面影草  8 [短編]

 二人が新居を構えたのは県庁所在地に次ぐ県東の工業都市だった。
大企業S傘下の会社が五社もあり、活気に満ちたブルーカラーの街でその
下請けも含めると市民の殆どが何らかの形でSに関わり、Sなしでは夜も
日も明けぬ様子の街だった。
 そんな中で彼は役所勤務だったのでまあ恵まれていた。
 私は街の中心部の商店街にある株式会社とは名ばかりの、社員十五名
ほどの電気屋にやっと就職した。
 二人には休日も勤務時間も違って、思い描いた理想には程遠い共稼生活。
 私たちが出会った県都とは、街のたたづまいも生活の雰囲気も違った。この
ことは、彼がこの街に転職を決めた時から少し気になっていたことではあった。
私は「住めば都よ、まして彼が一緒なら」といつも自分に言いきかせていた。
 それでも始まってみれば二人の新しい生活は楽しくて、定時に帰宅出来る
彼が夕食を作って待っていてくれる時もあった。
すまないという気持はいつもあった私だけれど、彼が何の抵抗もなさそうに
そうしてくれることで、満足していたし感謝もしていた。
 家からバス停まで五分バスで十分で私の職場へ着く。彼は自転車で十五分
でゆうゆう役所に行けた。
 週に一回ある私の遅番の日に仕事が終わる八時頃、彼は決まって自転車で
迎えに来てくれた。
 二人は商店街の一つ奥の裏通りに、六、七軒が並んでいる屋台通りへ。
そこには赤提灯や裸電球がゆらゆら揺れて、自慢のうどんやラーメンを商う
屋台がそれぞれ味の腕を競っている。一日の仕事を終えた大勢の人たちの
笑顔が重なり合って、通りは活気に満ちている。
 二人がいつも行く店「一軒目」。元気なおばちゃんが「いらっしゃい」とびっくり
するほどの大声と笑顔で迎えてくれる。
 初めてここに来た日、私は恥ずかしいから屋台なんて嫌だと言うのに、彼は
前から一度来たかったのだと絶対に譲らなかった。
 おずおず、うろうろ、きょろきょろしていたら
「おーいそこの恋人たち何しているこっちこっち美味しい鍋焼きあるよ。」
目の前の屋台の暖簾の向こうからおばちゃんが手を振ってくれた。
 そしてこのおばちゃんと、おいしい鍋焼きとおでんが気に入った私たちは
その後ずっとこの「一軒目」に通い続けた。
 お腹がいっぱいになると帰りはご機嫌で二人で大声で歌いながら帰った。

 春は川岸の桜並木をおぼろ月に見守られながら。
 
 夏には少し遠回りをして海辺の道を浜風に吹かれて。

 秋にはとうとう自転車を放り出して、川の土手に座り清らかに澄み渡る月を
いつまでも眺めた。

 冬にはびゅんびゅんと吹く北風に向かって、彼が力いっぱい自転車をこいだ。

 貧しくて厳しい新婚生活だったが辛いと思ったことはなかった。
 大好き彼といつも一緒にいられること、これ以上の幸せなど私には考えられ
なかった。
 

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コメント 4

リンさん

いい時代ですね。
春夏秋冬、季節を感じながらふたりで過ごす時間は宝物です。
danさんのお話に出てくる男性は、亭主関白じゃなくて優しい人が多いですね。安心して読めます。
by リンさん (2016-08-23 18:44) 

dan

有難うございます。
なんのことはないお話ですが人には人生て゛あの時は
輝いていたと思えることがあるのでは。そんな平凡な一コマを切り取って書きたいと思っています。
by dan (2016-08-24 15:02) 

ぼんぼちぼちぼち

昔の映画のワンシークエンスみたいでやすね。
目の前に情景が浮かびやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2016-08-27 18:02) 

dan

有難うございます。
ぼんぼちさんからこんな素敵なコメント頂けるなんて
本当に嬉しいです。
昔の話なんです。
by dan (2016-08-27 20:47) 

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