平成シニア物語  春隣  絆 [平成シニア物語]

 花の季節になったのに圭吾は今ひとつ元気がない。今年は一年生になる
孫のはなのためにランドセルを買う約束をしていた。
 隣県に住んでいる長男が親子三人でやって来ることになっており楽しみに
待っていたのに、肝心のはながインフルエンザにかかって、行けなくなったと
電話が来た。
 圭吾ははなの好きなのを買いなさいと、現金を送ったのだが何だか虚しい
気がした。三人の孫ではなはたった一人の女の子、一年に数回しか会うこと
もなかったが、もう可愛くてどうしょうもなかった。
 真っ赤なランドセルを背負った、にこにこ顔のはなの写真が送られてきた
時はつい嬉しくて、ゆきの遺影のところに飛んでいった。
 東京にいる次男のところは男孫二人で、ゆきが亡くなってからは、正月に
会えるくらいだった。
 
 圭吾は庭に出た。真っ青な空にゆるやかな風が吹いていて、今朝会った
草子の笑顔が浮かんだ。
 城のある街に行ってから、お互い少し前に進んだ感じはあったが、それ以
上のことはないまま今まで来た。圭吾が行動を起こさない限り草子の方から
歩み寄る気配はなかった。毎日のんびりと暮している自分と違って草子には
仕事もあるし父もいる忙しい身だ。

 小雨が降っていたが傘をさす程ではない。圭吾は元気に家を飛び出した。
散った桜の花びらが濡れた歩道に張り付いて、踏むのがためらわれる。
 草子は白いウインドブレーカを着て待っていた。
「雨たいしたことなくてよかったですね。」「大雨にならなくて良かったね。」
 二人は並んで歩き出したが、圭吾はとうとうはなの写真を取り出して草子に
見せた。
「孫のはなです。今年一年生になりました。」「まあなんて可愛いいんでしょう
柴田さんおじいちゃんですもんね。」
 一人になったけれど圭吾の周りには、家族のぬくもりがあるのを草子は羨
ましい気がした。
「草子さん年度初めで仕事忙しいのでしょう。」「そうてすね。毎年同じことなん
だけど、やっぱり社内もなんとなく落ち着かない感じかな。そうそう今年も若い
後輩が入ってきて、私たちお局組は嫌でも自分の年を再確認せざるを得ない
時期なんです。」草子は笑いながら言った。
「そんなことないですよ。ベテランはもっと自信をもって堂々としていたらいい
んです。それより草子さん今度、美味しいもの食べにいきませんか。仕事ばか
りじゃつまらん。息抜きも大事なんですよ。」
 草子は立ち止って圭吾を見た。
「僕ずっと考えていたんです。一週間に一度、いいえ二週間に一度でも日を決
めて、ここ以外の所で会えないかと。駄目ですか。」畳みかけるように言う彼の
言葉が草子は正直嬉しかった。
 一瞬沈黙の時が流れた。
 草子は歩き出した。彼女の中に自分の気持ちを抑えようとしているもう一人
の自分がいた。これ以上の深い付き合いになるのが怖かった。
 今圭吾によせるほのかな想いが、大きくふくらんでいくのが怖かった。
「草子さん何考えているのですか。考える程のことではないでしょう。あなたの
気持ちのまま返して下さい。あなたの思ったままを。」
「はい」草子は自分の気持ちに素直になろうと思った。
「そうですね。そんなことが出来たら私嬉しいです。」
 圭吾はほっとした。
「じゃあ二人で考えましょう。僕は何時だって自由だから、草子さんの都合のい
い日教えて下さい。」
 雨はすっかりあがって洗われた木々の若芽が薄日に光っている。
 草子はこの季節のように浮き立つような体の軽さを感じて思わず歩を速めた。

 数日後草子から電話が来た。初めてのことだ。今朝会ったのに何だろう。
「もしもしごめんなさい。明日でもよかったのだけど。この前の話、実は会社の
創立記念日の日午後休めそうなんです。いつもは式典のあと行事があるのに
今年はお昼に立食パーティがあって終わりだそうです。」草子の声は弾んで
いた。一刻も早くこのことを圭吾に知らせたい草子の気持ちが伝わってきた。
「わかった。早く知らせてくれて有難う。僕も予定しておくよ。じゃ明日の朝。」
 休日ならいつでも会えるけど圭吾は草子が父と過ごす時間の邪魔はしたく
なかった。だから今度のように平日の午後に会えるのは都合がよかった。
二人でのんびり話が出来る所へ行こう。そして夜は美味しいものご馳走しよう
 その夜圭吾は少し興奮してなかなか寝付けなかった。

 当日圭吾が車で草子の会社の近くまで迎えに行くことになった。草子は着
替えでもして出たいと言ったが、その一刻も圭吾には惜しかった。
 草子は紺のスーツの胸につけたコサージュを外しながやって来た。
「ごんなさい。待たせたでしょう。これから映画に行こうなんて言いだして、私
黙って抜け出して来たんです。」
 朝の草子とは違う美しい草子がいた。盛装して働く女性の魅力いっぱいの
彼女を圭吾は改めて素敵だと思った。
「大丈夫、僕も今来たところです。よく抜けてきてくれました。今夜はゆっくり
できるでしよう。少し足を延ばしてみませんか。」「ええ明日もお休みだし、ど
こへでも。」
 いつもゆきが座っていたところに草子がいる。心に決めて来たつもりでも
圭吾の胸は少し騒いだ。

