平成シニア物語  早春賦 終章 [平成シニア物語]

 そんなある日久し振りに香織から手紙が来た。珍しく花柄の封筒にきれいな
記念切手が貼ってある。
 「葉子さんお変わりありませんか」いつもと同じきれいな文字。でもあれっと
葉子は思った、。いつもは夫のことを主人が....と書いてあるのに今日初めて
宏人さんと書いてある。
「出勤する朝そっと上着を着せかけてあげる、そんな時これが妻の幸せなんだ
と思うのです。前には煩わしかった宏人さんのためのあれこれが、この頃では
嬉しい私の日課になりました。」
 葉子は思わず天を仰いだ。どういうこと? まだ独身で恋人もいない葉子には
香織の心境の変化をとても理解出来なかった。
 しかし少し落ち着いてくると、とにかくこれでいいのだと思った。二人の愛に
理屈なんかいらない。結ばれ方など関係ない、これからが大切なのだ。今が
幸せならそれが一番いい。香織はやっと好い妻になれた。葉子には想像する
ことも出来ないほどの、心の葛藤があったと思うのに賢い香織は見事に立ち
あがってみせた。
 葉子は自分の心の中に閉ざされ、わだかまっていた冷たい氷が融けていく
ような、この嬉しい気持ちを今すぐに香織に伝えたいとペンをとった。


 陽が落ちると三月とはいっても底冷えがする。香織は今夜は宏人の好きな
水炊きにした。湯気の向こうに見える彼は満足げに箸をのばしている。食事
が終わると宏人がおもむろに大きな茶封筒を香織の前に差し出した。「何か
しら」「開けてみて。この前から描いていたんだけど誕生日に間に合わなくて、
やっと出来たんだ。遅くなったけど一応プレゼント」宏人は照れくさそうに笑っ
た。 香織が取り出した一枚の絵、そこには少し笑ったうつむき加減の香織
の顔が鉛筆一本で見事に描かれていた。「有難う嬉しい、好い絵ね、でも私
こんなに若いかなあ」彼女は弾んだ声でお礼を言った。
 宏人は絵が得意で元気な時はよく油絵を描いていた。病気をしてからは絵
筆を持つこともなかったのに、少し不自由になった手で香織には内緒で、デ
イサービスに行く度に少しづつ描いてくれたのだと思うと、宏人の優しさが嬉
しかった。
 その夜床についても香織はなかなか寝付かれなかった。色々なことがあっ
たけれど宏人と歩いた五十年の年月、自分は幸せだったと思う。でもこれか
ら先の月日は確実に短く二人は老いていくのだ。どんなことがあっても頑張
ってこ、れまでののようにしっかりと二人で幸せな人生を全うしよう。
 
 葉子から手紙が来た。二人の友情は彼女が結婚してからも続いていて、
逢うのは数年に一回だったが家族ぐるみの付き合いをしてきた。

 香織元気ですか。わが家もみなそれぞれの生活に頑張っています。
突然ですが次の日曜日逢えそうです。急にそちらに用事が出来て少しなら
時間が取れそうなので絶対に逢いたい。取り急ぎお知らせを。まあ電話や
メールなど早く知らせる手段はあるけれど、ふと昔を思い出して手紙を書い
てみたくなリました。
昔はこれしかなかったもの。お互いよく書いたね。
 そうそう私ね、この間夢を見たの。えっどんな夢かって、それは内緒です。
でも若かりし頃の香織の夢です。嬉しいなあ。一年振りだよね。その日青い
空が見えたらいいね。                            葉子

 香織は庭に出て空を見た。
春をそこまで連れて来ているような淡い青い色の空に、若い日のあの明る
い葉子と、ちょっとすました香織の顔が並んで笑っているのが見えたような
気がした。吹く風が心地よく香織を包んだ。
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リンさん

終わりよければすべてよし、ですね。
香織さん、前の彼と結婚してたらもしかしたら不幸だったかもしれませんよ。浮気とかされて。
やっぱり結婚は縁なのでしょうか^^

私の両親も金婚式を終えました。
今年母が80になるので、記念にふたりで旅行に行くらしいです。ともに80を超えて、旅行に行けるほど元気なのは娘としても嬉しいです。
by リンさん (2013-02-12 17:26) 

dan

ご両親おめでとうございます。
本当に羨ましい。私たちは後二年という所で残念。
その代わり金婚の年、娘と二人で新婚旅行のコース
をめぐりました。懐かしくて少し寂しかったです。
by dan (2013-02-12 21:00) 

左見右見

マンションは 同年輩の方が大半です
ご主人を亡くした方も居ります 今流行りのシニア
マンション 介護設備が不備なだけ
救急車が止まると 他人事ではありません
夫婦に歴史あり 「早春賦」 の様な方もあることで
しょう 私たちにもいろいろあります いやありました
寝息を聞きながら 明日の朝の目覚めを意識します
そんな年なんだと しみじみ思うのです

by 左見右見 (2013-02-15 12:59) 

dan

何だかや言いつつ仲の良いご夫婦なのですね。
余り余計な先のことを考えずに、今を楽しく生き
ましょう。
いつも有難うございます。
by dan (2013-02-15 14:19) 

かよ湖

深いなぁ。さすがdanさん!
読みながら思いあたる出来事たちが多々あり、懐かしい気持ちにもなりました。
きっと数年後にまた読んだら、一段と感慨深い気持ちになるんでしょうね。
これからも、たくさん書いてくださいね。
by かよ湖 (2013-02-16 16:25) 

dan

まだ若いかよ湖さんにはピンとこないでしょうが
読んで下さって嬉しいです。
もう種切れだけど頑張ります。コメントが元気の
源です。有難うございました。
by dan (2013-02-16 18:44) 

あかね

「平成シニア物語」というシリーズは、平成時代のシニアと呼ばれる世代の方々が主人公になる、ひとつずつが別々の、独立したストーリィなのでしょうか?

そうなのかな、と勝手に判断しまして、まずはこれを読ませていただきました。

香織さんの気持ち、わかる気はします。
案外今どきの若いひとだって、こんなふうな結婚をして、こんなふうに穏やかに幸せな人生……というのもあるかもしれませんね。


by あかね (2013-06-23 13:14) 

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