穏やかな春の始まり

 暖冬の令和二年。悩まされ続けた風邪もやっと出て行きました。

穏やかなお正月、節分、立春、思うに毎年散歩をしながら口づさむ「早春賦」今年は
歌っておりません。 春は名のみの風の寒さよ.....


 我が家の近くに大学のグランドがありそれを囲むように樹齢50年にも及ぶ楠木が並んでいます。
 
 私たちが希望に胸膨らませて新居をここに建てたのもそのころでした。
まだ若木だった楠木の上に沈む夕日が本当に真っ赤で、二人でよく眺めたものでした。

 子供たちが巣立ち二人になっても、転勤や二人の仕事の都合で、さてこの家に二人で
いたのは何年位かしら。

 又一人になってしまった私はもう十四年近くここに一人でいます。
 嬉しいことに近所の人たちも好い人ばかりで、みなさん優しくして下さいます。

 私いつも娘に言っては笑われるのです。

「退屈はしないけど、それと寂しいのとは別物だよ」

 二月から又「源氏物語」を読む会が始まり毎週火曜日に二時間ほど出かけます。
二十余名、勿論原文で読みます。
 嬉々として出かけたら朗報が待っていました。

 源氏を読み切るには途方もない時間がかかるということで、講師の先生の発案で別に
「宇治十帖」を読む会も始めようと。

 また生きる目標が出来たと高齢者組は大喜び、他の人たちは多分六十代で頼りになります。

 次からは先生を囲んで食事でもしましょう。とこれまた嬉しいことです。

 元気で動けるからこんないいこともあるのだと、今更ながら両親に感謝の気持ちが募ります。

 「明日お寿司作るからそのつもりでいてね。」さっき近所の友から嬉しい電話です。

 私のお寿司好きは有名で、こういう申し出が時々あるのも嬉しいことです。

 そうそう近くにある「お好み焼き」にも皆で行こうと。

 暖かい早春人々の温かい繋がりが嬉しいです。

 寒波襲来「寒い寒い」とニュースでは言うのですが、カラス窓いっぱいに溢れる陽光は
穏やかで、一吹きの風さえありません。
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令和 鬼の霍乱

 一月も終わろうと言うのに残念ながら、未だにひょろひょろしている自分が情けない。
やっと一か月も滞在した東京から帰ってきて、我が家が最高と、いつもの私なら。
 ところが東京で遊び過ぎた過労が原因と思われる風邪に捕まってしまいました。
微熱 咳 腰痛一緒にきて声も涸れて、考えてみると五年振りくらいの病気です。
 元気なだけが取り柄なのにと自信喪失です。

それでも今日は少し元気が出て、ようし!!と声に出してみました。
 庭には水仙が清々しい白い花を、その葉っぱの緑の凛々しさ。
 いつもの垣根のしたには夫の寒あやめ紫は彼の好きな色、思い出もいっぱいあります。
 咲き残った椿の赤も所々に。 やっぱり我が家が一番。

 でも今年は特に年齢のこと考えました。年なんて関係ないが私の持論でしたが大間違い。
元気だからこそそんなこと言っていられるのです。
 風邪をひいても、足を捻ってもすぐには治らない、これこそ年齢の違いなのです。

 今年は人に煽てられても調子に乗らない。年は年を自覚すること。
 一万歩歩いたなんて威張らない。凄いねえと言われてももっと歩けるなんて言わない。

 「年相応にのんびりと人様のあとからゆっくりゆっくり付いていく」
 今年の私のスローガンです。
「 さくらんぼ日記 」今年もよろしくお願いいたします。
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追憶

 雨は小降りになり「もうすぐ日差しが注ぐでしょう」とにこやかに気象予報士の女性。
  傘をさしゆっくりと横断歩道を歩いて行く息子の姿が、いつしか遠い日の夫の姿に重なる。
 
 行ってらっしゃい行ってらっしやい今日もまた
 貴方の笑顔青い空
 あの角曲がればもう見えぬ
 後はお帰りを待つばかり

 懐かしい歌が蘇ってきて少し胸が切ない。
 新しい街で新生活を始めた二人に知り合いとてなく、この歌の歌詞がすとんと心の底に。

 しばらく専業主婦だった私は、一人家にいるのが苦痛で、失業保険を取りに行く度に
早く就職しなさいと急かす職員に何度も言った。

「失業保険より給料が多い所があれば明日からでも出勤します。」

 ほどなく「まあいいか」程度の仕事についた。

 離れて過ごした三年余の交際の後の結婚は私にとって、「さよなら」を言わなくてもいいと
本当に嬉しくて、口だけ達者で何も出来ないくせに自分でも可笑しいほどわくわくした。
 
