都忘れの花白く 8 [昭和初恋物語]


 研が重い口を開いた。「ごめん、いつか話そうと思いながらどうしても勇気が
なかった。大津さんとは時々会っていた。」千穂は耳を疑った。突然周りの音
がすべて消えた。千穂は呆然とただ動いている研の口元をみつめていた。
 研は明るくて元気で、はっきりものを言う涼子に千穂とは違った魅力を感じ
ていた。涼子といる時は、自分でも驚くほどよく喋ったしよく笑った。
 千穂と付き合い始めてすぐ涼子の方から近付いてきた。同じ社内の同期の
二人と同時に付き合うことがどういうことか、研にも分かってはいた。
このままでは二人を傷つけることになると思いつつ研は自分の弱さに負けた。
 彼にとっては千穂も涼子も離したくない、大切な女性なのだ。
 身勝手だ不誠実だと罵られても、そんなことは叶わぬことだと分かっていて
も今まで研はどうすることも出来なかった。
「千穂さんのこと大好きだけど結婚は出来ない」
 突然研の声がガーンと衝撃的に聞こえて、千穂は我に返った。
唇を真一文字に結んで、青ざめた研の顔が目の前にあった。
 千穂はすべてを悟った。「好きだけど結婚は出来ない」どういうことか、今の
千穂には到底理解出来ることではなかったが妙に納得した。
 なぜか悲しくはなかった。ただただ虚しさが胸に迫って来た。
このまま研といるのは辛すぎた。
 千穂は黙って喫茶店を飛び出した。さっきまで降っていた雨は上がって、灰
色の西の空に美しい虹の橋がかかっていた。
 その場に座り込んでしまいたいほどの疲労感を感じながら、千穂の足はい
つの間にか光代の家に向かっていた。
 突然の千穂の来訪に驚きながらも、光代はその様子からただならぬものを
感じていた。部屋に通して二人きりになると、千穂は自分の体を支え切れなく
なったように、その場にくず折れて泣きじゃくった。
 母が熱い紅茶を持ってきたくれた。黙って二人で紅茶を飲んだ。
 少し落ち着くと、千穂はこのところの研とのことをすべて光代に話した。
 光代は聞きながら、その内容をすぐには理解出来なかった。あの紅葉を見
に行った後、研に会ったことはなかったが、いつも千穂から二人のことは聞い
ていて、友だちとして応援していた。
 少し落ち着いてくると、光代の中に研に対する怒りが猛然と突き上がって来
た。この純真で一途な千穂の気持ちを踏みにじる行為を許すことは出来ない。
「千穂はこのままでいいの」黙っている千穂に畳みかける。「千穂のこと好きだ
けど結婚は出来ないって。なら結婚はその大津さんという人とするの」「それは
分からない」と千穂。
 光代は泣きそうになった。いらいらした気持ちを千穂にぶつける。「千穂ここ
は自分の気持ちを一番に考えて。どうしても山部さんが好きなら、ここで引き
下がっては駄目。どんなに辛くても、このままでいいということはないでしょう」
 恋を知らない光代の理にかなった言い分だった。
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