 街中を抜けて車は高速に乗った。山を切り開いた道は、次々とトンネルが
続く。山側の車窓には桜や椿の花が彩りを添えた春の山が、高みから見下
ろす右手には、ちいさな町並みや工場の煙突が見え、その向こうに広がる
海はただキラキラと光って、草子はしばらくその景色に見入っていた。
 この道は草子も何回も通ったが、自分が運転していると、のんびり車窓を
見ることなどなかった。
「ねえ、桜がいっぱい、椿も、もう若芽もきれい。春真っ盛りですね。」草子は
声を弾ませて圭吾に話しかける。
「草子さん、僕は運転しているんです。そうきょろきょろ出来ません。」
「ごんなさい、そうでした私つい興奮して、柴田さんは前だけ見ていて下さい
私が二人分よく見ておきます。」草子はつい冗舌になる。

 二時間も走って高速を下りた。車は街を通り抜けて春耕を終えた田圃が
広がるのんびりとした田舎道に入った。「あの小さな山に登ります。」圭吾の
言葉通り車はくねくねと頂上に向かって走り、やがて道の両側に満開の桜
並木が開け、花見客が大勢いる広場についた。ここで車を下りると圭吾は
少し裏側の人の少ないベンチに腰を下ろした。
 目の下に小さな街全体が見下ろせた。ため池の水が光り竹藪や民家が
見えた。
「草子さんここが僕の生れた村です。今は市になっていますが、父の転勤
でここを離れる中学までここに住んでいました。」
 草子は目を凝らした。ここで圭吾が生れ、少年期を過ごした。空気がおい
しくて風が優しくて空が真っ青のこの町が、いかにも彼にふさわしい気がし
た。「ねえずっと向こうに鉄塔がみえるでしょう。ホラ赤い屋根、あれが昔の
役場なんですよ。その少し向こう、土塀に囲まれた家見えますか。」圭吾の
目の先を草子はしっかりととらえた。
「僕の育った家はもうないんだけど、あの家が母の実家、滅多にあいませ
んが、今も従妹たちが住んでいます。」
 草子は生れて今までずっと同じ街にいた。圭吾にはこんなに素晴らしい
故郷があったのだととても羨ましい気がした。
「僕はここが大好きなんです。出張の途中でもよくここにきて眺めました。」
 春の夕日はその家の辺りに浮かぶ雲を薄紅いろに照らしていた。

 夕食は天麩羅屋さんへ、カウンターに座るとその場で、土地の野菜や、
魚介類、何より一番は、昔からこの町が誇る筍。真っ白で柔らかくて圭吾は
これ一番だと自慢げに草子に勧めた。土の香りが口いっぱいに広がった。

 帰りの道は遠く眼下に街の灯りが見えるだけで、山も海も闇の中にあった。
車に揺られて言葉少なくなった二人だったが、草子は圭吾の原点に触れた
気がして、彼への慕わしい感情が胸底に静かに満ちてくるのを感じていた。
 圭吾も又一歩草子に近づいた。そうすることを草子も望んでくれているよう
に思えて心が安らいだ。

 星がまたたいている春の宵の高速道を二人の車は軽やかに走った。
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木瓜

慕わしい・・・・・・・

落ち着いた 恋に発展するだろう 余韻を 感じますが

続きは もっと気持ちが高ぶって欲しい

日曜日の過ごし方が 気になります
by 木瓜 (2014-03-21 01:49) 

リンさん

ああ、ドキドキ^^
草子さんの 「ええ明日もお休みだし、どこへでも。」のセリフで、ひょっとして一線を超えちゃうのかしら…なんて思ってしまいました。
だけどやっぱり落ち着いた大人の恋ですね。
続きが楽しみです。
by リンさん (2014-03-21 17:21) 

dan

木瓜さん
コメント有難うございます。
続きはもっと情熱的にいきたいです。
by dan (2014-03-21 18:32) 

dan

リンさん
有難うございます。
ドキドキして下さってごめんなさい。
早くご期待に添いたいと思っています。
by dan (2014-03-21 18:36) 

かよ湖

春隣、続編ありがとうございます。
圭吾と草子の進展の遅さに、じれったさを感じながらも、danさんならではの上品さも同時に感じ、ホッとしている私がいます。情景描写は、やはりさすが!です。
前作の「父と娘」で、草子の背景が分かるので、とてもよかったです。
次回も楽しみにしています。
by かよ湖 (2014-03-24 01:03) 

dan

ああ嬉しいなあ。かよ湖さんにコメント頂くと
勇気が湧いてきます。
作品にはつい自分の性格や考え方が出て自分でもいらいらします。でもいつかここから飛び出してやる! と
思ってはいます。
有難うございました。

by dan (2014-03-24 10:35) 

あかね

ゆっくりじっくり、すこしずつ進展して続いていくのですね。
若くないのですもの。早急に盛り上がらなくてもいいですよね。熟年の恋は焦らないほうがいいですよね。
さっさとつきあってさっさと別れたり、さっさと結婚してとっとと離婚して、なんてならないように。

こういうじっくりした小説は貴重ですから、私もゆっくり読ませていただきます。
また続きも楽しみにしていますね。

by あかね (2014-03-24 15:29) 

dan

有難うございます。私も同感、年相応の恋があると
思います。
今時の恋愛は理解しかねている私です。
あかねさんの感想がしっかり入ったコントはとても
励みになります。
ない知恵をしぼっている私なのですから。
by dan (2014-03-24 17:27) 

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