じゃあ またね [随筆]

 彼岸の中日、夫の兄が亡くなったという知らせが来ました。

突然のことだったので驚きました。

 昨年私と同じ頃に手術をしてその後は元気だと聞いていたし、一カ月ほど前にも

電話で話した時、とても明るく私のことを心配して気遣ってくれていたのに。

八十六歳でした。

 長男として頑張り、昨年六月、百六歳の義母を見送って安心したのかしらと、皆で

話しました。

 義兄の子供や孫やひ孫たちが集まり賑やかで頼もしいなあ。ふと羨ましい気がし

ました。その他の親族と言えば私と義妹の二人だけ。

 民生委員や農協の役員など長く勤めたようで、大勢の方が集まって下さいました。

義兄の顔をみていると男の兄弟は二人だったので、その面ざしからいやでも夫のことが

思い出されました。

 離れ住んでいてお正月とお盆くらいしか会うことが無かったけれど、本当に優しくて

長男らしい人でした。

 義父も九十三歳で亡くなる前一週間ほど入院しました。

私が単身赴任の夫に代ってお見舞に行った時、義兄だけが病室にいました。

義父が桃を食べたいというので私が皮をむいていると、なにくれとなく世話をしていた

義兄が本当に自然に外していた義歯を入れてあげているのが見えました。

 私はびっくりしました。夫にはこの真似は出来ないだろう、いいえ私だって出来ないと

思いました。じわっと目の奥が熱くなりました。もう二十年も前のことです。
 
 後年この話は何回も夫にしました。「あなたには出来ないでしょう。」と。

彼は黙っていましたが、今では夫も義兄に負けないくらい優しい人だったから、きっと

同じことが出来ただろうと思っています。

 最後にいっばいのお花に埋もれた義兄に心のそこからお礼を言いました。

 帰り道、義妹が

「お義姉さん私思いだしたわ。兄さんと最後のお別れをした時のこと。お義姉さんは、

涙も見せずに最後のお花を兄さんの顔の側に沢山おいて「じゃあ またね」って言った

のよ。私びっくりしたけどお義姉さんらしい、とも思ったから忘れられないです。」

 私は勿論全然憶えていません。

 あの時は悲しさよりも悔しさが私を支えていました。涙なんて出なかった。

半年も経ってから悲しくて寂しくて、それまでに溜まっていた涙が溢れ出し、涙って

どのくらいあるのだろうと、誰に遠慮することもなく、一人で毎日泣き続けました。


 そう。私最後に夫に「じゃあ またね」って言ったんだ。とてもいい言葉だと思う。

 有難う、こんな良いこと憶えてくれていて八年五カ月も経った今それを私に教えて

くれて、嬉しいなあ。義妹にそのことを思い出させてくれた義兄にも心からお礼が

言いたいと思いました。

 朝から真っ青に晴れ上がった春らしいお彼岸の一日でした。

 今頃仲が良かった兄弟で何を話しているのでしょう。

 「じゃあ またね」




nice!(9)  コメント(4) 

nice! 9

コメント 4

リンさん

優しいお義兄さまだったのですね。
亡くなったあとに、こんなふうに偲ばれて、きっと天国で微笑んでおられるでしょう。
「じゃあまたね」っていい言葉です。
さよならより前向きで。
by リンさん (2016-03-25 19:48) 

dan

有難うございます。
年を重ねるとちょっとした優しさでも心に染みる
ものなのですね。
by dan (2016-03-25 20:10) 

ぼんぼちぼちぼち

義兄さんに合掌でやす。
安らかに…
by ぼんぼちぼちぼち (2016-03-30 12:10) 

dan

有難うございます。
本当にいい義兄でした。寂しくなりました。
by dan (2016-03-30 18:21) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。