家を売るということ [エッセイ]

 少し涼しくなったのでまた夕方のウォーキングをはじめました。

好きな時間に一人でぶらりと出かけます。こういうところは一人住いの気楽さ。

 二か月休んでいる間に季節は移り道端には野菊が揺れていて池には水鳥が

群れています。

 何も考えずにさっさと歩きます。ふと気が付くと私は小声で歌を歌っています。

好きな歌が次々に出てきます。童謡 抒情歌 流行歌 ロシア民謡だって。

 そして若き日に思いを馳せ、時には恋しい人を思いだすことも.....

好い気持ちで四十分、暮れかけた我が家近くに帰ってきて「えっ」足が止まりました。

 同じ班Yさん宅のブロック塀に「売り家」の看板がかかっているのです。

 半年くらい前一人暮らしのYさんを見かけなくなったなあとは思っていました。

キャリアウーマンで定年まで勤めて子供さんたちもいるのに。

 しばらくして施設に入られたと聞きました。

 ああ子供さんたちも独立されて、家はいらないのだ....と納得しつつも何故か寂しい

気持になりました。

 夜になって一人リビングに座っていると、つい最近姉とも思っている親友も家を

手放したことをつい考えてしまいました。

 彼女は夫に先立たれ子供もなく、仕事を辞めてからも本当に元気で、趣味に没頭し

旅行にもよく出かけていました。誘われた私がさあねえ~と躊躇するとさっさと一人で

行ってしまいます。

 それが八十三歳になってふとした病気から床に就き、施設に入ることになりました。

 もともと明るい性格で半年ほどで元気になり、ここを終の棲家に決めたとあっけらかん

と言いました。

 市内の一等地に立派な家もあって、私は内心家にいればいいのにと思いましたが

一度一人の生活以外を体験すると特に夜など心細く感じるのだと彼女らしからぬ言葉に

自分のことも考え併せて私もそうだなあと、納得したのです。

 しばらくして家を売ろうと思うと相談された時も、経済的にも余裕があるのだし

 そう急がなくてもと言いつつ、もう帰ることもないのだから、それも一つの方法だと

あえて反対はしませんでした。

 結婚してからずっと夫と二人住んだ家。彼女の人生の歴史。思い出の殆どが詰まった家。

こんなに簡単に手放せるものなのか。

 二か月もしないうちに「家売れたよ」と明るい声で電話がきました。

 私は飛んでいきました。「もう帰る処もなくなったよ」一瞬だけ寂しそうな顔をして

それでも信じられないくらい、すっきりとした顔をしていました。

 どんな人が買っていくらで売れたかまで詳しく話してくれる彼女に「高く売れてよかったね

でも誰にでもそんなに詳しく話したら駄目よ。」私は事務的にいいました。

 夜になって一人で彼女のことを考えていると涙が出てきました。

 若い時から何度も何度も訪ねた家。この間まで俳句の仲間や生花の生徒たちの笑い声が

絶えるなかった家。

 あの家にはもう二度と帰ることはないのだ。愛着がないはずはないではないか。やっぱり

売るのはまだ早いと忠告した方がよかったのではないか。

 明るい笑顔に隠された彼女の寂しさに気がついていたら、もっと他にかける言葉があった

のではないかと私は自分の思いやりのなさに、すっかり落ち込んでしまいました。


 みんな年を取ると思ってもみなかったことに直面することがあるのだと、自分のことも

考えつつ私は絶対に家は売らないぞ! と思ってにやり。

 とにかく元気でなければ、誰だって住み慣れた我が家で思い出に包まれて人生を全うする

のが一番幸せなのだから。

 我が家の玄関先には私たちの大好きな白い秋明菊が、季節外れの暑い日差しにもまけず

秋の匂いだけはする涼しい風に吹かれています。

 明日からまた元気を出して頑張らなくては、秘かな私の決心です。



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