昭和初恋物語  故郷の詩  1  [昭和初恋物語]

 小さな駅のホームの桜が満開で、白い花びらが汽車から降りた乗客の肩に
ひらひらと散りかかる。
 その中を大森創は足早に駅前の自転車置き場に向かった。ここから彼の住
む村まで三十分の道のりを、自転車で通っている。
 創は二駅先にある電波専門学校の三年生に進級したばかりである。
同級生たちは、この駅のある町の高校に進んだが、彼は躊躇なく五年制の高
専を選んだ。子供の頃から船が大好きで、船員になりたいと思っていた。
 駅を出ると村へ帰る高校生たちと一緒になる。知った顔に「やあ」と声をかけ
ながら、創は鎮守の森まで力任せにペダルを踏む。今日は吹く風も心地よくて
歌でも飛び出しそうだ。そこを通り過ぎようとした時、大きな松の陰で人の気配
がした。高校生たちはよくここで一休みするので、珍しいことではなかったが、
創は何故か気になり、自転車を下りて近づいて行った。
 そこにセーラー服を着た一人の高校生が座り込んでいた。
「どうかしましたか?」創は思わず声をかけた。その声に振り向いた顔を見て、
彼はあっと思った。二級下の堤彩子だった。「堤さんどうしたのですか。」「少し
気分が悪くなって....」驚いた顔の彩子が小さい声で応えた。「大丈夫ですか」
創は近付いて彩子の顔を覗き込んだ。心なしか青い気がした。「はい大分落ち
着いたので、もう少し休んで帰ります」と彩子。と言われてもこのまま放って帰
るわけにはいかない。
 創は彩子を神社の縁側まで連れて行き、少し横になるように勧めた。「別に
痛いところはないですか」彩子が頷く。「それなら大丈夫でしょう。僕がここに
いるから、少し休んで行きましょう。」彩子は言われるままに、体を横たえた。
 春の夕暮れ時は穏やかで、この神社の境内の桜も満開だった。高く聳える
松や杉の木の間を渡る風はやさしくて気持ちが安らいだ。
 創は少し離れて座り教科書を取りだした。ここでのんびりしていて大丈夫だ
ろうか、と心の中は不安でいっぱいだったが、即医者へ行くほどの状態では
なさそうだった。彩子は眼をつぶってはいたが眠っている風ではなかった。
 三十分程で起き上がった彩子は「有難うございました。少し良くなったので、
もう帰れそうです」顔にも赤味がさして、創が見ても気分が良くなったのが分
かった。「自転車乗れますか?」「はい大丈夫です。ゆっくり帰りますから。」「じ
ゃあ僕が後ろについて走りますから、駄目になったら言って下さい。」
 もう辺りには人影もなくて、二人は本当にゆっくりと自転車を漕いだ。創は何
だか浮き浮きしている自分に気かついて少し慌てた。
 村の中心にある彩子の家の前で「兎に角帰れてよかった。お母さんに体の
こと話した方がいいですよ。」と創は言った。「はい。有難うございました。」元
気な彩子の声を背に聞いて、村のはづれにある創の家まで、彼は力いっぱい
自転車をこいだ。「お帰り、今日は少し遅かったね」母が門口まで出て来て言
った。
 創の家は兼業農家で父と長男は、役場に勤めていて、母と兄嫁との五人暮
しで、創のすぐ上の兄は大学生で家を出ていた。
 家の周りは田圃が開けていて、今は小学唱歌そのままに、菜の花が風に揺
れ、今夜は月が美しい。その月を眺めながら、創は今日の彩子との数十分を
思った。あまり話はしなかったけれど、彼には忘れられないひとときになりそう
だった。
 彩子は自分の部屋で横になると、今日の事は母には言うまいと決めた。
彼女は昨夜、殆ど徹夜で勉強したことを反省していた。今日の体調の悪さは
睡眠不足だ、自分ではそうと分かっていて、創にそれを言わずに心配をさせ
たことを悔やんでいた。でもちょっと恥ずかしくて言いだせなかった。
 彩子は父を戦争で亡くして母は看護婦として働き、二人でここまで来た。
早朝や夜中に呼び出されて行く母を、小さい時から一人で頑張って寂しさに
耐えて来たので、しっかりした賢い娘に成長した。だからつまらないことで母
に心配をかけたくはなかった。いつのまにかぐっすり眠ってしまった彩子は、
夜にはすっかり元気になって、母の作った晩ご飯ををもりもり食べた。


nice!(1)  コメント(2) 

nice! 1

コメント 2

リンさん

danさんの新しいお話が始まって、楽しみが増えました。
うちの娘も徹夜で宿題をやって、体調不良で早退したんです。
この彩子さんとは大分違って、夏休みに遊びまくったツケが回ったんですけどね^^
これからも楽しみにしています。
by リンさん (2012-09-05 16:15) 

dan

早速コメント嬉しいです。
昭和の高校生、どうなるか心配。
昭和初恋物語も十話になるので、今回で一区切り
つけて、最終話のつもりです。
またご意見聞かせてくださいね。
by dan (2012-09-05 19:17) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

八月も終わりですね故郷の詩  2 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。