平成シニア物語  忘れ霜  1 [平成シニア物語]

 春が来たというのに急に冷え込んで霜が降りた日の午後、加奈は一通の手紙を
受け取った。
 夫の直也は今日も図書館に出かけて行った。
 加奈は午後から春物の衣替えの準備をしようと考えていた。還暦を過ぎた二人
分の衣替えなど、そうたいして時間もいらないだろうと思っていたのに、終わったら
もう三時、コーヒーで一休みする前にポストを覗いた。
 そこにあった分厚い白い封筒の宛名の文字をを見た時加奈ははっとした。まさか
と思いつつ差出人の名前を見た。「住田敬」はっきりとそう書いてある。

 敬は高校の同期生だが特別親しかった訳でもなく、個人的に会話を交わしたこと
もなかった。
 加奈が大学生になって始めての正月、数十枚の年賀状の中に住田敬の名前を
見つけて驚いた。不思議な気がした。挨拶以外なにも書いてない普通の年賀状だ。
加奈もあわてて普通に返礼の年賀状をだした。この時友だちに聞いて初めて彼が
東京の大学へ進んだのを知った。年賀状は二人が卒業するまで続いた。
 そして加奈が大学を卒業した春、初めて敬から手紙が来た。内容は簡単で「卒業
おめでとうございます。是非お渡ししたいものがあります。来週の土曜日一時国鉄
駅で待っています。」達筆でそれだけ書いてある。
 加奈は少なからず動揺した。敬に関しては何の感情も関心もなかったが、この手
紙を無視することは、彼女には出来なかった。
 考えた末加奈は敬に会ってみようと思った。加奈の家から指定された駅までは
四、五十分、高校時代に通いなれた道筋だ。
 その日加奈は少し余裕をもって家を出た。駅に着いた時隣のホームに上りの列
車が停まっているのが見えた。
 まだ時間があると思いつつ、加奈がホームに下りて二、三歩改札に向かって歩
いた時、すーと人影が近ずいて来て立止った。敬が目の前で少し笑っていた。
 驚いて加奈はそれでもやっと「今日は」と言った。敬も頷くと「お元気そうですね、
よかった」それだけ言うと、抱えていた大きな風呂敷包みを加奈の胸に押しつける
ように渡すと、くるりと踵を返して走るように上りの列車のホームへ駆け上がって
行った。
 あっという間の一瞬だった。加奈は何がどうなったか考える余裕もなくホームに
立ち尽くしていた。
 上りの列車が大きな汽笛をひとつ残してホームを出て行った。
 加奈は頭の中が真っ白になった。敬に会うことに何も期待はしていなかったけれ
ど、これではあんまりではないか。少しでも話す時間があったら、彼が何を考えて
いるのか、それだけでも知りたかった。
 加奈はだんだん腹が立って来た。失礼な敬に、そしてのこのこ出て来た自分に。
 渡された風呂敷包みが重くて、そのまま放り出したい気分になった。
ホームから出ることもせずに、加奈は次の汽車で家に帰ってきた。
 自分の部屋で、高校生の時とあまり変わっていなかった敬の姿を思い浮かべ
ながら、のろのろと風呂敷包みを解いた。
有名なデパートの包装紙に包まれた箱を開けると、アルバムが出て来た。薄い
ブルーの縮緬の布に紅や淡いピンクの桜の花びらが刺繍された表紙の美しさ。
加奈はしばし見とれていたが、他には何も入っていない。急いでアルバムのペー
ジを繰ってみたがメモひとつ入っていなかった。
 加奈は立ちあがると窓ガラス越しに外を見た。咲き始めたばかりの庭の彼岸桜
が、心細げに風に揺れている。青い空は少し霞がかかり加奈は視野の隅っこに
敬の姿を見たような気がした。

 次の年の春加奈は見合いをして会社員の直也と結婚した。彼はこの年代の男
性にしては優しく、家事や育児にも協力してくれて、二人の女の子にも恵まれて
幸せな家庭生活が続いていた。

 あの時加奈が出したアルバムのお礼状を最後に敬からの年賀状もぷっっりと
途絶えていた。それとともに忙しい生活の中で加奈の記憶の中から敬のことは
日に日に薄れていったが、あのアルバムは捨てることも出来ずに、今も押入れ
の片隅に眠っていた。

 長い時が流れた。二人の娘を嫁がせ、直也が定年退職してからは加奈は家事
からも解放されて、二人でそれぞれが比較的自由な老後を過ごしていた。
 今、思いがけなく敬の手紙から、自分の来し方に思いをはせて、加奈の気持ち
は何となく高揚していた。
 加奈はハサミを持ってきて丁寧に敬からの手紙の封を切った。
 白い便せんに小さいきれいな文字がびっしりと並んでいた。 
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リンさん

アルバムには、どんな意味があったのでしょう。
気になります。

忘れ霜って素敵な言葉ですよね。
日本語って本当にきれいですね。
by リンさん (2013-04-13 15:51) 

dan

いつも有難うございます。
タイトル負けって感じですかね。
内容どうしょう! 

by dan (2013-04-13 18:51) 

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