都忘れの花白く   4 [昭和初恋物語]


 春が来て千穂が研と出会って一年が過ぎた。
 その日は労音でダークダックスが来るので、一緒に行こう、と光代に誘われ
ていた。千穂が会場に向かって歩いていると、五十メートル程先の郵便局の
向かいに研が立っているのが見えた。今から帰るところかなあ、と思いつつ
角を曲がろうとした時研が手を上げた。自分のことが見つかったのだと千穂も
合図を送ろうとした時、彼の傍に小走りで近付いて来た女性がいた。「あれっ」
と思った千穂の目に、振り向いた女性の顔がはっきり見えた。同僚の大津涼子
だった。千穂は心臓の鼓動が大きく波打っているのが分かった。
 二人は並んで話しながら遠ざかって行った。後を追いたい衝動に駆られなが
らも、辛うじて平常心を取り戻した千穂はゆっくり歩き出した。そして同僚だもの
偶然帰り道で出会ったのかもしれないわ、と自分に言い聞かせた。
 ダークダックスのハーモニーは、心が洗われるような美しさで、特にロシア民
謡は一際胸に響くものがあった。しかし約二時間のコンサートの間千穂の脳裡
から、さっき街角で見た研と涼子の姿が離れることはなかった。素晴らしい歌声
なのに、何故か悲しくて次々と涙がこぼれ落ちた。
 友子がどうしても都合がつかなくて、二人になったけど楽しかった、と光代は
思いつつ、今夜の千穂の様子がおかしいことに気づいていた。千穂はいつも
無口だったけど、今夜は特に光代の言うことに相槌は打つものの、何だか虚ろ
な表情で、心ここにあらず、の感情が見え見えだった。その理由が何だかさっ
ぱり分からなかったけれど、光代は心配だった。
 お茶でも飲みに行く?と聞く光代に千穂は「今夜は遅いから又にしょう」と弱々
しく行った。「ねえ千穂、何か心配事でもあるの、様子が変だよ」「ううん、何でも
ないよ、昨夜寝不足で少し頭が痛いの」今から光代と二人になりたくはなかった。
彼女の優しさに自分は取り乱して、きっと確かでもない研たちのことを喋ってしま
うに違いない。今夜は一人で自分の力だけで考えてみよう。千穂は思った。
 早くに母を亡くした千穂は、今父と兄夫婦と4人で暮らしていた。
 自分の部屋で一人になると、少し冷静になれた。
涼子は明るくて気さくで、芯の強そうな所はあったが同期の中では千穂とは気
が合う方だった。この頃では会社の人たちも、研と千穂のことはよく知っていて
むしろ公認のようになっていた。だから涼子のことは何でもないと思えば思う程
得体の知れないもやもやが、千穂の胸に広がって行った。
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