青春 人生花の時 回想  2 [エッセイ]

  三人娘もいつしか人生のうちで一番大変だけれど、そう花の時を迎えました。

それぞれ結婚して、家庭の事情は違っても一生懸命に生きていました。

私とМさんは当地に留まりHさんは遠く首都圏に居を構えました。子供も同学年で

二人づつ申合わせたようだと三人で笑いました。

 同じ街に住む私とМさんは幼稚園までは同じで、暇を見つけてはお互いの家を行き来

して、子育ての話などいい相談相手でした。

遠くのHさんとはたまに手紙のやり取りはあっても、会うことはできませんでした。

 高度成長期の日本の国がどんどんと発展し世界に進出していた頃でした。

 家庭の事情は違ってもそれなりに頑張って、私とHさんは下の子供が中学生になった時

 フルタイムの仕事に就きました。

それからは本当によく働きました。二人の子供が大学を出るまでの間、三人とも必死でした。

 人生花の時とは言いながら、三人で会ったのは数回で十余年の月日が流れていました。

ある時誰からともなく、私たち随分頑張って考えてみたらもう人生折り返し地点は過ぎたよ。

 この辺でまた昔に戻って三人旅の続きをしょうじゃないの、ということになりました。

そうなるとまあ実行に移すこと早い早い。旅の計画と旅行記は私の担当。写真はHさん

 社交家のМさんが、タクシードライバーさんや宿の女将さんの話相手です。


 そして三人旅第一回は若き日に三人で初めて旅した思い出の京都からと決まりました。


 それから毎年一回三人で二泊三日の旅はつづきました。

 木曽路妻籠から馬籠まで歩きました。恵那峡の赤い大橋がホテルからよく見えました。

 六甲山の山頂美しい夜景を堪能した半年後阪神大震災がありました。忘れられない旅でした。

 妙義山から、小諸 千曲川、軽井沢など憧れの信濃路はなんと素晴らしく人生観が変わった

くらいの感動でした。

 関西空港で待ち合わせ和歌山城から白浜、熊野古道を少し歩いて熊野本宮に参拝。

 奥の細道の雰囲気を味いたいと山中温泉、那谷寺、永平寺東尋坊から気比の松原まで。

 Tシャツにパンツで颯爽と自転車で巡った飛鳥路。


 合計七回、十回目はハワイ。などと楽しみにしていた矢先Мさんの病気がわかりました。

 残念でしたが、三人旅はここまで。

 一年頑張ったМさんが元気になり、二年過ぎた時、このままでは寂しい、旅の打ち上げを

しょうということになり、富士五湖へ、それぞれ違う姿の富士山に歓声をあげつつタクシーで

湖を巡りました。元気になったМさんと三人本当に楽しい旅でした。

 結構費用もかかったし、家も空ける主婦の旅、理解ある旦那様でよかったと感謝の気持ちを

毎日の生活でお返ししようと旅の終わりの夜三人で話したものです。


 あれから又十数年経ちました。先日Hさんのお兄さんが亡くなられHさんが実家へ帰って

きました。

 三人揃うのは何年ぶりかしら。食事をしてお茶を飲んで、話に花が咲きました。

中でもやっぱりあの楽しかった旅の話が....時間がいくらあっても足りません。

 私とHさんは一人になってしまったけれど、元気に明るくこれからも前を向いて行こうと

この友情を大切にと、しっかり手をとって誓いました。


 師走、新年私とHさんは東京で毎日でもデートしようと秘かに企んでいます。


 




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