遥かな春に思いを [随筆]

 チャイムの音に玄関に出てみると彼が立っていた。
私を見て少し笑ったように見えた。
「突然ごめん。これ渡したくて....。」
そう言いながら彼は抱えていた鉢植の包みを恥ずかしそうに差し出した。
 薄紫の和紙とセロファンに包まれた桜色の花が見えた。私にはそれが桜草である
ことがすぐに分かった。柔らかい緑色の葉と、愛らしい桜色の花。私が大好きな花。
 私はこの光景が今ひとつ理解出来ぬまま、黙ってそっとその鉢を受け取った。
「ちょっと出られない?」
彼が呟くように言った。
 彼が家に来たのも初めてなら、こんなに親しげな物言いも聞いたことはなかった。
 二人は高校三年生、二年間同じクラスだった。勉強も運動も出来た上に、背が高く
て格好いい彼はクラスの人気者。そんな彼を私は遠くから見ていた。
 三年生になって学習塾の模試の時、偶然席が隣同士になった。私は胸がどきどき
して、自分でもわかるほど顔が火照っているのを感じて慌てた。彼は少し驚いたふう
だったけれど「頑張ろうな」と声を掛けてくれた。
 それからの私はもうどんどん彼のことが好きになり、教室で目があったりするともう
自分でもどうしていいか分からないほど取り乱しそうになった。
 ただそれだけのことで彼の態度に変わったところはなく、私はすぐに自分の片思い
に気が付いた。
 お互いに東京の大学を受験するという大きな目的が目の前にあり、私も勉強に打ち
込むしかなかった。
 一月末私は第一希望の私立女子大に合格した。学校の掲示板でそのことを知った
彼は教室で誰よりも早く
「おめでとう。やったね、僕も頑張るよ。」と言ってくれた。それだけで私は天にも昇る
心地だった。
 彼も私のこと気にかけていてくれたのでは....。私は少し希望を持った。なんとか彼を
応援出来ないかと考えた末、市内の神社を回って彼の為に祈り、四個もお守りを買い
「頑張って!!」と小さなカードを添えて彼の家のポストに入れた。
 彼が難関の国立大学に合格したことはすぐに知った。私は自分の事のように嬉しくて
一人で泣いた。おめでとうをいう機会もなく一週間、勿論彼からの連絡もない。お守りを
送った時もそうだった。
 私はそれでよかった。自分の気持ちが通じてさえいれば.....。そして今日突然の訪問
だった。
 二人は初めて並んで歩いた。私は夢心地だった。水色の空、少し冷たい二月の風も
暖かく感じた。自分の想いが彼に届いていたのが嬉しかった。
 彼は目を輝かせて大学では頑張って夢を叶えたいと言い、君の応援が嬉しく励みに
なったのだと言った。
「桜草は僕のお礼の気持なんだ。本当に有難う、好きな花なんだろう。いつかクラスの
日記に書いていたから。」
彼の優しい気持ちが真っ直ぐ私の胸に入って来た。
 大学に進んだ二人は、しかし再び会うこともなく私の恋は終わった。
風の便りにきく彼は勉学に没頭しているようで、私にはどうしても声をかける勇気がな
かった。

 二人の間に四十年近い月日が流れた。

 私は今でも桜草の花に彼の面影をみている他愛ない普通のおばさんになった。
彼は優秀な学者として今アメリカの大学にいるという。

 
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コメント 4

リンさん

可愛いふたりですね。
何とももどかしいのが、青春の一ページ。
今だったら、携帯で連絡取りあったりするんでしょうけど、こういう片思いもいいですね。
by リンさん (2016-02-27 17:29) 

dan

有難うございます。
現代ではこういう恋は成立しないでしょう。
時がゆっくり流れていた昔は情緒がありました。
by dan (2016-02-27 17:51) 

智

彼もうちょい頑張れよーとツイ想ってしまいました、笑
でも当時は花を贈るだけでカナリ勇気だったろうな想いながら、残された記憶は想いだすごと優しい瞬間だろうなと。
なんて書きながら、これdanさんの実話かなあ?なんて想ってしまいました、笑
by 智 (2016-03-08 21:39) 

dan

有難うございます。
そういう時代の初恋です。
それにしても一寸彼は弱いですね。
残念ながら私のことではありません。(笑)
が、私の好みではあります。(笑)(笑 )
by dan (2016-03-09 22:11) 

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