つゆ草の道  6 [昭和初恋物語]


 仕事が終って待ち合わせの喫茶店に飛んで行くと、芙美が座るのももどかし
げに晃が口を開いた。「僕たち会えなくなる」芙美はドキリとした。「どういうこと
ですか」「実は今年の研修に僕が行くことになったんです。行くことになってい
た同僚が急病になり、ピンチヒッターとして。十二月半ばまで三カ月、東京で
す」「なーんだ」芙美は笑った。「驚いたわ、でもたった三カ月でしょう。佐原さ
ん顔青いですよ」「僕は嫌です。今一週間が待ち遠しいのに三カ月も笹井さ
んの顔が見られないなんて」女々しい芙美は内心そう思った。男のくせに。
「一度は行くことになるとは思っていたけど、こんなに早くこんな形で」晃は恨
めしそうに言った。「男でしょう、選ばれるなんて格好いいじゃないですか。し
っかり勉強してきて下さい、私は平気です」
 九月の月は一際美しい。藍色がかった深い空の色、ちぎれて浮かぶ薄い
雲も。いつもの道を歩きながら二人は黙ってしまった。芙美は思った。この寂
しい季節から冬への三カ月、私はさっき言ったように一人で頑張れるのだろう
か。精一杯の強がりだったが胸の底の方から言い知れぬ寂しさが襲ってきた。
 晃は後一週間で出発するという。あの雨の夜の出会いから三カ月、やっと二
人の気持ちが一つになり始めた所での別れである。「笹井さん、これから時間
の許す限り僕たち毎日でも会いましょう、三か月分」晃が感極まったように言う
芙美も同じ気持ちだった。
 
 晃が上京の為に実家に帰る日この日は一日中二人で過ごそうと決めていた。
朝からはれ上がった空はまだ夏色で、日射しは暑かった。
 行く先は芙美の好きな郊外の西山公園。まだお互いの事をあまり知らない二
人にとって共通の話題も乏しく、話は途切れがちだったが、今は一緒にいるだ
けで幸せだった。
 小一時間も歩いたろうか。家並みがとぎれて、公園に続く細い坂道にさしか
かると右手に竹藪が現れた。風が吹くとさやさやと笹の葉ずれの音が耳にや
さしく、汗ばんだ肌に涼しさを運んでくる。
 「好いところですね。僕こういうところが大好きです。ここに決めてよかった」
晃は興奮気味に言った。「上の公園まで行けば遠くに海も見えるし、すぐ目の
下に大きな池が二つもあるんですよ。桜の季節ならもっとよかったのに」芙美
は少し得意気に言った。
 竹藪に沿って小さな溝があり水が流れる音がした。芙美はそこに青い色も
鮮やかに、木漏れ日を受け群れて咲く小さな花を見つけた。よく見るとつんと
うえを向いている黄色のめしべが愛らしい。
「つゆ草ですね」いつの間にか晃が後ろに寄り添っていた。
 朝咲いて午後にはしぼんでしまうという、その小さな青い花を二人はいつま
でも見つめていた。
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