらと残雪が見え、どこからか小鳥の囀りが聞こえる。
 まだ冷たい川風に頬をつつかれて我に返った。
 私はこの川原のベンチにどれ位座っていたのだろう。

 老後を楽しく思うままに....という私たち夫婦のやり方で自分流を満喫していた。
二人とも元気でまだまだ若いと思っていた。
 でも彼が生まれて初めての病に倒れた。それと気づかぬまま検査を受けた時には
もうなす術もなかった。
 だから苦しい検査も治療も何ひとつしなかった。
 彼は私の前では決して泣き言は言わなかった。いつも大丈夫そうな顔をして
逆に私を励ましてくれた。
 一か月で退院して自宅療養となった時も、気分のいい日は庭で簡単な剪定の仕方を
教えてくれたり、うどんの出汁を作ったり、私に看病という実感はなかった。
 私のしたことは、毎日の食事を心を込めて作ることだけだった。
 二人ですごした最後のあの大切な日々、もっと彼のために為すべきことがあったの
ではないか、今も私の心の底にその思いはずっと重く悲しく沈んでいる。

 その朝少ししんどいと言うので、急いできてくれた弟の車に自分で歩いて乗った。
そしてそのまま入院して様子を見ることになり、緊急事態ではなくてほっとした。

 その明け方先生も予測できないまま、突然彼は本当に安らかに旅立ってしまった。

 あの時彼の手をしっかり握っていた最後の別れから、私は一滴の涙も流していない。
いや涙は出なかった。人は本当に悲しい時、涙は出ないものだと身をもって知った。
 彼が逝って半年も過ぎた頃朝のお参りをして、何気なく彼の写真を見た時突然涙が
溢れた。
 少し笑っているあの眼差し。彼に関わった半世紀近く私は満足していた。
でも彼は.....私は彼の望んだような妻だったろうか。
 いいえ我儘で意地っ張りで、ちっとも優しくなかった。
私は後悔の念に苛まれた。今更もう遅いのに。
 彼がいなくなって初めて出た涙。止まらなかった。それから毎日泣いた。涙って
どの位あるのだろうと本気で考えた。
 食事もしない、眠れない、どこに居ても何を見ても彼の姿がついてくる。
 ある日ふと思った。彼が今の私のこんな姿を見て喜ぶだろうか。悲しいに違いない
どんなに心配しているだろう。

 私はうつ病の一歩手前で踏み止まった。
子供たちや兄弟、友人たちの励ましに支えられて少しづつ自分を取り戻していった。

 春が何度も巡った。
 毎朝一番に大きな声で挨拶をする「おはよう!」彼はいつもにこにこ現れる。

 遠い遠い日初めて二人がデートしたあの川原に座っている。
町の様子はすっかり変わった。でも自然は昔のままここにある。
 そして彼もあの日よりは少し年を取ったけれど、今確かに私の隣に座っている。
 「絶対に待っていてね。もうすぐ会えるから」

 淡い青い春の空、桜の花が川岸を桜色染める頃、私又ここに立っているのだろう。

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コメント 5

智

純愛は最強で、唯ひとりだけの為でも美しいです。
こちらでも桜が咲きました、明日は雪かもしれませんが、笑
春三月、雪の花も綺麗だろうなと明日が楽しみです。
by 智 (2017-03-31 21:19) 

dan

有難うございます。
雪と桜を同時に見られるなんて素敵ですね。
こちら昨日やっと開花宣言です。寒い春です。
by dan (2017-03-31 23:04) 

dan

有難うございます。
雪と桜を同時に見るなんて素敵ですね。
こちら昨日やっと開花宣言です。
寒い春です。
by dan (2017-03-31 23:11) 

リンさん

あまりに急だと、涙って出ないものですね。
わたしの母もそうでした。
今はだいぶ落ち着きましたけど、もう一度父と一緒に桜を見たかったなと思います。
桜って、そういう気持ちになるものですね。
by リンさん (2017-04-07 19:21) 

dan

有難うございます。
いろいろなこと時より外に解決の方法はないと
思いしりました。
リンさんがいてくれてお母様どんなに心強いでしょう
娘っていいものです。
by dan (2017-04-07 19:47) 

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