 遠い遠い昔の話である。

 今、小雨の中を出ていく息子にこの歌を歌ってくれる人がいないのが私なにりに寂しい。

 約一か月一緒にいて毎日彼の様子を見てきて、私の心配はいらぬお節介だと分かった。

 会話は最小限度 お早う 頂きます ご馳走さま 行ってきます ただ今 おやすみなさい
  
 私の今日を聞いて欲しいのに「分かった、分かった静かにして」とその目が言う。

 朝は何時に出かけようとシャワーをして、帰ったら夜中でもシャワー。
私と娘は「アライグマ」と名付けている。
 
 大学時代から習っているクラシックギターは「レッスン」の一言で月に二回くらい出かける。
  ギターは五本いつの間にかエレキギターらしきもの三本、あれえベースも三本 電子ピアノ?
 おう!!ドラムセットもある。時々私の帽子掛けになる。

 自室の壁面の棚にはCDがびっしり、クラッシックレコードも並んでいる。
 ミュージシャンじゃないんだから。「私のつぶやき」

 それに本棚には難しい本が時の小説と並んでいる。

 彼の職業はシステムエンジニア。
 そして資格を取るのが趣味。合格した時はメールが来る。
「こんな知らせ母親にするしかないんだ。」と思いつつちと嬉しい。
そしてすぐに、それがどういう資格かネットで検索する。合格率も見る。
 にやにや彼は私がこんなことしているとはきっと知らない。いい気味。

 こういう日常の息子に私が関わる必要はぜーんぜん無いと確信してひと安心。
 完全に一人の生活を満喫しているので、時々やって来るやかましいおばあちゃんは
 ノーサンキュウ だろうよね。

 そして私がブログにベラベラ書いていることもね迷惑以外の何物でもない。

 ごめんなさい。

 ただ年を経るごとに夫に似てくる彼が愛おしいのはどうしょうもないのだ。

 そして息子が誰よりも好きで、信頼していて頼もしいと思っているであろうたった一人の人
 それが妹。
 私も彼女が東京にいるだけで、どんなに心強いだろう。
仕事をもっているし、旦那殿もいるし大変だと思いつつ、つい何事も頼ってしまう。

 ところが病気の時以外はライン付き合いのようで、私が来ている時はほとんど毎日来るのが
息子にとって嬉しいらしいのがおかしい。

 一か月近くいた東京とも後一週間でさよならだ。
 
 昨日も早く帰ってと近所の友から電話が来た。
 
 帰ったら一番にお花いっぱいもって報告に行く。
 貴方が一緒だったらどんなにどんなに良いだろうと呟きながら。
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十二階から見えるもの [エッセイ]

 今日も一月中旬とは思えぬ暖かさ。十四度もあるという。

 八時前に息子を送ったとき、富士山が余りにも神々しくて見とれてしまい
寒さは感じなかった。

 九時ころ洗濯を干した時は、かなり風が吹いていたが、飛ばないようにするにはと
考えていたので、寒いとは思わなかった。

 そのあとはずっと部屋の中、エアコンなしでコタツに入っている。

 雲一つない真っ青の空を時々北に向かって飛行機が飛ぶ。ほほう自分もあんなに高い所を
飛んで来たかと、不思議な気がする。

 マンションの真ん前を環七が走っているのに窓を閉め切ると騒音は気にならない。
時々走るパトカーや救急車のサイレンや、午後五時「お家へ帰りましょう」と子供たちに
呼びかける声はとてもよく聞こえて、何だか下町の匂いが嬉しい。

 東のベランダから見ているとひっきりなしに常磐線の電車が行き来する。
早朝から深夜までよくもあれほどの人々が乗るものだと、わが街のチンチン電車を思って
つい笑いがこみあげてくる。
 電車の来ないときはすぐ近くの大きなショッピングセンターの、様々な店の看板が見える。

