面影草  14 [短編]

  楽しく充実している年月はみるみる過ぎていくものなのだ。
 
 彼がまた転勤になった。今回は職場の責任者ということになり、家を離れる
寂しさよりも、彼が張り切っている様子が垣間見えて私は少し不満だった。
 この時これから後、七年間の単身赴任が続くことになろうとは思っても
みなかった。

 今度は瀬戸大橋を渡って岡山県の星の美しい町だ。車で三時間はかかる。
着任の時は私も一緒に行った。かなり高い山の上に忽然と現れた施設は立派で
広々として自然が大好きな彼はすぐ気にいるだろうと思えた。
「いいなあ。ここならちょっと歩けば野草や山菜が沢山ありそうだ。」
案の定彼はきらきらした目で私を見た。
 私はごめんだ、遊びに来るのなら楽しいだろうが住みたくはない。
宿舎も素敵でマンションのよう、一人で住むのは勿体ないくらいだ。
 彼が生活に必要な諸々のことを二人で準備したり、車で十五分町に出れば
何でもあって不自由なく生活出来そうなので私は少し安心して家に戻った。

 一日の仕事を終えて誰もいない家に帰るとやっぱり一人は寂しい。彼も同じ
思いだろう。新しい職場で張り切っていても家に帰れば「お疲れ様」の一言が
欲しいのではないだろうか。それとも案外うるさい私がいないのをいいことに
羽を伸ばしているだろうか。
 生活のために、子供たちの学費のために働いていた時は考えてもみなかった
ことを考えたりする。私に少し余裕ができたからか、それとも年のせいか
仕事が嫌になった訳でもない。

 私も二十年余働いた。老境に入りつつある二人が離れ住んでまで働くべきか。
仕事を辞めて彼のところへ行こうか。
 社長からは辞める時は半年前に言ってくれ、と冗談まじりに言われていた。
総務も会計も一人で引き受けて二十年、本当に居心地よく働いた会社だ。
辞めたいなど思ったこと一度もなかったのに私は決意した。
 突然の話に驚きつつも、彼や子供たちは「お疲れ様。これからは自分の
好きなようにしたらいいよ」と賛成してくれた。

 半年後の早春、職場のみなさんの暖かい拍手に送られて大きな花束を胸に
私は二十年余通い続けた会社を後にした。
 
 本当の自由を得て胸いっぱいに吸い込んだ空気、やりたいことやるぞ!
その気持ちも一か月経つと後悔に変わった。いろいろな手続きが終ると
何もすることがない。仕事がしたい、ああ会社辞めなければよかった。
 すぐにも彼の処へ行くはずだったのに、それもせずに悶々としていて私は
見つけてしまった。
 カルチャースクール。あったあったやりたいこと。
「時々様子見に行ったのでいい」私はここに居座り「亭主元気で留守がいい」
生活を満喫することになった。
 月二回ほど帰って来る彼と、彼が向うへ行く時車で一緒に行ってしばらく
滞在して主婦らしいことをやってお茶を濁していた私。
 ずいぶん我儘だったけれど老境の入り口で、呑気な私の青春がそこにあった
ことは紛れもなかった。
 

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面影草  13 [短編]

六年ぶりの転勤で彼は我が家に帰ってきた。
充実していたこのところの私の一人暮らし。まわりの人たちの声は
「大変になるよ。勝手気ままにやってきたことが癖になっているからね。」
私はそんな声を聞きながら、なんだか浮き浮きしいいる自分の気持を
大切にしたいと思っていた。

