平成シニア物語  結婚記念日 終章 [平成シニア物語]


 中途半端な気持ちのまま一週間が過ぎた週末、「海へ行ってみないか」と
和也が祥子をさそった。そうだいいかもしれない、いつもと違う場所でなら
このもやもやした気持ちを、何とか出来るかもと祥子は思った。
 快晴の土曜日二人は車で出発した。高速を二時間足らず走ると目的の
海辺の街についた。ホテルから見える海辺は、夏休みということもあって、
大勢の人で賑やかだった。
 ぎらぎら照りつける太陽は真っ青な海によくマッチしてここでなら人も何
となく開放的になるように思えた。「ああ夏は海もいいわねえ。」祥子は少し
はしゃいでいた。
 夜には花火大会もあって、昼間より大勢の人が次々に打ち上げられる
花火に歓声をあげている。
 和也と祥子はホテルのテラスから眺めながら、何度かの夏、この海で
二人でこんな夜を楽しく過ごした日のことを思い出していた。
 花火もおわって辺りが鎮まり返ると、波の音がすぐ近くに聞こえた。
空には銀河をとりまく無数の星が輝いている。
 テラスの椅子に座って冷たい麦茶を飲むと、祥子が口を開いた。
「ねえ和也さん、何か話があるんでしょう。」和也は真っ直ぐに祥子を見た。
その顔は心なしか苦しげに見えた。「三田陽子のことだけど」「分かったわ」
祥子が遮った。「何も言わないで、私聞きたくない。あの夜からずっと考えて
いたの。そしたら思い出したの、三田さんって結婚記念日の日和也さんと
デパートにいた人だって。私のブローチを選んでくれた人だって。そしてその
時私すぐ分かった。和也さんこの人のこと好きになったんだ....って。私混乱
してしまって、何も考えられなくなって、どうしょう和也さんは私より彼女の方
が好きなの、それとも同じくらい、いやいやそんな筈ない、変なこと考え続け
て頭のながて堂々巡り、実のところ仕事も家事も上の空、和也さんが彼女の
ことに触れないのをいいことに、私逃げていたの。」祥子は一気まくしたてた
その声がだんだん高くなった。「祥子待って落ち着いて、僕の話も聞いてよ」
和也が落ち着いた声で言う。「嫌っ私聞きたくない、私の結論から言うわ。
二人の関係がどうあろうと私貴方を信じることにしたの、でももう一緒には暮
らせない。夏休みが終わったら私が家を出ます。三十年も仲良くやってきて
本当に残念だけど、私の決意は変わらない。これでも一生懸命に考えたの、
私の我儘を許して下さい。」言い放つと祥子は部屋に入った。止らない涙を
和也に見られたくはなかった。
 和也はただ黙って暗い海を見ていた。祥子を追ってはこなかった。

 本当に暑かった夏の終りに祥子は家を出た。彼女が借りたマンションは
この家から電車で三十分ほどのところにあった。ここなら会社にもそう遠くは
ないし、やっぱり和也から遠く離れるのは心細かった。

 何も言わずに祥子の言い分に従った和也は、その後もずっとわが家にいた。
和也は初めて陽子に「部長さんが好き」と言われた時「冗談言うな」と笑い飛ば
したが内心心が動いた自分にも驚いた。
 和也の祥子への愛は、結婚してからも変わることはなかったし家庭にも祥子
にも何一つ不満はなかった。子供がいなかった分、二人の愛情はかえって深
まったのかも知れなかった。
 だから二人の間に陽子の入り込む隙などなかったのだ。
ただ陽子は違った。早くに父を亡くしていた彼女は和也の中に父を見た。それ
がいつしか、胸の中で、大人の異性にたいする愛に変わっていったのだろう。
彼女の若さが分別をなくしていた。
 部内で大きな仕事が一段落して打ち上げがあった夜、マンションまで陽子を
送って行った和也は、彼女にせがまれるまま部屋に入り、ついにたった一度の
過ちを犯してしまった。
 この時のことを思い出すと和也は情けなくて身の縮む思いがする。酒のせい
などではない、祥子を裏切った自分を責め、若い陽子に申し訳ないと眠れぬ
夜が続いた。この償いだけは何としてもせねばならぬと和也は固く決意した。
 陽子は積極的に和也に近付いてきた。祥子のプレゼントを買いに行った和也
の前に突然現れたり、祥子のいない自宅にやってきたり。
 陽子は素直で優しいだけではなく、仕事も良く出来たので男性社員の中には
彼女を好ましく思うものもいた。
 和也は陽子に何度も何度も自分の大きな過ちを詫びた。自分の陽子に対す
る気持ちは父親のようなものだと根気よく誠実に訴え続けた。
 そしていつしか本当に父親の気持ちで陽子に寄り添うようになっていった。
 陽子にも和也の誠実さは少しづつ伝わり、彼の気持ちや立場を理解するよう
になり二年が過ぎた。そしてこの春、同僚との結婚が決まった。