 目を左下したにやると、銭湯の青い屋根と大きな煙突がみえて一度は行ってみたいと思い続けている。

 北のベランダからは遥かに筑波山が見えて、喜んでいたのに十年くらい前に、その山を
真っ二つに切るように大きな細長い塔のような建物が出来た。ゴミ処理場とか。

 ここからは見えないが、下に下りて十分も歩くと私の好きな川が近くにあるし、
スカイツリーだってすぐそこに見える。

 日常生活も便利この上なく十分以内に大小のスーパーマーケットが四個所。
郵便局 警察 書店 食べ物屋さんに至っては無いものはない。
駅からマンションまで続いているのだもの、誘惑に負けないようにするのが大変だ。
 
 年に二、三回やって来る私は、ここが気に入っているけど住み着く気は毛頭ない。

 やっぱり住み慣れた我が家は一人で寂しいけれど居心地がいい。
 いつもいつも夫が傍にいてくれる。思い出を共有してそれがまたあり過ぎる位なのだから。

 子供たちは遠くで心配しているよりと思う気持ちはあるらしいのだが、私の本音を知って
いるので、今更の感なのだろう。

 幸せだった私の人生で夫との少し早い別れだけが誤算だったと言いきれる。

 贅沢を言ってはいけないよね。
 のんびりと自分の思うまま、好きなように生きている私なのだから。

 マンションからの眺めがいつの間にか自分のことになってしまった。

 さあ後はその大好きな我が家に帰る準備をそろそろと.....。

 
 
 
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明けましておめでとうございます [日記]

 遅ればせのご挨拶。
 気がつけば長い年末年始のお休みも今日でおわりです。
 東京滞在予定も半分終わりました。

 あまり出かけることもなかった前半ですが、明日からは予定が詰まっています。
 
 親友のいない東京は切なくて上京初日の空港でほろり。
 最後のお別れをした駅に着いた時には流れる涙を隠すこともなく、立ちつくしていました。
 早一年過ぎたなんて、本当に寂しい限りです。
 毎年二人でお参りした浅草寺にもなかなか足が向きません。
 でもお墓参りの約束だけは彼女そっくりの、優しい娘さんと早くにしてあります。

 さて旧友と会う約束が二件、横浜の弟宅を泊りがけで訪ねる予定。
 新国立競技場もちよっと眺めたいし。東京のあちこちも足には自信があるので頑張ります。

 オリンピックもマラソンなら見られると楽しみにしていたのに、札幌では残念。

 それに十日は目出度くもないけれど誕生日を子供たちが祝ってくれるようです。

 もう荷物の整理などちょろちょろ考えている私。
 とっくに里心付きやまず、こんなに長居の予定たてなければよかったとか。

 上京三、四日はマンションの掃除やら、買い物やら忙しくしていて退屈もしなかったのに。
 
 何はともあれ今年も元気で、子供たちに心配かけないように大好きなわが街で、のんびりと
 好きなことしながら過ごしたいと思います。

 どうか気が向いたらdanをお訪ね下さい。
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上京して四日 令和も暮れていきます [エッセイ]

 どこまでも澄み切った透き通るように青い空。
遥かに真っ白に輝く富士山がみえます。

 四日前、いつものように快適な空の旅、環七の渋滞もなくリムジンバスは定刻息子のマンションのある駅に到着しました。
 思いもかけず娘がベンチに座っていて私を迎えてくれました。仕事のはずなのに五か月振りの
対面なので休みとつたのかなあ。少し嬉しがっている私がいます。

 それから二人で掃除やら買い物やら、彼女は私に似ずあまり喋らないので私一人がお喋り。
夜には仕事から帰って来た息子と、楽しい賑やかな嬉しい一日目でした。

 それからは老骨に鞭を打ちつつ私の独壇場。「年の割には元気だなあ」と自画自賛しつつ
働き続けて最後には倒れるのではと心配になるくらい家事全般をこなしました。

 夜お湯たっぷりのお風呂の後息子の数分のマッサージが本当に気持ちよかったのです。

 今日も午前中にと近くのスーパーへ買い出し。
師走もあと二日というのに歩いていても風も冷たくないし、まるで早春のように気持ちがいい。
 長年人間やっているけれどこんなに穏やかな師走を知りません。
 