 ところが職場の決まりで管理職は自宅があっても、一応施設にある
宿舎に入らなくてはならないとのこと、結局市内別居ということに
なってしまった。
 彼は少しがっかりしたようで、知らなかったなあとつぶやいていた。   
ほほほ、やったね望むところだ。神様は私の味方私の自由は確保された。
 こうして彼は立派な3LDKにひとまず落ち着いた。
肝心の食生活も施設の食堂を利用すればいい。
 私は彼の世話など何ひとつすることもなく、いざという時には電話
一本で駆けつけてくれるほどの近く彼がいてくれるのが嬉しかった。
 本当は自分が楽することばかり考えていた私だったのだ。
 彼は休みになると帰ってきて庭の手入れに余念がなかった。
見捨てられていた木や花たちはみるみる元気を取り戻し、そんな庭を
見ている彼の眼は、優しくて幸せそうで、そんな様子の彼を見る私も
ずっと忘れていた心のゆるやかさのような、安堵感に充たされていた。
 彼が忙しいときには私が行って、ご馳走を作ったり、掃除や洗濯を
するのも楽しかった。
 ふとあの赤い屋根の小さな家で過ごした若い日々を思い出したりした。
 
 そして計画されていた彼の施設の二年をかける改築工事が始まった。
すっかり忙しくなった彼はほとんど自宅へ帰れなくなり、私が彼の処から
職場に行くこともしばしばあり、私もそうのんびりとはいかなくなった。
 東京で働いている子供たちとも、新年や夏休みに帰省した時に会う
くらいで、それでも充実していた頃て゜はなかったろうか。

 二年後施設は立派に出来上がり、盛大な行事が次々に行われ職員たちも
晴れ晴れと元気に笑顔で営業を再開することができた。
 彼も忙しかったけれど、大きな仕事をやり遂げたという満足感があった
だろうと私は内心彼に尊敬の念とともに、羨ましさも感じていた。

 そして人事異動がありやっと彼が我が家に帰ってきた。
この頃、仕事にも少し余裕ができたという彼を誘って休みによく出かけた。
 もともと旅好きだったから、相談はすぐにまとまっていつでも飛びだせた。
 「結婚以来初めてだね。お金のこと考えずに思ったことが出来るのは」
 思えば三十年近い厳しい月日を二人で歩いて来たのだ。
その間少なくとも私は大きな不安や不満をもったことはなかった気がする。
 今横にいる彼はすっかりおじさんになって鬢のあたりに白いものも見える。
私だって友人の中でどちらかといえば一番汚くなった。
 遠くに見える山、少し走れば穏やかな海の青い色。大好きなこの街で
自分の仕事があり、家族が健康で、こんなに素晴らしいことがあるだろうか。
 私は今この時を大切にしたいと心から思った。
  
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面影草  12 [短編]

 巡る季節をゆっくりと感じる暇もなく、私たち一家に時は流れた。
その間、皆が健康で仲良しで明るくて、それぞれが自分の道を思い通りに進む
ことが出来た。
ただ肝心の家計だけは想定内とはいえ、転職による厳しさが続いた。
それでも彼も私も頑張って子供たちの小学生時代はなんとか切り抜けた。

 娘が中学生になった時、私は家族の賛成を得てフルタイムの仕事に着いた。
 運よく昔の職場の子会社に入れた。私の仕事は最初から事務は全部引き
受けるというもの。でも昔の仲間が同じビルにいて、大らかな役所関係の下請
会社で、五時にはきちっと帰れるのが何よりだった。
 夜は食事が終わると、少しの間は皆でテレビをみたりその日の出来ごとなど
話合うがすぐにそれぞれが自分の部屋に入ってしまう。
 彼までが自分のやりたいことに熱中してしまうので、私はひとりリビングで
テレビをみることが多かった。

 この頃のことを思い出しては成人した子供たちに私は良く聞いた。
私の作る毎日の食事のこと、中学から持たせたお弁当のこと、彼にもお弁当を
作っていたかなあ。などと。
 彼と息子は気のない返事だが、娘は
「ご飯もお弁当も美味しかったよ。他の人のを羨ましいと思ったことなどなかったよ」
と優しい。
 そうかなあ。と忙しくしていたあの頃のことを懐かしく思い出す私なのだ。
 息子は私立中学へ、娘は国立の中学に進んだので、友だちは立派なお弁当では
なかったのかと、後になって気にかかったりしたのかもしれない。

