鈴のふるさと  防空壕の話 [鈴のふるさと]

 田舎に帰ってから鈴が戦争を感じる出来事は余りなかった。
祖父の店の右側から少し裏手に入った所にに防空壕が掘ってあった。
 割合深くて大人も少し腰をかがめれば歩けるくらいの天井の高さだ。
そこに明りとりの小さな窓がある。入口は戸板一枚くらいの蓋がしてあり
そこを持ち上げて中に入る。
土の上に木で作った床があってその上に古い畳やござやむしろが敷い
てある。
壁は土がむき出しで、中に入ると暗くて湿っぽい土の匂いがした。
 ここには当座の食料や、着る物、布団なども少しは置いてあって、子供
が勝手に入ることは禁じられていた。

 鈴は学校の行き帰りに空襲警報が鳴って、トミ子さんに手がちぎれる
ほど引っ張られながら、役場の側の防空壕に入ったことが何度かあった。
でも恐いと思ったことはなかった。鈴たちは警報が解除になると、何事も
なかったようにワイワイと家路についた。
 そんな鈴にも防空壕で忘れられない思い出が二つある。

 ある日のお昼ご飯。長い大きな飯台の回りに家族全員が座って、さあ
という時に空襲警報がなった。みんなはとにかく防空壕に飛び込んだ。
もう慣れているとはいえ、やっぱり焦るし慌てるし、落ち着くとみんなはあ
はあ言っている。鈴は一番奥の自分の場所に座ってホットすると急に
お腹がぺこぺこなのに気が付いた。でもあの昼ご飯は鈴が残念がる程
のものではなかった。
 この村も農家の人たちは食料に困ることはなかったが、鈴の家の様に
非農家はどこでも食べることに不自由して代用食でしのいでいた。 
大人たちがよく言っていた「目玉が写る」くらいのうすーい麦の雑炊に
さつまいもの粉で作った真っ黒いカンコロ団子が浮いている。
 もう一つは、茹であがったばかりの黄色いほくほくのカボチャが皆の皿
に盛り分けられている。それと祖母の自慢のタクアンが山盛り。
生憎今日は祖父の魚も全部売れたらしくて、鈴たちの食卓には乗らなか
ったようだ。
 鈴はこのカンコロ団子が大嫌いで、前歯で噛んで嫌そうに食べると言っ
て母によく叱られた。
 だから今日も鈴の関心はカボチャ、あああれ持ってくればよかった。
隣に座っていた五歳の弟と目があった。「カボチャ忘れた」弟がぼそっと
呟いた。鈴はしらんぷりして座っている大人たちを恨めしげに睨んだ。


 ある夜中に突然空襲警報が発令された。こんなことは珍しくて、皆一斉
に防空壕に向かった。父はリュックを背負い鈴と弟の手を引いて、妹を抱
いた母を気使いながら、暗闇のなかを急ぐ。防空壕には祖父母がいて、
もう蝋燭の灯をつけていてくれた。外は静かで物音ひとつしない。
様子を見て来ると外に出ていった父が、しばらくして帰って来ると、どうも
東の空が真っ赤になっている。街に爆弾がおちたのではないかと言う。
大人が相談して、ここは危ないということになり、近所の人たちと、もっと
山際の部落の方まで逃げることになった。
 鈴たちは防空頭巾をしっかりかぶりなおし、母は妹をおぶった。
外に出ると少し月明かりがあり、皆で固まって走った。途中で一度飛行機
の爆音が聞こえたと言って、だれかの命令で横を流れている小さな川に
皆がずり落ちるように入ってしゃがみこんだ。どこかの子供が大声で泣き
出したけど鈴は弟の手をしっかり握って二人とも泣かなかった。川の水は
少しだったけど冷たくて膝から下はみんなずぶぬれになって潜んでいた。
しばらくして警報解除のサイレンがなり、みんなはとぼとぼと家に帰った。
 その夜村には爆弾も焼夷弾も落ちなかったけれど、近くの街には爆弾が
落ちてまる焼けになったと、その話でもちきりだった。
 この夜のことは大人になってからも弟とよく話した。遠くまで逃げて川の
中にまで入る必要があったのか?防空壕の方が安全だったのでは?.....と。

 鈴が三年生の八月戦争は終わった。鈴にその日の記憶は全然ない。

nice!(2)  コメント(2) 

nice! 2

コメント 2

リンさん

田舎にいても空襲はあったんですね。
あまり怖くなかったように書かれていますが、きっとものすごく不安だったでしょうね。
本当にいやな時代でしたね。
by リンさん (2014-10-29 16:29) 

dan

この頃の記憶はあまり定かではないのですが
書いているとぽつぽつ思い出すこともあって
自分なりに楽しんでいます。
有難うございます。
by dan (2014-10-30 09:55) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。