 この調子で穏やかなお正月になりますようにと願わずにはいられません。

 私が十五歳からの親友を突然亡くして六日で一年になります。

昨年のクリスマス、やって来た私を待ち受けてくれて、いつものコースを二人でデート。
 夕方の四時三十二分駅でさよならして見送ったのが最後になりました。

 もう私が上京する意味もなくなったように感じました。
 今年も折角上京しても相手になってくれる人もいないのに、と息子に言っては
「その話はしないことになってるでしょう」
 とよく言われました。彼も私の悲しさ寂しさは十分分かっているのです。
そして、その代わりが務まるはずもないことも。

 あんなに元気で生きることに意欲もあって、楽しい余生を送っていたのに。

 それでも私は来ました。年明け早々にお墓まいりに行く約束も彼女の愛する優しい二人の
娘さんと、すでに出来ています。
 せめてお花でも手向けて「貴女がいないこの一年のこと」話したいと思っています。

 この穏やかな年の瀬二人で悠々とコーヒータイム持ちたかった。
 優しく温かい手をつなぎ合いたかった。

 私は元気な体を親に貰ったと思っています。だから貴方の分まで、彼の分まで頑張って
令和を歩こうときめました。

 小さい声で「だって私には優しい子供たちがいますから」

 風の音さえしない十二階のマンションのベランダから北に向かってとぶ飛行機の機影を
みながら。

 今年も「さくらんぼ日記」のご挨拶。一年間有難うございました。
 皆様いいお年を!!

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鈴のふるさと 学生時代 1 [鈴のふるさと]

 街に来てすぐ転校する中学校へ行った。何故か父と一緒に行くのが恥ずかしくて困った。
村の学校はニクラスだったのにここは五クラスあると聞いただけで足がすくんだ。
 そうでなくても田舎から来て勉強も随分遅れているのではと、鈴は足が重かった。
校長室には年配の女の堀本先生がいらして、
「この学校で一番厳しい先生です」と校長先生に紹介されて鈴はますます小さく縮こまった。
 でも鈴を見る先生の目は優しくて、鈴も思わずにっこり笑ってしまった。
 
 教室には男女五十余人の同級生が待ち構えていて、興味深々。この頃には鈴も朦朧としていて
何が何だか分からぬうちに、教壇の上に立たされて先生が紹介して下さった後一言いいなさいと。
 震えながら「よろしくお願いします」と小さい声で言った。
 すぐに授業が始まり、待っていた英語の先生がペラペラといったら窓際の生徒がさっと立って
窓を開けたので鈴はとうとう越しが抜けたように、椅子にへたり込んでしまった。
 
 これは大変なことになった、よりによって多分一番学力差があるだろうと思っていた英語が
初日の授業だなんて「運」が悪いのにも程があると、鈴は生きた心地がしなかった。
 それでも授業が終わると、先生が決めて下さった私担当の典子さんがすぐに席に来てくれて
 「家は近いし分からないことは何でも聞いてね」と言ってくれ鈴は初めてほっとした。
 彼女とはそれからずっと大人になってもいい関係が続いた。

 鈴が猫をかぶっていたのは一週間位で、すぐ本来のお転婆さんに戻って楽しい中学生活が
続いた。
 秋に転校したのですぐ運動会があり、その後先生に勧められてバレー部にも入った。
田舎の学校でパスくらいはしたことがあったけれど、全くの初心者なのに背が高いというだけで
 「前衛のセンターやりなさい」と言われ毎日毎日トスを上げる練習。
まるでオットセイのように鈴は黙々とトスを上げ続けた。
 
 三学期に入って鈴の学校で家庭科の研究会があり市内の先生方が大勢いらした。
その時も担任の堀本先生が「研究授業」されるので鈴たちはその日のために勉強やら、先生の
接待やら係を決めて放課後も準備に奔走した。
  
 家では父母や弟妹達もそれぞれ自分たちの居場所に慣れて、狭いながらも小さな家で明るく
楽しい毎日を過ごしていた。

 年が明けてもう春には鈴も三年生、この半年でお城があり、温泉があるこの素敵な街のことが
皆大好きになって、それぞれが夢をもって頑張るのだと鈴も張り切っていた。

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鈴のふるさと 学生時代 [鈴のふるさと]

 鈴は父の転勤のため故郷の村を出て大きな街にやって来た。

五時間も汽車に揺られてトンネルをいくつもくぐり、紅葉した山の木々いつまでも続く青い海。
 鈴はこの旅を退屈することなく希望と好奇心でいっぱいだった。
母に時々睨まれるほど弟妹とはしゃいでいた。
 