 息子が大学進学のため東京に出た、その年彼が初めて単身赴任で家を出た。
 わが家は女二人、寂しかったけれど彼は赴任地の隣県から毎週のように帰って
来てくれた。

 三年後娘が大学進学で大阪に出て、とうとう私は一人でわが家を守ることになった。
 庭の木々や花たちもすっかり大きくなって、この家は愛しい自分たちの家になった。
私は家族のキーステーションのここで、随分頑張った気がする。

 そしてとうとう私も念願叶ってこの年、地元の国立大学夜間主コース文学科に入学
することが出来た。
 同級生に遅れること二十八年、念願し続けた大学だった。私たちの世代は高校進学
さえ女子はクラスで数人の時代、その当時弟三人が続くわが家の経済を考えると、
大学へ行きたいとは言い出せなかった。
 でも私は飽きらめてはいなかった。

 働く青年に門戸を、と各地の国立大学で夜間主コースが誕生し始めたからだ。
当地でも法学科、経済学科と開設されたが、私は焦る気持ちを抑えた。数年先に
文学科が開設されると聞いいてた。私は少しづつ勉強を始めていた。
 そしてわが家にたった一人になった時、偶然にも最高のタイミング、誰に遠慮もなく
昼は職場、夜は学校と最高の私の時代が来たと張り切った。
 受験したいと彼に相談した時、かれは即座に賛成してくれた。嬉しかった。
 その夏に彼は遠く筑後に転勤となり、わが家族はそれぞれ九州、四国、東京、大阪と
別れ住むことになったのだ。
 当然のように家計は火の車、彼も私も力の限り頑張ったけれど、子供たちも最低の
仕送りに文句をいわず、アルバイトをしながら頑張ってくれたようだ。

 私の人生でこの四年間ほど充実した時はなかった。本当に楽しかった。
一番犠牲になったのは彼だと思う。ひとりで放っておかれたのだから。私が本当に
感謝していたことで許して欲しいと、心では思っていた。
彼は毎晩私が家に帰る九時半頃には必ず電話をしてくれた。「元気、今夜のご飯は何」
私は毎晩のように卵焼き、彼は料理が好きでこれが一番経済的と、よく鯛のアラ炊きを
作っていたみたいで、「電話線に括りつけて上げようか」と言ってくれた。
 私はポロポロ涙がこぼれるのを拭いながら「そんなもんいりません」と憎まれ口をきいた。
 兎に角激動の四年間があっという間に過ぎて、皆が社会人になりそれぞれの場所で
仕事に着いた。そして彼は六年振りに懐かしいわが家に帰り、約三十年振りの二人の
生活が始まった。

 

 
 

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面影草  11 [短編]


 戦後二十年経って日本の国全体が活気に満ち、人々は頑張りさえすれば
夢に手の届きそうな時代だった。
 私たちの街にも新しいビルが次々に建ち始めたが、郊外のわが家の辺りは
まだまだ自然がいっぱいで、子育てにはいい環境だった。
 前の家から大切に持ってきた庭の木々や花たちは、私たちの家庭の歴史を
物語るように大きく成長していた。
季節ごとに咲く花は安らかな気持ちを、少しづつ伸びていくさくらんぼや梅や
松や椿には元気と勇気をもらった。
少しでも時間があれば庭にはいつも彼がいた。子供たちの声がした。
 しばらくは葛藤のなかに揺れていた彼も気持ちを切り替えて新しい仕事に
取り組み、彼なりの目標も見つけたようだった。
 
 娘が幼稚園に入るのを待ち構えて、私はパートに出た。やっと時間で働く
パートという職種が定着し始めたころではなかったろうか。
 昔勤めていた職場から声をかけられて家計の助けにもなると決心した。
彼はすぐ賛成してくれた。
子供が大きくなったら仕事を持ちたいという、私の気持ちをよく理解してくれて
いたから。
 入社にあたって社長にお願いしたこと。幼稚園のお帰りに合わせて時間を
調節して欲しいと。後で考えれば我儘だと思うけれど、その時は必死だった。
「パートだからそれでいいんだよ。」にこにこと社長は了承して下さった。
 私は昔の仲間や新しく知り合った仲間と楽しく働くことが出来た。仕事は
当然単純な補助作業だったけれど今はこれでいいのだと納得しいていた。
 
