筒井筒~港の町で 決意 [昭和初恋物語]

 梅雨が明けると真っ直ぐに夏が来た。大通りの街路樹の濃い緑が、そこだけ涼
しい影を落としていて、ここでは皆ほっと一息つく。
 桜の花がいっぱいの春、丘の上の喫茶店で奈央と司朗が会ってから、もう三カ
月になろうとしていた。あの日奈央は心をこめて自分の気持ちを司朗に伝えた。
「好きな人がいるのか」と聞いた司朗の言葉を否定はしなかった。ただただ司朗の
優しさに甘えてしまった自分の非を詫びて「この話は無かったことにして欲しい」と
頭を下げた。司朗は残念そうに「僕も今直ぐ結婚を考えている訳ではないのでそう
結論を急ぐことはないのでは」と言ってくれたが、奈央は自分の気持ちに忠実であ
りたいと思った。
 奈央の話を聞いて叔母も両親もがっかりしたようだったが、「あなたももう若くは
ないのだから我儘を言ってはいけない」と言いつつ奈央の気持ちを理解してくれた。
 そんな中で建設中だった市の福祉会館が、六月に落成した。七月に入ってから
次々と始まる落成行事のことで、奈央は毎日を忙しく過ごしていた。仕事に没頭す
ることで、奈央は淳のことも司朗のこともしばらく忘れていたかった。
 そんなある日奈央は淳からの手紙を受け取った。
 昔から突然こういうことをする淳だったが、今の奈央には、いつもとは違う胸に
響くものがあった。
 八月に一年振りに帰国するので是非奈央に会いたい。今回は二人が生れ育った
街にも行きたいので、奈央も絶対に都合をつけて帰ってきて欲しい。とあって勿論
返事の有無など問うてはいない。
 奈央もその頃には仕事も一段落するので、ゆっくり淳と話したいと思った。
窓を開けると満天の星がいっぱい。淳と私まるで七夕さまみたい。ふっと笑いがこ
み上げて来た。

 淳はベルリンでは初めての海外勤務とあって、街や仕事に慣れて普通の生活が
出来るようになるまで随分時間がかかった。お陰で奈央のこともしばらくは忘れて
いられた。しかし、少し余裕が出て来ると休みの日など、やっぱり一人で異国にい
るのだと実感して寂しかった。
 そしてあの港の町に奈央を訪ねた時に、ベルリン勤務になったことを言えばよか
ったなどと後悔したりもした。今回は一年振りの帰国だ。出張だったが、一週間の
休暇も取った。どうしても奈央に会いたかった。奈央が自分のことをどう思っていよ
うと、奈央に対する自分の気持ちだけははっきり伝えようと決心していた。

 八月三日は晴天で朝から真夏の太陽がぎらぎら照りつけていた。約束の十一時
デパートの屋上庭園の、涼しい風が吹き抜ける木陰で、奈央は淳を待っていた。
お気に入りの白地に黒の小さい水玉模様のワンピースを着た奈央は若々しくて、
華やいで見えた。
 淳は昨夜夜行で東京を発ったはずだが、彼の両親は三年前に、長男と同居する
ためこの街を離れたので、ここに淳の生れ育った家はもうない。
 「奈央! 」大きい声がした。振り向くと白いシャツに紺の上着をきちんと着た淳が
立っていた。「こんにちは」奈央は胸がいっぱいになって自然と声が上ずった。
「約束通り来てくれて嬉しいよ。元気そうだね」「淳も」二人は思わず固く手を取りあ
った。




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リンさん

春が過ぎて、夏になったんですね。
忙しい日々の中で、ふとした瞬間に思い出す人。
恋というのは、そういうものかもしれません。

奈央のお見合い話を聞いて、淳が少しでも焦ってくれたらいいなと思います^^
by リンさん (2012-07-14 17:07) 

dan

古風な恋なのですね。まして幼馴染のお互いに
気がつかない恋。あ~あじれったい。
いつもご感想有難うございます。頑張ります。
by dan (2012-07-15 10:25) 

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