黄昏に佇む [短編]

 朝の家事が終わらぬうちに英子から電話が来た。
「何?また旦那様がお出かけしたの」
「なんでわかるの?」
「貴女は一人になるとすぐに私に電話かけて来るのだもの」

 他愛のない会話がはじまる。英子と私は青春時代を共に同じ職場で働いて同期の桜なのだ。

 元気な旦那様、キャリアウーマンの未婚の娘さんと優雅に暮らしている。
 近くには長男一家が住んでいて、幸せを絵にかいたような日常だ。

 「ねえ一度会いたいからお宅に行ってもいい?」
「大歓迎よ。今週は予定も無いからいつでもどうぞ」
旦那様は彼女を我が家に送ってくると自由にどこかへ行って、夕方迎えにきてくれる。
「コーヒーでもどうぞ」と進めて少しの時間を一緒に話すこともある。

私たちには積もる話はいくらでもある。
ただこの頃英子は耳が遠くなり、物忘れも年相応でたまにとんちんかんなのが少し寂しい。

 早速英子がやって来た。旦那様は夕方迎えに来るからと、すぐに消えた。
コーヒー飲んで、アルバムを見たり、友だちの近況など話すうち、昔の話になった。
 実は英子は昔熱烈な恋をして結婚まで考えていたkさんという人がいた。
 当時先に結婚してしばらく当地を離れていた私は、風のたよりに彼女の結婚を知った時、ああ
あのkさんとしたのだと思い込んでいた。

 でも違った。何故と聞く間もなく数十年が過ぎた。

 私はずっとそのことが気にかかっていた。半分真面目に半分野次馬気分で。
 「何故」「どうして」と。

 私は思い切ってその話を持ち出した。
英子は真ん丸な目をして、それから真面目な顔になったが、そう懐かしそうな様子でもない。
また昔のことをと言いつつ
「自分では彼と結婚するつもりだったし彼も同じだった。でもしなかった、どうしてなのかは
忘れてしまったよ。」
とこともなげに言った。
 私は唖然とした。そんな大切なこと、いくら終わったと言っても一度は一生の大事と二人で
話し合ったに違いないのに。
 私はそれ以上聞きたくはなかった。人それぞれなんだもの。
その日彼女は迎えに来た旦那様に連れられて上機嫌で帰って行った。

 もう一人の同期生のミハルさんは、美人で気立てがよくて優しい人で、私が夫を亡くした時も
黙って寄り添ってくれた。随分助けられた。でも彼女がホームに入ってもう四年にもなる。
 毎月のように訪ねていたけれど、もう今は私のことが分からない。
彼女は私より一つ若いのに。先日旦那様も同じホームに入ったと聞いた。

 私が尊敬して止まない二人の先輩も頭はしっかりしているけどホーム暮らし。

 人間齢を重ねると寂しいなあ。人生の黄昏って寂しくて残酷だとつくづく思う。

 勿論元気で頑張っている知人も沢山いるにはいる。
 
 でも私自身心のど真ん中に開いた穴は決して決してふさがることはない。
  
 夕暮れの入日の赤い色、昔は随分きれいだと感激して眺めたものだ。立ち尽くして。

 今はうつむき加減でちらちらっとみて、寂しい気持ちをどうすることも出来ない私。

 やれやれ折も折、テレビニュースが梅雨入りを告げている 


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