 一生懸命だったこの頃の思い出は、頑張った自分たちへのご褒美だと彼が
言いだして、家族で出かけた「大阪万国博覧会」
 息子の担任に遠慮がちに「万博に行くので学校休ませて下さい」とお願いに
行った時、若くて美しい先生がおっしゃった言葉が今も忘れられない。
「素晴らしいてすね。しっかり見てきて下さい。学校の勉強も大事だけど、それに
劣らない社会勉強が出来るでしょう。」
 若かった私は感激してこういう先生がこれからの教育界を引っ張っていって
くれるのだと頼もしく嬉しくなって、興奮して彼に報告したものだ。

 私たち家族の三泊四日の万博見物は、楽しくて珍しくて嬉しくて、疲労困憊。
今まで見たこともない人人人の波。
巨大で、でも魅力的な「太陽の塔」。
世界中の国々の展示館の壮大さと、美しい緑いっぱいの万博庭園。
押し合いへし合いチラリと見た「月の石」。
どこかの国のm教の展示館に引きこまれて、一時間も勧誘されたこと。
 体力もお金も使い果たしたけれど、それらに勝る大きな収穫があった素敵な
体験だった。
 

 
 
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面影草  10 [短編]

 たった一人の王子様の出現に二人の生活は一変した。目が回るような毎日。
実家でみんなにちやほやされたボクには困った。
 抱きぐせがついて、とうとう私は一日中ボクを抱っこしたりおぶったり。
仕事が終わると風のように飛んで帰って来る彼を待って、買い物に出かけたり
食事の支度をしたり。こんな時彼の主夫ぶりには本当に助かった。
 こんなボクには振り回されながらも幸せな毎日が過ぎて行った。
 専業主婦の私は自分が思っていたより自然に主婦してるじゃない..と自画自賛
彼も予定通りのいい夫いい父として仕事も家庭も充実していた。

 三年後彼は仕事上のことで想像もしなかったトラブルに巻き込まれた。
自分が信じて積み上げて来たものが音を立てて崩れ去った。
自分の不注意ではなかったか。誰かに迷惑をかけてしまったのではないか。
 毎日苦悶する彼を私は黙って見ていることしか出来なかった。
 最初に彼から事の成り行き聞いた時から私は彼を信じた。彼の仕事を信じた。
そして私に出来ることは彼のために祈り続けることだった。
 彼は決断した。結論を聞いて私も彼の決断を正しいと思った。

 私たちは幸せな新婚時代を過ごした思い出のN市を去ることに決めた。
 彼か転職することにも、義父の気持の詰まった、そして私たちの魂の絆と思える
ほど愛着のある家を処分することにも、二人で悩み真剣に考えた末での人生の
一つの選択だった。
 それでもお互い言葉にはしなかったけれど、これから住むことになるМ市が二人が
出会って素敵な青春を過ごした懐かしい街、私の両親のいる美しい街であることが
何よりも嬉しかった。
そしてそれらは、さまざまな不安を抱えて再出発する私たちの大きな支えとなった。


 私たちは市の郊外に開発されたばかりの七十区画ある団地に第二の新居を構えた。
 夫は今までとは全く違う新しい仕事に必死に取り組み、私もボクも頑張っていつも
笑い声の絶えることのない、楽しい家庭作りに精をだした。
 顔が見たいと思えばいつでも逢える父母や弟たちや友だちが私たちの底力となった。

