平成シニア物語 葉桜の頃 問わず語り [平成シニア物語]

 コーラスが終わると紅子は誰よりも早く部屋を出た。
広場の若葉がキラキラと陽に光ってのどかな午後だ。沢野が追って来た。
「速水さん約束忘れたのですか、それとも何か急用でも?」息を切らせなが
ら紅子の前に立ちはだかった。「いえ別に」紅子は口ごもった。「ああよか
った、余り急いでいるように見えたからあせりましたよ。」
 沢野の笑顔はさわやかだ。つい紅子も笑ってしまった。
 並んで歩きながら「又例の所でお茶にしますか。それとも天気がいいから
少し公園の辺りを歩きましょうか。」沢野はさりげなく紅子の顔を覗き込む。
「本当にいい季節になりました。外の方がいいですね。」紅子は応えて、二
人は公園の方に向かって歩き出した。
 行き交う人たちの服装も軽やかで、紅子も考え込んでいたさっきより随分
気持ちが楽になった。
 大通りをしばらく行くと、昔の城址がそのまま公園になっている広場に来た。
松や桜、柳やつつじなどの木々が沢山植えられて、季節ごとに美しい花が
咲く。
 夏には盆踊りや花火大会などがあり、市民の憩いの公園だ。大きな桜の
木の下のベンチを目ざとく見つけると、沢野がさっと大判のハンカチを出し
て敷き「どうぞ」と紅子を見た。「有難うございます」紅子はハンカチを外して
座り「大丈夫です」と言いながらそのハンカチを丁寧に畳んで沢野に渡した。
彼はだまってそれを受け取るとポケットにしまった。その仕草は自然でいつ
もの紅子なら、きざだとか、わざとらしいとか思ってあまり好きではないのに
今はそんなふうに思わない自分に不思議な気がした。
「ああよかった、また速水さんと話が出来るなんて、この前少し強引だった
から嫌われたのではと、内心心配していたんですよ。」紅子は黙っていた。
自分が喜んで、この日を心待ちしていたように思われるのは嫌だった。
「やっぱり怒っているのですか。」「いいえ私だって自分の意思でご一緒した
のだからそんなことはありません。ただ突然のことだったので。後で少し反
省はしましたけど。」「不愉快だったのですか。あまり楽しそうに見えなかっ
たけど僕は充分楽しかったです。それに今日も又お付き合い下さったのだ
から、そう深く考えなくてもいいと思っています。僕は単純ですし物事は自分
の都合のいいように解釈することに決めているんです。」沢野はそう言って
そらを見上げた。男らしい横顔だった。
「沢野さんは歌がとてもお上手ですけど、どこかで本格的に勉強なさったの
ですか。」紅子が話題を変えた。「ええまあ学生の頃グリークラブにいて僕
の大学四年間は、歌ってばかりだったと言ってもいいかなあ。」道理で、と
紅子は思った。今のコーラスは沢野には場違いな感じさえしていたから。
「やっぱりそうなんですね。それならどこかもっと他に沢野さんにふさわしい
ところがあるのでは。」「いいえもう昔の話です。それに今も張り切って行っ
ている訳ではないのですよ。家の中ばかりにいないで、あなたの出来るの
はコーラスぐらいだからと家内に追い出されましてね。」冗談とも本当とも
つかぬ口調で言って沢野は笑った。そして買ってきた缶コーヒーを紅子に
渡すと話し始めた。
 彼は両親と同居していたが数年前に相次いで亡くし、二人を介護してく
れた妻も、やっと自分の趣味に時間を使えるようになった。そして毎日の
ように出かける妻を見ながら、ぼんやりしている時妻に勧められたそうだ。
 紅子も趣味が沢山あって忙しい夫の背中をいつも見ていたから、沢野の
気持ちを何となく理解出来た。 
 「速水さんに僕が声をかけたのはどうしてだと思いますか。」突然沢野が
言った。
 二年前初めてコーラスに来た時、沢野は紅子を見て驚いた。彼女だと思
った。彼女ならこういう女性になっているだろうと思った。不思議な巡り合わ
せだとも思った。でもそんなはずはない。彼女は外国にいるはずだから。
 そしてやっぱり紅子は他人の空似で彼女とは別人だと自分で納得できる
までに半年かかった。
 彼女は高校時代の同級生で初恋の人だった。二人の想いは通じ合って
いたのに、三年生になって一年間の予定でアメリカに留学した彼女は、そ
のまま帰って来なかった。ごめんなさい、有難う、さようならと短い便りがあ
ったきり音信普通となった。もう四十余年も前のことだ。
 だから沢野のなかで彼女はもう過去の人だった。紅子に会うまではー
「速水さん僕はどうしても貴女と話がしたいと思った。そして友だちになりた
いと思いました。 そして望みが叶うまで一年半もかかってしまいました。」
 


nice!(7)  コメント(2) 

nice! 7

コメント 2

リンさん

ああ、危険な香りが…^^
沢野さんは、深い意味もなく誘っているのだと思っていました。
そうですか。初恋の人に似ているんですか。
危ないなあ。
続きが楽しみです。
by リンさん (2013-03-21 18:10) 

dan

あまりに月並みな発想ですね。でも何とかしなければ。
実は私こういうのは苦手なんです。
あまり楽しみにしないて下さい。

by dan (2013-03-21 21:12) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。