昭和初恋物語   筒井筒~港の町で [昭和初恋物語]

 電車が来るまでまだ少し時間がある。ベンチに座ると奈央は定期入れを開けた。
ちょっと澄まして目は笑っているこの写真は、淳が大学へ行くためこの街を去る日
「よかったらあげるよ」と言ってくれた。「うん」と何気なく貰ったが奈央には何の感
情もなかった。
 あれからもう一年になる。一週間前、突然淳から手紙が来た。ゴールデンウイー
クに帰省するから、次の日曜日会えないか、もしОKなら船が着く港の町まで来て
欲しい。
 奈央は思わず笑った。「どういうこと?」淳が大学に行ってから、二人はただの一
度も会ったことは勿論、手紙を交換したこともない。
 それにこの一方的なものの言いよう。船が着くのは十一時、待合室で待っている
とだけ書いてあって奈央の返事を聞くでもない。第一どこへ返事を出していいのか、
住所も知らない。
 淳は二人が生れ育ったこの街から電車で一時間、そこからフェリーで二時間の
所にある街の大学に進んだ。奈央は地元の大学を選んだ。
 二人は幼馴染で高校までずっと一緒だった。淳に貰っ写真を何の気なしに定期
入れに入れたので、まあ時々は眺めることにはなった。
 淳の手紙を受け取って、奈央は直ぐに久し振りにあの港の町に行ってみようと
思った。淳に会うというより、彼女はこの町が好きだった。
 駅を出るとすぐ小さなお城が見えて、楠の並木の大通りを三十分も歩けば港に
着く。そこから島通いの小さな船や、本州に渡るフェリーがひっきりなしに出入り
する。その上ここには奈央の好きな大きな川がある。
 奈央が港に着いた時、もう船は入っていて白いシャツの淳が、待合室の中から
大きく手を振りながら飛び出したきた。「おう、来てくれたんだ。よかった」大声で言
ってさっと奈央の手をとった。「だって来るよりないでしょう。返事のしようがないの
だから」「ああそうか、元気そうだなあ。少し綺麗になったかな?」淳はまじまじと奈
央を見つめながら嬉しそうに言った。「兎に角お昼食べようや」淳はさっさと先に立
って直ぐ近くの食堂に入った。お昼にはまだ早く他に客はいなかった。「ねえ、どう
いうことなの。何で私を呼び出したの?それも突然で、人の都合なんか考えないん
だ」店に入って席に着くなり、奈央は頬を膨らませて淳を少し睨んだ。淳は一瞬居
住まいを正して「うん奈央に会いたかっただけだよ。他に理由なんかない」とぶっき
らぼうに言った。
 奈央は一瞬事態が飲み込めずにポカンと淳の顔を見つめていた。
「離れてみて分かったんだ。俺奈央のこと好きだったみたいなんだよ。考えたこと
なかったけど、大学に入ってから何だか変なんだよ。何か足りない、何か違うと考
えていたら、そうだ奈央の顔見れないせいだと気づいた。だって物心ついた時か
らいつも一緒だったもんなあ」一気に言って淳はニコニコと笑った。
 奈央にも、彼の言い分が少し分かってきて、下を向いてくっくっと笑った。
本当に子供の頃から見慣れた淳の顔が目の前にあった。大学生にもなって何と
他愛ないことを言っているんだろうと、奈央は今度は声を上げて笑った。
 店を出ると当てもなく二人で町を歩いた。奈央はこの一年淳のことなど考えたこ
とあったかしらと思った。大学生活は新鮮で、楽しくて友人も何人か出来た、だか
ら淳のことをふっと思い出すことはあっても、会いたいとか、寂しいとか思ったこと
はない。でも何気なく貰った写真を定期入れに入れて、見るともなく見ていたのは
事実だ。奈央は不思議に思った。こんなところへ女性が入れるのはきっと恋人の
写真だ。私は心の深い深いところで淳のことが好きだったのだろうか。
 いつか二人は河原に来た。明るい日射しをいっぱい受けて中州には若草が生
い茂り、青い川の水がキラキラ光っている。「うおーっやっぱりいいなあ」淳は走り
だした。土手から河原に下りる小さい石段を、要領よく下りて、下から奈央に手を
振る。 子供の頃から全然変わってないその様子を見ながら、奈央は何か懐かし
い思いで後に続いた。
 二人はこの一年間の、お互いのことを時間を忘れて話し続けた。奈央はこんな
に淳に話すことがいっぱい有ったのだと不思議な気がした。
 淳は思い続けた奈央とこうして一緒にいられることが、何より嬉しかった。
 随分長い間河原にいたような気がした。少し風も出て来た。
「そろそろ帰ろうか」淳に促されて奈央は立ち上がった。
 川べりの道を並んで歩きながら、奈央はこの数時間の間に淳に対する自分の
気持ちが、少し変化しているのに気づいていた。
 吹き抜ける風と、降りそそぐ五月の光の中で、奈央の胸は少し弾んでちらっと
淳の横顔を見た。


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コメント 4

リンさん

友達から恋人に変わる瞬間って、こんな感じかもしれませんね。
とても可愛い二人ですね。
せっかく芽生えた恋、離れても続いてほしいですね。
by リンさん (2012-05-30 15:04) 

dan

有難うございます。
初めて読み切りで書いてみました。
リンさんの短くて素敵な作品たちの真似です。
全然手ごたえなくて。

by dan (2012-05-30 19:35) 

かよ湖

大変遅くなり、すみません。
1話完結の予定だったのですか?やっぱり続きの展開が気になりますよね。(笑)
danさんの文章は、爽やかで清々しくて、心地よい微風が体を通り抜けていくようです。暑い季節でも爽やかに感じられます。
by かよ湖 (2012-06-20 00:56) 

dan

嬉しい嬉しい。
作文みたいな小説読んで下さるだけでも感激なのに
感想まで。続き書くことになって困りました。
お父様のことや、お忙しいのに本当に有難うございます。
by dan (2012-06-20 12:33) 

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