 父から住む家が小さいことだけは何度も聞かされていた。
 大きな街は戦争でやられ焼け野が原になったのだと聞かされていた。

 汽車を下りて駅前の広場に立った時、鈴は言葉が出なかった。
弟が痛いと言うほどその手を握りしめていた。

 高い建物はひとつもなく、た焼け野が原の街に電車の線路が真っすぐに延びていた。

 やって来た電車で官舎のある所まで十五分くらい。
「お父ちゃん小さい家はこの電車くらいの大きさ?」小さい声できく鈴に父は頷いた。

 これから鈴たち家族七人が住む家に着いた。

「大きいじゃない」鈴は思った。......のだけど。
 
 荒壁に灰色のセメント瓦、ちゃんとした家だ。官舎なのだから。
ここに来る道々見たどこの家より立派だと思った。
 
 入り口を入ると割に広い土間があり、奥に畳の部屋が六畳と四畳半。一間半のふすまのない押し入れ。外の小さな廊下の突き当りにお便所。
 台所は入口の土間の横に井戸がありポンプがありセメントの洗い場があった。

 十四歳の鈴は嬉しいような泣きたいような複雑な気持ちで、今まで住んでいた村の大きな
御殿のような家を思い出していた。

 父の職場の人が待っていてくれて、手造りのおはぎを沢山下さった。
 その美味しかったこと、このことは鈴たち家族の後々までの語り草となった。

 一応家財道具が届くまでここには住めないので、職場が用意してくれた温泉の近くの
小さな旅館に住むことになった。
 
 ここに滞在した十日ほど、父も仕事が休みで転入や子供たちの転校手続で忙しかったが
 旅館のご飯を食べて毎晩入る温泉に鈴は満足して、やっばぱり街はいいなあ。
 みんなの顔もぴかぴかして、とても幸せな鈴だった。

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初冬の庭で [随筆]

 短い秋を楽しむ間も無いままに冬の声を聞いた。
立春と聞けば心も弾むのに、一文字違うだけで立冬は何となく寂しく侘しい心地がする。

 先日剪定をして頂いた。
この職人さんに剪定をお願いするようになってもう十一年。
知人の紹介で初めて来られた日、庭を丁寧に見てから私に言った言葉が忘れられない。

「この庭を見ていると、作った人の気持ちがとてもよく分かります。愛情がいっぱいですから」
 
 四十代と思われる彼の顔を思わず見直してしまった私。本当に嬉しかった。この人なら
夫が自分で作りたかった庭を引き継いで大切にしてくれるような気がして安心した。

 朝の八時半から五時半まで黙々と作業をされるので、お茶を差し上げる時だけ話をする。

 椿、梅 さくらんぼ ウバメガシ 利休梅 百日紅 山茶花 つつじ 紫陽花 木蓮 そして松
小さい庭に、まあいっぱい。
 この上牡丹を初め鉢植えもいっぱい。残念ながら鉢物はすぐに枯れてしまった。

 ほとんどの木はこの家を建てた時からの長い年月私たち家族を癒してくれた。
世話はしないけど私も昔 蒲萄やゆすら梅がなっていた頃は一番に食べると言ってよく笑われた。

 庭の木々すべてに夫の面影が重なる。

 剪定の最後はいつも松ノ木。これが笑ってしまう。
 ヒョロヒョロで幹の根本でも直径12、3センチしかないのにくねくねと伸びている。
「何でこんな木なのかなあ」とお兄さんに聞くと
こういう風に作ったのだと言う。ここにも彼の意思が詰まっているのだと。
 可哀そうな松さんこんなに曲げられて大きくなれなかったんだ。ふふふ。
 この松に一時間はかかる。

 剪定をしてさっぱりした庭で「あらあまだ咲いていたんだ」と薄いピンク色に黄色い花芯の
山茶花を見つけてびっくりの私。
 二週間くらい前に待っていた山茶花を見つけてにこにこと庭に下りて木の下まで行って
さんざん眺めた。夫の好きな花今年も咲いたよとつい話かけた。

 その後みたこともなかった風流でない私。水遣りもしないのだから無理もないけれどね。

 そしてもう一つ石蕗の花。
 濃緑の丸い葉っぱからすくっと伸びるしっかりした茎の先に三センチほどの菊のような黄色い花が沢山集まって開く。
 冬の初めの色のない庭に灯をともしたように愛いらしい姿を見せてくれる。
これから先、梅が咲くまで花はない。
  
