面影草  14 [短編]

  楽しく充実している年月はみるみる過ぎていくものなのだ。
 
 彼がまた転勤になった。今回は職場の責任者ということになり、家を離れる
寂しさよりも、彼が張り切っている様子が垣間見えて私は少し不満だった。
 この時これから後、七年間の単身赴任が続くことになろうとは思っても
みなかった。

 今度は瀬戸大橋を渡って岡山県の星の美しい町だ。車で三時間はかかる。
着任の時は私も一緒に行った。かなり高い山の上に忽然と現れた施設は立派で
広々として自然が大好きな彼はすぐ気にいるだろうと思えた。
「いいなあ。ここならちょっと歩けば野草や山菜が沢山ありそうだ。」
案の定彼はきらきらした目で私を見た。
 私はごめんだ、遊びに来るのなら楽しいだろうが住みたくはない。
宿舎も素敵でマンションのよう、一人で住むのは勿体ないくらいだ。
 彼が生活に必要な諸々のことを二人で準備したり、車で十五分町に出れば
何でもあって不自由なく生活出来そうなので私は少し安心して家に戻った。

 一日の仕事を終えて誰もいない家に帰るとやっぱり一人は寂しい。彼も同じ
思いだろう。新しい職場で張り切っていても家に帰れば「お疲れ様」の一言が
欲しいのではないだろうか。それとも案外うるさい私がいないのをいいことに
羽を伸ばしているだろうか。
 生活のために、子供たちの学費のために働いていた時は考えてもみなかった
ことを考えたりする。私に少し余裕ができたからか、それとも年のせいか
仕事が嫌になった訳でもない。

 私も二十年余働いた。老境に入りつつある二人が離れ住んでまで働くべきか。
仕事を辞めて彼のところへ行こうか。
 社長からは辞める時は半年前に言ってくれ、と冗談まじりに言われていた。
総務も会計も一人で引き受けて二十年、本当に居心地よく働いた会社だ。
辞めたいなど思ったこと一度もなかったのに私は決意した。
 突然の話に驚きつつも、彼や子供たちは「お疲れ様。これからは自分の
好きなようにしたらいいよ」と賛成してくれた。

 半年後の早春、職場のみなさんの暖かい拍手に送られて大きな花束を胸に
私は二十年余通い続けた会社を後にした。
 
 本当の自由を得て胸いっぱいに吸い込んだ空気、やりたいことやるぞ!
その気持ちも一か月経つと後悔に変わった。いろいろな手続きが終ると
何もすることがない。仕事がしたい、ああ会社辞めなければよかった。
 すぐにも彼の処へ行くはずだったのに、それもせずに悶々としていて私は
見つけてしまった。
 カルチャースクール。あったあったやりたいこと。
「時々様子見に行ったのでいい」私はここに居座り「亭主元気で留守がいい」
生活を満喫することになった。
 月二回ほど帰って来る彼と、彼が向うへ行く時車で一緒に行ってしばらく
滞在して主婦らしいことをやってお茶を濁していた私。
 ずいぶん我儘だったけれど老境の入り口で、呑気な私の青春がそこにあった
ことは紛れもなかった。
 

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リンさん

なかなか一緒に暮らせないですね。
離れていても、お互い元気なら、暮らしも楽ですね。
やりたいことがたくさんあるなんて羨ましい。
私も仕事を辞めたら、そうありたいです。
by リンさん (2017-02-26 17:57) 

dan

有難うございます。
理想論かもしれないけど自分のやりたいことに
挑戦出来る人生って素敵だと思いませんか。

by dan (2017-02-26 20:47) 

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