都忘れの花白く   最終章 [昭和初恋物語]

 研は落ち着いた様子で千穂の顔をまっすぐ見た。そして「本当です」と低いけれど
はっきりと言った。
 千穂に言うべき言葉はなかった。でも思ったよりは冷静だった。体の震えもおさま
っていた。
 彼女の目に青く青く澄んだ空だけが見えた。

 研は初めから涼子との結婚を考えていた訳ではなかった。千穂と二人を同じくらい
愛おしく思っていた。心は揺れていたが時が経つにつれて、自分とは正反対の性格
の明るくて、おおらかでしっかりしている涼子に強く惹かれていった。
 一方千穂の静かで優しい女性らしさも捨て難かった。自分の我儘が千穂を悲しま
せることになるのも分かっていて、別れを切り出せないまま今日になってしまった。
「千穂さん、本当に済まない。自分勝手な僕を許して下さい。でも貴女を好きだった
ことは嘘ではない。真実です。僕の中には今でも優しい千穂さんがいるのです」
 研の頬にすっと涙が流れた。
 千穂はもう何も聞きたくはなかった。もう何も信じられなかった。胸の真ん中にぽっ
かり開いた大きな穴の中を、冷たい冷たい風が通り抜けていくような、悲しい感覚だ
けが深く胸に残った。
 この秋千穂は会社を辞めた。

 草木が萌え、降りそそぐ太陽の光が若葉を輝かせる季節、美しい五月になった。

 あの秋突然退職した千穂に、光代も友子も理由は聞かなかった。でも光代ははっ
きりと千穂の恋が敗北に終わったのだと悟った。彼女は黙って千穂に寄り添った。
彼女の悲しみの、ほんの少しでも背負ってあげたいと心の底から思った。
千穂を一人にさせまいと、三人で映画を見たり食事をしたり、小さな旅もした。
そしてこの頃になって、やっと千穂に笑顔が戻って来た。

 つい先日、友子が恋愛をすることなく、お見合いで結婚を決めたと二人に報告した。
彼女は「数回しか会ったことはないけど、あの人のこと好きになれそう」と幸せそうに
言った。そして恋愛はしないと断言していた光代にも、今は心の通じ合う人がいた。
今になってやっと、あの頃の千穂の辛さや切なさが光代にも理解出来た。

 澄んだ空が青く、渡る風が心地よいある日、千穂、光代、友子の三人は郊外にピク
ニックに出かけた。電車をおりて三十分も歩くと、一面青々とした麦畑が続いている。
ぽつんぽつんと点在する農家のなかに、花に囲まれたような一軒の家を見つけた。
 庭先の藤棚には薄紫の藤の花房が今を盛りと咲き、広い庭に競い合うように、バラ
芍薬、かきつばた、こでまりなどの、色とりどりの花が咲いていて、甘い花の香りが辺
りに漂っている。「うわあーきれいっ」三人は思わず花の傍に走り寄った。
 その時千穂は古い井戸の側にひっそりと咲いている、ひとむらの小さな白い花に目
を止めた。   都忘れの花だった。
 じっと見つめるその花の向こうに、千穂は懐かしい人の面影を見たような気がした。
 
 辺りに人の影はなくて、五月の空はどこまでも澄み渡り、ひばりの鳴く声だけが遠く
に聞こえていた。

 
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コメント 4

リンさん

持つべきものは友達ですね。
この男とは、結婚しなくて正解だと思います。
都忘れって、どんな花だっけと思って調べました。
可憐で可愛い花ですね。
恋はうまくいかなかったけど、さわやかな結末で良かったです。
by リンさん (2012-04-17 17:54) 

dan

早々に読んで頂いて嬉しいです。貴重なコメントまで
有難うございます。
 リンさんの自由自在の才能には及ぶべくもないけれど、これからも老骨に鞭打って頑張ってみますので、よろしくお願いします。
by dan (2012-04-17 18:12) 

左見右見

私(男)には こころを話し合える友は居ません また友人達にもそのような関係は気づきませんでした

女性だけに見られる友情?なのでしょうか?

それとも私が寂しい人生を送ってきたのでしょうか?

友情とか今はやり言葉の絆と言うものを 私の人生で改めて考えさせられます
by 左見右見 (2012-04-18 08:30) 

dan

いつも有難うございます。
私が思うに男同士の友情って女性とは形が違うのではないでしょうか。心の深い所で繋がっているのでは。
女同士でもそこは同じだけれど、真の友情は一朝一夕
に築けるものではないような気がします。

 
by dan (2012-04-18 09:43) 

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