 ここで私たちは待望の女の子を授かった。

 私が希み想像していた色白で、目はぱっちりとはいかなかったけれど、可愛くて元気な
女の子。
 彼はまた子煩悩を絵に描いたようなパパになって、あれこれと世話をやき、自分も随分
元気を貰ったようだった。
 あの泣き虫だったボクも三歳になり今は優しいお兄ちゃんぶりを発揮していつも彼女の
側を離れず、女の子のようにお人形と遊んでいた。

 近所にも人が増え、子供たちにもいい遊び相手も出来、私もここで生涯の友ともいえる
心通う素敵な女性に出会うことが出来た。
 相変わらず苦しい家計との格闘に明け暮れる私。、時にはいらいらしても陽のあたる
縁側で仲良く遊んでいる子供たちを見ると、つい笑顔になってしまう。
 若い時、彼と二人で描いていた理想の結婚生活が、曲がりなりにも出来つつあることに
気がついて、胸の底の方からほんわかした暖かさが立ちあがって来る。
 そして変わらぬ彼の優しさを本当に嬉しく思い、また頑張る気持が湧いてくるのだった。





 

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面影草  9 [短編]

 穏やかに過ぎて行く日々のなかで二年経った。
 二人の生活はやっと軌道にのリ、これからという時に子供を授かったことが
分かった。
 一瞬困惑した私とは違って彼の喜びょうは呆れるほどで、直ぐに父親になった。
 何とか生活の目途が経ったところでよかったと有頂天になった。

 もう少し仕事を続けたいと言う私のために家事一切を引き受けると言いだした。
雨戸の開け閉めはするな、思い物は持つな、早足に歩くな。そんな彼を見ていると
つい私も嬉しくなって期待に応えて元気な赤ちゃんを彼に抱かせたいと心の底から
思うようになった。
 
 彼に支えられ安心して日々を過ごせた私は体調も良く、赤ちゃんも順調に経過して
何の問題もなくその日を迎えることとなった。
 誰も知らないこの地での初産は心細いと彼と父母が相談して、予定日は一月末
だというのに年末には彼に送られて実家に帰った。
 生まれる子供は父母にとっては初孫で、祖父母や弟妹たちが喜んで待っていた。
 正月が終わり一人で汽車で三時間のわが家へ帰る彼に
「寒いし寂しいし大変だね。ごめんね大丈夫?」
私は少し胸が痛んだ。
「全然大丈夫だよ。貴女こそ頑張って。」
逆に私を励ましてくれて、明るく笑った。

 そして週末には必ず様子を見にやってきて、私のお腹に手を当てて赤ちゃんにも
頑張れ! とエールを送り続けた。

 彼が丁度出張で来ていたその日、母と彼に付き添われて私は入院した。
病室で陣痛が来る度に、彼は私の手を握りしめて耳元で
「僕たちの大切な赤ちゃんだよ。頑張って..」.と囁き続けた。
 廊下の椅子に座った母と彼の心配そうな顔に、私は無理やり笑って見せて分娩室に
はいった。
 そして約四十分、もう死ぬかと思った時
「ふうぎゃあ~ ふうぎゃあ~」
 私の想像とは全然違う、ちいさな優しい産声を上げて私たちの赤ちゃんが生まれた。
 「元気な男の子ですよ」
助産婦さんが大きな声で言いながら、小さくて真っ赤な赤ちゃんをそっと私の胸の上に
乗せてくれた。
 今までの苦しさが嘘のように消えて、私は涙でよく見えないわが子に手を添えた。
その時
「先生お父さんが、赤ちゃんの写真を是非撮らせて欲しいと外にいるのですが。」
という声が聞こえた。一瞬の沈黙の後
「ここへ入れてはいけないんだが、まあ特別ということでいいでしょう。」
先生の声が聞こえた。
 彼がどのような状況で子供の写真をとったのか、私には分からなかった。

