桜いっぱいの故郷へ [エッセイ]


 これ以上は望めません! というくらいの晴天のある日、私は特急で二時間

足らずの故郷へ出かけました。車窓に続く瀬戸の海はどこまでも青く、点在す

る島々は春霞にうっすらと霞んでみえます。

 故郷の駅に降りたのは私ひとり、えっ これでも市です。改札で心配そうに

私を迎えてくれたのは、小学生の時からの親友、三年振りの再会です。

 「元気だった?」思わず固い握手をしました。車で大型スーパーに向かいます。

ここで待っていたもう一人の友と三人で、今から始まる花見のお弁当を調達、

 あれがいい、これでもない、花見にはやっぱり巻き寿司もないと。デザートの

プリンに食後のフルーツ、いっぱい買いこんで目的地にいざ!!

 今は全山二千本の桜に彩られているこの山も、私たちが子供の頃は普通の

山で、茸取りや柏の葉をとりにいったり、よく遊びました。

 三十年余り前この頂上に、資料館としてお城が造られました。その時桜も植え

られたそうです。今は地元ばかりか県内の人たちもやって来る桜の名所に変身

 私たちは中腹の駐車場で待っていたもう一人の友を見つけ、四人が勢ぞろい

挨拶もそこそこに、満開の花の下でお弁当を開きました。

 時折吹く風にはらはらと舞い散る桜の花びらを全身に受けて大満足。よく食べ

よく喋りました。

 私たち四人は同級生、中学二年の時父の転勤で私がこの村「当時人口四千

の村、今は市です」を離れてからは年賀状だけのお付き合いが続いていました。

 ところが還暦の年、古稀の年の同窓会で意気投合、五十有余年の歳月を飛び

越えて、小学生の昔に戻ってしまいました。私以外の三人はこの近くの市に嫁ぎ

旦那様もお元気で幸せな人生を送っています。

 四年前私が一人になったことを知った彼女たちが三年前に、もしよかったら故

郷で桜をみませんか、と声をかけてくれました。

 うつうつとした毎日、落ち込んでいた私は幸せな皆の前に出たくなくて、気が進

みません。そんな時娘が「いつまでも、いじいじしてないで行っておいで。友だち

はいいものよ」と背中を押してくれました。

 あれから三年、あの時は思っていたより楽しくて、皆の優しさが嬉しくて、帰りの

電車はその反動で、寂しくて切なくて、悲しくて二時間泣きながら帰りました。

 お礼状にそのことを正直に書いたので、みんなびっくり、年賀状には「また逢い

たいね」と書きつつ、なかなか実現しなかったのです。

 ところが四月になってすぐ、花がさいたら逢いましょうの便りが届きました。

もう昔の私と違うよ。元気いっぱい、Okです。もう泣かないよと、即座に返事した

私です。

 皆が元気そうだと言ってくれました。桜の山でのお花見の後、夜は泊まりがけ

で、楽しい時を持ちました。温泉に入って、ご馳走を食べて、小学生に返った四

人は、十才の時の学芸会の写真を見ながら、なぜか覚えていたその時の歌を

大きな声で歌いました。

 「昔、昔その昔笑わぬ王女がおりました、王様たいそうご心配~」

 夜が更けても誰も眠らない。お喋りは夜明け近くまで続きました。

 みんな私の為に有難う。私元気になったでしょう。私からみんなにお願い「旦

那様と仲良くしてね」私の言葉に「はっはっはは」と三人が笑いました。

 「今更、食事時になると何故か出て来て、昼も夜もどこにいるのかねえ」

元気な伴侶をもっている貴方たちには、二人でいられることがどんなに幸せな

ことか分からないのです。「空気みたいなものかなあ」と一人。

 でも三人ともご夫婦円満な様子が、私にはとても嬉しく思えました。

 次の日夕方、三人が駅まで送ってくれました。「来年も花の咲く頃に逢いまし

ょう」ハーイ。私はしっかり約束しました。

 今年は涙はありませんでした。途中に私たちが結婚生活のスタートを切った

街がある駅、彼の実家のある駅、デートした町の駅、思い出のありすぎる予讃

線。三年前にはここを涙なしには通ることは出来なかったのに、今回はただ懐

かしさだけがこみ上げてきて、しっかりと思い出の中にいました。

 楽しかった二日間、友の優しさに感謝しつつ、来年の桜を待ちましょう。










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