 和也は祥子に会いたいと思った。この二年間、その気持ちを抑えてきた。
陽子のために彼女が幸せな自分の道を選ぶ手助けが出来たら、どんなことを
しても祥子に自分の過ちを詫び、許しを乞いたいと思っていた。
 いつか祥子の許に帰るという思いは一貫して変わることはなかった。そして
いくら離れていても、会わなくても自分に対する祥子の気持ちも決して変わる
ことはないと信じていた。
 和也はこれからの余生を、生ある限り祥子と一緒に生きたいと思った。
 今日その想いを一通の手紙に託して祥子に伝えた。
三十二回目の結婚記念日、いつものあの店で会いたい。来てくれることを信じ
ている....と。
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コメント 6

あかね

2年間、祥子さんは考え続けた。
和也さんも考え続けた。そして……といったところなのですね。

若い男女ではないだけに、じっくりした味わいのあるストーリィになっていると思います。
和也さんはある意味、誠実なのでしょうけど、こういう性格だからこそしんどいっていうのもありそうな気がします。

もっと軽い性格で、やっちゃったものはしようがないし、妻には内緒、不倫相手にもテキトーに、と対処できるほうが、人生、楽そうですけどね。


by あかね (2013-08-08 11:40) 

dan

参考になるコメント有難うございます。
平成シニアはどうしても真面目なんです。
だから苦しい。でもこれでは人生窮屈すぎますね。
次はもう少し楽しい明るいストリーに挑戦してみます。
by dan (2013-08-08 21:38) 

リンさん

何だか、自分に置き換えて考えてしまいました。
1回くらいの過ちなら許せるかな~って。
まあ、うちの主人に限って、こういうことはないでしょうけど←ホントか~^^

離れてみて、お互いが恋しいなんて、素敵な二人じゃないですか。いい方向に向かいそうですね。
by リンさん (2013-08-09 16:56) 

dan

どうしても私は甘い。ついこうありたいと思って
しまうのです。これでは小説としては面白くない
ですよね。
リンさんのところは大丈夫、ホントです。
そう思える事って自信の裏返しだと思いませんか。
ほほほ私もそうです。
コメント有難うございました。
by dan (2013-08-09 19:29) 

かよ湖

前半は祥子視点で、後半は和也視点で書かれているので、あまのじゃくな私は陽子視点で読んでみました。
すると、1番イヤな箇所は「何度も何度も自分の大きな過ちを詫びた」という行動でした。きっと陽子は真剣だったのに、何度も詫びられたら、逆に困ると思います。
村山由佳さんの作品で(「天使の卵」だったかな?)、女性視点で書いた作品を、10年後くらいに同じストーリーで男性視点で書き、出版したものがあります。「ああ、あの時、こう思っていたのか?」と思いながら読みました。
danさんの作品も、あの時の祥子・和也・陽子で、それぞれ書いたら趣がありそうですね。
by かよ湖 (2013-08-22 00:05) 

dan

今なんだかどきどきしています。
陽子視点で読む人がいるなんて考えていなかったし
私の中では陽子は「お邪魔虫」みたいな感じでした。
でも言われてみれば、彼女だって真剣に和也を愛した
のだから、それはそれで、もっと優しい目で見てあげるのが作者としての務めかもしれません。
私は大体自分の考えを変えないへそ曲がりなんです。
そして甘い、フィクションなんだから、もっとのびのびと
裸になればいいのにね。
かよ湖さんのコメントで、よーしと勇気が出てきた。
私また見当違いのこと言っているみたいで心配です。
厳しいご意見待っています。
本当に有難うございます。嬉しくてるんるん
by dan (2013-08-22 11:26) 

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