後で聞いたところでは、彼は生まれたばかりの子供の写真は絶対に撮りたいと思って
いたそうだ

 一週間振りに病院へやって来た彼は、にこにこと大きな箱を差し出した。
私は忘れていたけれど、お産の後ケーキが食べたいと言ったらしい。色々なショート
ケーキが三十個も。同室の皆さんにも食べてほしかったのだと。
私は彼の気持ちが嬉しくて、涙をぬぐいながら三個も食べた。
 そして彼が「はい、もうひとつプレゼント。」といって一枚の写真を手渡してくれた。

 それは分娩室の大きな台の上にある体重計のかごのなかで、生まれたばかりの
赤ちゃんが、両手両足を精一杯伸ばし力の限り泣いている姿。

 横の辺りには薬剤や注射器やガーゼなどが乱雑にあり、緊迫した分娩室の様子が
伺え、この赤ちゃんが今生まれたのだとはっきりわかる。

 私は一瞬胸が痛くなるような感動を覚えた。この一枚の写真は彼がどんなに深く
この子を愛しているかという証ではないか。

 私は彼の顔をみた。いつもの穏やかな笑顔は私のもの、私は万感の想いをこめて
最高の笑顔を返した。 

  
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面影草  8 [短編]

 二人が新居を構えたのは県庁所在地に次ぐ県東の工業都市だった。
大企業S傘下の会社が五社もあり、活気に満ちたブルーカラーの街でその
下請けも含めると市民の殆どが何らかの形でSに関わり、Sなしでは夜も
日も明けぬ様子の街だった。
 そんな中で彼は役所勤務だったのでまあ恵まれていた。
 私は街の中心部の商店街にある株式会社とは名ばかりの、社員十五名
ほどの電気屋にやっと就職した。
 二人には休日も勤務時間も違って、思い描いた理想には程遠い共稼生活。
 私たちが出会った県都とは、街のたたづまいも生活の雰囲気も違った。この
ことは、彼がこの街に転職を決めた時から少し気になっていたことではあった。
私は「住めば都よ、まして彼が一緒なら」といつも自分に言いきかせていた。
 それでも始まってみれば二人の新しい生活は楽しくて、定時に帰宅出来る
彼が夕食を作って待っていてくれる時もあった。
すまないという気持はいつもあった私だけれど、彼が何の抵抗もなさそうに
そうしてくれることで、満足していたし感謝もしていた。
 家からバス停まで五分バスで十分で私の職場へ着く。彼は自転車で十五分
でゆうゆう役所に行けた。
 週に一回ある私の遅番の日に仕事が終わる八時頃、彼は決まって自転車で
迎えに来てくれた。
 二人は商店街の一つ奥の裏通りに、六、七軒が並んでいる屋台通りへ。
そこには赤提灯や裸電球がゆらゆら揺れて、自慢のうどんやラーメンを商う
屋台がそれぞれ味の腕を競っている。一日の仕事を終えた大勢の人たちの
笑顔が重なり合って、通りは活気に満ちている。
 二人がいつも行く店「一軒目」。元気なおばちゃんが「いらっしゃい」とびっくり
するほどの大声と笑顔で迎えてくれる。
 初めてここに来た日、私は恥ずかしいから屋台なんて嫌だと言うのに、彼は
前から一度来たかったのだと絶対に譲らなかった。
 おずおず、うろうろ、きょろきょろしていたら
「おーいそこの恋人たち何しているこっちこっち美味しい鍋焼きあるよ。」
目の前の屋台の暖簾の向こうからおばちゃんが手を振ってくれた。
 そしてこのおばちゃんと、おいしい鍋焼きとおでんが気に入った私たちは
その後ずっとこの「一軒目」に通い続けた。
 お腹がいっぱいになると帰りはご機嫌で二人で大声で歌いながら帰った。

 春は川岸の桜並木をおぼろ月に見守られながら。
 
 夏には少し遠回りをして海辺の道を浜風に吹かれて。

 秋にはとうとう自転車を放り出して、川の土手に座り清らかに澄み渡る月を
いつまでも眺めた。

 冬にはびゅんびゅんと吹く北風に向かって、彼が力いっぱい自転車をこいだ。

 貧しくて厳しい新婚生活だったが辛いと思ったことはなかった。
 大好き彼といつも一緒にいられること、これ以上の幸せなど私には考えられ
なかった。
 

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面影草  7 [短編]