 でも我が庭にはもう一つ夏から咲き続けてきいる強い花がある。
 ランタナ この花だけは唯一私が植えたのだ。
もう四十年も前勤めていた会社の社長さんが苗をくれた。
 曰く「これほど世話のいらない花はない。持って帰って庭の隅にでも植えときな」
花に興味のないノラの私を見越しての言葉だ。
 なんとなく頂いて、いまではどのように植えたかも覚えてない。

 でもリビングのガラス越しに今も鮮やかな朱色の小手毬のような可愛い花を咲かせている。
その社長さんも今年旅だたれた。歳月の長さを思う。

 我が家の小さな庭もこうして眺めていると、私には胸が切なくなるほどの想いが詰まっている。
 
 これからの寂しい季節、厳しい寒い冬でも、お日様だけは暖かい日差しを届けてくれる。
 もう少し頑張っていこうかなあ! 
  早く彼に逢いたい気持ちとせめぎ合っている私がいる。
 
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春子さんの茶の間 その13 [エッセイ]

  金木犀の香りが漂ひ、やっと秋らしい気配がしてきました。
余りの暑さに精神的にも疲れ果てて外出もしなかった春子さん。
今日は久し振りのカルチャー教室にでかけました。
 
 珍しく小雨で新調したばかりの折り畳みの雨傘もさしてみました。
若草色の濃淡の雲形模様が意外に素敵で、今更のように勧めて下さったデパートの
店員さんにちよっと感謝する気になってみたり、春子さんの気持ちも上向きがち。
 
 NHkカルチャー教室は市の中心部にあり終わってからの方が楽しみな面も。(苦笑)

  春子さんは教室などで友だちになるタイプではないので、ご挨拶だけで終わるから
みなさんの名前や顔さえ覚えていません。終わればさっさと帰るのです。
 
 でも今日の教室(史記を読む)では生徒がたった四人、女性は二人だけだったので
二年前初日に彼女が声をかけてくれました。
 
  kさん。年は16歳も違うのに偶然高校の後輩で、人付き合いの苦手な春子さんも
月一回会うたびに、性格も趣味も合って、その人柄にもひかれすっかり仲良くなりました。

 ブログもやっていてその小説を読んだ時は本当に驚きました。プロ級です。
だから決して春子さんのブログを突きとめられないように、コメントもしません。

 そんな彼女とはお昼に教室が終わると、決まってお寿司を食べてから街をぶらぶらして
最後は喫茶店でねばり、夕方別れます。

 ところが今日は商店街で健康に関するイベントをやっていました。

 春子さんは是非「骨密度」と「血管年齢」知りたいと思いました。
 普段病院など行かないのでこういう検査の機会もありません。その上無料です。
ただ待ち時間はそこそこあるけれど、どこか我慢しなければ。
 
 kさんも意見が一致して並びました。
 
 実は春子さん二十年ほど前に親友と東京のデパートでこの二つやったことがあって
二人とも実年齢よりはるかに若くて悦にいったことがありました。

 出ました! 血管年齢 実年齢より一歳若いだけ。血管点数50点
コメント ほぼ実年齢通りの一般的な血管の弾力性です。心配のない状態です。

      骨密度 若年比較67% 20歳の平均値との比較
          同年比較102% 同年齢の平均値との比較

 ああ二つとも思ったより普通。年齢相当。がっくり、がっくり。

 春子さんは今 自分のことさえしていたらいい。考えていたらいい。
生活の不安も、心配事もない。

 ただ遠く離れ住む東京の子供たちが元気に思う通りに生きてくれたらそれでいい。

 親しい友人たちは5、6歳年上の旦那様がお元気で三度の食事やお世話は大変のようです。
 春子さんにとってはただただ羨ましいだけ。春夫さんがいたらなあと。
 
 その春子さんも、年よりぜーんぜん若くて元気と思っていたのに、体は確実に老い
終点に向かっていると、今日こそ実感しました。

 何だか寂しいと同時に自然の摂理と納得出来たし、うぬぼれも少しとれて、これからは
年相応のかわいらしいババちゃんになろうと決めると、すっきりしました。
 
 空の色渡る風ももう完全に秋です。


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