鈴のふるさと  兵隊さんの街 [鈴のふるさと]

 鈴が三歳になった頃、父の仕事の都合で生まれた村から一里ほどの
隣町で、父母と鈴、弟の四人で暮らすことになった。
 田舎の家と違って塀に続く木戸をあけると、玄関まで庭木に沿った通
路かあり、木犀の香りがして、子供心に鈴はこの家が好きだった。
 家の近くに陸軍の師団があって、塀に囲まれた広い広い敷地には兵隊
さんが大勢いた。
 表通りの門の前には三角屋根の小さな箱のような家があって、そこには
いつも銃を構えた兵隊さんが立っていた。時々はラッパの音も聞こえた。
 鈴たち子供は、裏通のからたちの垣根のとげを気にしながら、隙間から
馬に乗ったり、隊列を組んで颯爽と歩く兵隊さんの姿を見ては、胸を躍ら
せていた。
 兵舎から少し離れた川の側の細い道にそって豚舎があり、異様な匂い
とブーブーと騒いでいた豚さんはどうなったのだろう。


 ガラガラと開く玄関の格子戸の音に鈴は転げるように飛んで行った。
さっきまで門の所でまっていたのに。ニコニコ顔の父は「ただ今」と言い
ながら小さな包みを鈴の手にのせた。「おかえりなさい」母が笑顔で鞄を
受け取る。
 父のお土産はいつも鈴が大好物のチョコレート。鈴はつるつるの紙を
はずして銀紙の端っこをめくりべろりとなめて父母の顔をみる。「もうすぐ
ご飯ですよ。チョコはあとでね。」いつもの光景である。

 ある夜のこと「ギゃアー」という鈴の泣き声に両親は飛び起きた。みると
鈴の右手が血で真っ赤に染まり、鈴は息もきれんばかりに泣いている。
父は寝巻のまま鈴を抱えて、三軒隣の小野病院へ走った。母が玄関の
戸を壊れんばかりに叩いた。「先生! 先生! 」パット電気がついて奥様が
顔をだした。「どうしたどうした」と言いながら、小野先生はゆっくり白衣を
はおりながら出てこられた。鈴の手を見て「ほほうー」と少し笑って「やら
れたなあ鈴ちゃん。でももう大丈夫。」と消毒をして薬を塗り白い包帯で
鈴の右手をぐるぐる巻きにした。
 鈴はもう泣きやんで珍しそうに辺りを見回した。
この時のことは慌てふためいた泣き顔の両親と、オレンジ色の電燈の下
で落ち着いた様子の小野先生の髭の顔。そして診察室の片隅の鈴の手
を洗った白い洗面台のことしか覚えてはいない。
 鈴はチョコレートのついた指をネズミにかじられたのだ。
きれい好きの母はいつも塵一つ無いほど掃除していたのに。
 そう言えば炊事場の土間の井戸の辺りをチョロチョロはしるネズミを鈴
は見かけたような気がした。


 「鈴 鈴」父の声がして眠っていた鈴は目を覚ました。陽の光が硝子戸
いっぱいに溢れている。
「鈴赤ちゃん生まれたよ。ホラ来てごらん。」父はまだねぼけ眼の手をひい
て座敷に行った。床の間にお雛様が飾ってある部屋の真ん中に、母の
寝ている布団が見えた。「お母ちゃん」鈴が呼ぶと母はにこにこと赤ちゃん
の方をみた。そこの小さい布団のなかに真っ赤な顔のお猿さんのような
赤ちゃんが、小さな手を固く握りしめていた。「妹だよ嬉しいね。」父は嬉し
そうに言って鈴を抱きしめてくれた。

 鈴は一年生になった。赤色の真ん中に白い百合の花のついたランドセ
ルを背負って、近所の上級生たちと集団登校する。六年生のトミ子さんが
鈴の手をひいてくれる。学校までの道を皆で大声で歌を歌いながら行くの
だが、鈴は恥ずかしくて声が低いとよく怒られた。

 勝ってくるぞと勇ましく 誓って国を出たからは.....

 お国の為に闘った兵隊さんよ有難う.....

歌詞は定かではないがとにかく歌った。
 戦況は厳しくなりつつあったのだろう。
学校でもっと嫌だったのはお弁当の時間。皆のお弁当のご飯に先生が
ふりかけをかけてくれる。焦げ茶色のそれは味などあったのだろうか。
 その正体はイナゴだ。広い練兵場の草むらで上級生がとって来たのだ
という。それを運動場に敷いたむしろの上で何日か乾燥する。
次に大きな鍋いで煎るのだ。こんがりと煎って冷してかりかりになったら
今度は石臼で挽く。これでイナゴのふりかけの出来あがり。
 このことは上級生がひそひそ話していたのを聞いた気がすが、真偽の
ほどは定かではない。
 でもふりかけは確かにあったし、運動場にはイナゴが干してあった。

その嫌なお弁当を食べる時鈴たちは手を合わせて声を揃えて唱えた。

 みいつのもと いまさいわいに しょくをうけ つつしんで あつちのめ

 ぐみをおもい  すききらいはもうしません いただきます

 鈴の兵隊さんの街での生活はもう少し続いた。
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コメント 6

みかん

ねずみだったのですね!
チョコ… ねずみが寄ってくるなんて
鈴は思ってなかったでしょう^^;
母が山形出身なのでイナゴの佃煮は
子どもの頃よく食べてました^^
もう20年以上食べてないですねぇ…
by みかん (2014-09-06 12:17) 

リンさん

細かいところまでよく書かれていますね。
目に浮かぶようです。
ネズミに噛まれることなんて、今ではないでしょうね。
イナゴの佃煮なら、一度だけ食べたことがあります。
ふりかけよりは美味しいでしょうね^^
続き楽しみです。
いつでも子供はイキイキとしていてほしいですね。
by リンさん (2014-09-07 13:59) 

あかね

昔はあったらしいですね、ネズミ。
「火垂るの墓」にもそのようなシーンがあったような。

danさんには戦争の記憶は……ほとんどないですよね? うちの母が十七、八のころに終戦だったそうですから、年齢からすると……と勝手に計算してますが。

それでもほんのすこしでも戦争を知ってらっしゃる世代の方が、語り継いで下さるのはとてもとても大切だと思います。
続き、期待しています。
by あかね (2014-09-07 17:36) 

dan

みかんさん
有難うございます。
いなごの佃煮あるんですね。子供のころの思い出
私も一番ふるいのが多分ねずみ事件です。
by dan (2014-09-07 18:56) 

dan

りんさん
有難うございます・書き出してみたものの、さてと
心配になっています。
ただ元気で明るい子供の様子が、伝わればと、
思っています。
by dan (2014-09-07 19:01) 

dan

あかねさん
有難うございます。終戦の時私は九才でした。
でも子供心に戦争は嫌だと思ったことは憶えています。それが少しでも伝われば嬉しいです。
by dan (2014-09-07 19:09) 

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