 婚約した私たちは、浮かれることなくまず将来の生活設計をしっかり立てる
ところから始めた。
 家賃がいらないから自分たちの家があったらいいなあ。単純な気持ちだった
のに、何度か話しているうちにとにかく土地だけでも手に入れたいと本気で思
うようになった。
 そして彼は親の脛をかじりながら、給料のほとんどを注ぎこんで頑張り郊外に
土地を買った。私も出来る限りの協力を惜しまなかった。
 必死の私たちを見て彼の父が家を建てようと言いだした。このことは二人で
考えたことではあったが実現出来そうな話ではなかった。

 農業と会社勤めをしながら兄や姉たち結婚させ、年老いた今の父に次男の
家を建てる経済力などあろうはずもなかった。
 でも父は不安がる私たちをしり目に、幼馴染の大工さんと相談してなんとか
なりそうだと笑った。
 それならと私たちもと住宅金融公庫の融資をうけることにした。
家の設計もああでもないこうでもないと時間を掛けて考えた。
 目の回るような忙しい月日を経て二年後、桜が満開の春に二人の新居が
完成した。
 と言っても私は遠く離れた実家にいたので、建築に関わるほとんどの手続き
などは彼が孤軍奮闘し、私は手紙や電話で理想論ばかりを言い、時々は彼を
怒らせたりもした。

 そして私たちは結婚した。

 小さな小さな赤い屋根の家。

 庭には実家から移植したさくらんぼ、梅、松、きんかん、紅葉、つつじ、椿など
たくさんの木を彼と義父とで植えた。

その様子を見ながら、私はふと思った。この木々が大きくなる頃私たちはどんな
生活をしているだろうと。

 花壇には彼のすきな幾種類もの花たちを植えた。
ここにはいつも四季の花々が咲いているだろうなあ。ここで彼なら一日中でも
庭いじりをしているだろう。私はきっと見ているだけ。

 リピンクの壁面いっぱいに造りつけた書棚に二人の蔵書を詰め込んだ。
ステレオはどうしても買えなくてプレヤーで好きな音楽を聴くことにした。
テーブルに花を飾りコーヒーを飲みながら夜更けまでとりとめのない話をした。
 
 幸せなスタートだったが、家を建てたことで予想以上に経済的に大変だった。
 私は新しい土地で新しい仕事に就いた。
二人で働いてもぎりぎりの生活、それでも若いふたりは毎日が夢のように楽しく
自分たちが設計した通りの人生が送れることを信じて疑わなかった。





 


  

 

 


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面影草  5 [短編]

 夕方から降りだした雨は夜になって風も出て本降りとなった。
 二週間振りのデートの私たちは少し浮き浮きと、いつもの喫茶店のいつもの
席に落ち着いて、このところのお互いの毎日を報告し合い笑っていた。
もう小一時間もそうしている。その間時々彼が窓の外に目をやり、ぼんやりと
考え込んでいることに私は気がついていた。
 今、彼は真っ直ぐに私を見ている。その眼差しにはいつもの優しさは消えて
強く厳しい決意のようなものが感じられて、私は思わず居住まいをただした。
 「結婚しよう。」
彼が突然言った。
 私は驚いて一瞬息が詰まって....ぽかんと彼の顔をみつめた。
望んでいたはずだった。嬉しいはずだった。すぐに「はい」と言うはずだった。
でも私は何も言えなかった。
 彼から目をそらし、窓の外の降りしきる雨を眺めていた。
 彼はこういう場面を想定してはいなかったのだろう。それでも気を取り直して
「ごめん突然で.....驚かせてしまったね。でも僕はもう決めた。返事はいつでも
いいんだ今すぐという話でもないのだから。貴女が考えて納得した上で返事が
欲しい。その時までぼくはのんびり待っているよ。」
 穏やかに諭すように私に話しかける彼の目は、もういつもの優しい目だった。
 気まずい空気を断ち切るように彼は立ちあがった。
 彼はいつもと変わった様子もなく私を電車まで送ってくれると、片手を上げて
振り向きもせず帰っていった。

 私は部屋に入ると堪えていたわけのわからぬ涙がどっと溢れてきて、ついに
声をあげて泣きくずれた。
 私はなにを躊躇しているのだろう。大好きな彼にどうしてすぐに良い返事が
出来なかったのだろう。
 泣き疲れて少し冷静になると、ここ一年あまりの彼のことを次々に思い出して
いいことばかりだったと胸が熱くなった。愛しい想いがこみあげてきた。
 今彼に言いたいことがいっぱいあった。でも臆病者の私はこの気持を言葉に
することは出来そうになかった。

 私は手紙を書くことに決めた。
 自分の気持を素直に彼に伝えたいと思った。

私は結婚について自分の意思よりも両親や周囲の思惑ばかり考えていたこと。
一番大切なことは自分自身の信念であることに気がついたこと。
 そして私の一生を共にするのは彼以外にないこと。
そして今までの優柔不断な私に彼が辛抱強く付き合ってくれたことへの感謝。
そして、そして今夜の彼のプロポーズの言葉が本当に嬉しかったこと。

 私はあふれる想いを心をこめて綴った。書いていくうちに霧が晴れるように
心が軽くなり、重苦しかった胸が軽やかに膨らんでいくような心地よさが私を
やんわりと包みこんだ。

 気がつくと雨も上がり窓には細い月の光が降りそそいでいた。
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面影草  4 [短編]

 汽車の窓から海が見え、小さな島影も初夏の心地よい風の中を飛んで行く。
今日は少し遠出をしょうと言う彼に、私は一も二もなく賛成した。
 この頃は月に幾度か会って映画や音楽を楽しみ、時にはお互いに読んだ
本の感想を話し合ったりもした。
 たまには心機一転という気持ちが二人にあったのだろう。汽車で一時間程の
お城のある街へ行くことに決めた。

 堀を巡って咲く紫や黄色の菖蒲を見ながら橋を渡り、小高い丘の上に建つ
城についた。天守閣に登ると、街を貫く大きな川とその先に海が見えた。
「お城はいいねえ。何か懐かしい気がするから不思議だよ。好きだなあ」
 彼は目を細めて遠くを見つめている。その肩越しに私も同じ思いで海を見て
いた。
 そしてこの前会った時真剣な表情で言った彼の言葉を思い出していた。
「僕たち付き合い始めてもうすぐ一年になるね。この頃僕はいつも考えている
んだ。これから僕たちの交際どのように進めて行ったらいいか。
貴女さえよかったら二人の将来のことについて真剣に考えてみませんか。
と言っても僕の気持はもう、はっきりしているのだけと゛。」
 私は驚いて彼の顔を見つめた。胸がドキドキしていた。私だって同じ気持だ
ったが、それをはっきり言葉には出来ずに
「そうですね。」と曖昧に応えた。そしていつぞやの母とのやりとりを話そうかと
思ったがそれもやめた。
「゜まあ僕たちはまだ若いのだから、そう窮屈に考えなくてもいいのかもね。」
彼は少しいらいらした様子でこの話を打ち切った。

 それから私は考え続けていた。将来のことを真剣に考えるということは結婚
を意味するのでは.....。
それなら二人の気持ちだけで決められるような簡単な話しではない。
経済的な裏付けがあって初めて成り立つのではないか。
お互い今の安月給の身ではとても考えられないことた゜。親はきっと心配する
だろう。

 少し時が過ぎて、はっきりしない私も少しは考えたのではと思った彼は城の
街へ私を誘ったのだろう。

 それなのに食事をしてもお茶を飲んでも、なんとなくしっくりこない二人がいて
折角の遠出も新しい進展なんぞなにもなかった、。 


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