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 都忘れの花白く   3 [昭和初恋物語]


  年の瀬も押し詰まった土曜日、千穂たち三人は忘年会をしょうということにな
った。光代の家で泊まりがけだ。母がチラシ寿司を作ってくれると言う。楽しい
一夜になりそうて、三人はお菓子やら果物、ワインもこっそり一本買ってきた。
 未成年なのに....と言いつつワインも少し飲んだ。「ねえ千穂、その後山部さん
とはどうなっているの。」友子が突然聞いた。「うん」「貴女たち恋人同士なんで
しょう」光代も続いた。「まあ恋人というか....」千穂がもそもそ言うのに「はっきり
しなさい」と二人が畳みかける。来年は二十歳になる三人だけど光代も友子も
今の所まだ恋というものに出会っていなかった。興味津津の二人に問い詰めら
れて千穂は少し顔を赤らめた。「二人でそういう話あまりしないのよ。私は山部
さんのこと好きだけど、向こうがどう思っているかはわからない」光代と友子は
顔を見合わせた。「好きに決まっているでしょう。好きだから交際が続いている
んでしょう。」友子が言い「千穂の事嫌いな人なんていないよ」と光代も力をこめ
て言った。
 その夜は結婚について話が弾んだ。千穂と友子は素敵な恋愛をして結婚した
いと言い、光代だけが多分見合い結婚するだろうと言った。「私はそういうの苦
手だし、顔も自信ないし、第一女らしくない私を好きになってくれる人なんかいそ
うにないよ」と片目をつぶって笑った。
 「そんなこと言わずに青春はこれからでしょう。自信を持って頑張りましょう」
三人は盃を上げて大きな声で乾杯をした。
 夜が更けて、もう寝ましょうという態勢に入ると友子はすぐ眠ったようだった。
暗闇の中で光代は、本当に恋ってどんなものなのだろうと考えていた。
 「起きてる?」と千穂が小さい声で行った。光代は「うん」とすぐ応えた。千穂が
小さくため息を一つついた。「私ね、山部さんのこと本当に好きなの、会社でも
彼のこと気になるし、デートに誘われると嬉しいし、夜なんか彼のこと考えてい
ると何だか切ないし。」光代は聞きながらそれが恋というものなのかと思った。
「でも山部さんが、私の事好きなのかは分からないの」そう言って千穂はまた溜
息をついた。「そこが肝心じゃないの。千穂自信持ちなさいよ女の私から見ても
貴女は女性として完璧よ。きれいで賢くて静かで、欠点がなくて嫌だーと思う位
中学の時から、自慢の親友で、私が男だったら好きになるのはきっとこんな人
だろうと、いつも思っていたのだから」二人は小さい声で笑った。友子が寝がえ
りを打った。
 

  

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 都忘れの花白く   2 [昭和初恋物語]


 研と千穂はいつも行く喫茶店にいた。明るい映画音楽が楽しげに流れていて
若い人たちでいっぱいだ。「二人も誘えばよかったかなあ。気を悪くしてないか
しら」研が申し訳なさそうに言う。「大丈夫よ」言いながら千穂は思った。あの二
人は誘っても今日は来なかっただろう、と。
 
 千穂は入社した四月、新入社員の研修担当者だった研と出会った。二週間
の研修が終わってからも、研に誘われるまま何となく付き合って二人は少しづ
つ親しくなっていった。
 千穂は気だてがよくて、仕事もテキパキこなしたので、社内の男性達にも人
気があった。研も好青年で女性陣の憧れの人だっので、二人はお似合いの
カップルに見えた。
 渓谷行きの後、光代たち三人はよく会ったが千穂から研の事を聞いたことは
なかった。まあ、あまり関心がなかったと言うべきかもしれない。
 十二月になったある日、千穂は出張中の研から、仕事が早く終わったので今
から逢えないか、と電話があった。
 仕事が少し手間取った千穂は、時間ぎりぎりに大急ぎで会社を出ると門の所
に同期の大津涼子が立っていた。「今帰り、残業だった?」「ええ少しだけ」「これ
から予定が無ければ食事行かない」涼子に誘われ、千穂はちょっとためらった
後「ごめんなさい、今日はちょっと」と言葉を濁した。「デートなんだ」涼子は笑い
ながら「では又ね」とあっさり帰って行った。
 別に隠している訳ではなかったが、社員同士の恋愛はタフ゛ーみたいなところ
があって、研も千穂も社内では、そんな様子を見せなかったので、会社の人達
は気づいてないだろうと、千穂は思っていた。
 映画は総天然色の外国映画て「未完成交響曲」シューベルトの恋物語で美し
い音楽とともにうっとりした二時間だった。
 外に出るとさすがに風が冷たくて、年の瀬を思わせた。「今日会社出るとき大
津さんに食事誘われて....」歩きながら言う千穂に、研は知らん顔をして何も言
わない。「会社の人たち私たちの事知らないよね」「うん別に悪いことをしてる訳
でもないけど、そう吹聴することでもないからね」無口な二人はいつもこんな調
子で、あまり話も弾まない。いつも行く小さなレストランで、遅い食事をしながら
千穂は何となく物足りなさを感じていた。
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昭和初恋物語   都忘れの花白く   1 [昭和初恋物語]


 パスが山道にさしかかると、次々に現れるカーブに座っていても踊るように
体が揺れた。花田光代は前の座席にいる泉田千穂の背中を見ながら、不思
議な気分に襲われて、そっと隣の吉原友子を見た。彼女もじっと前を見ている
というより千穂の隣に座っている男性の背中を睨みつけているように見えた。
 その二人は話をするでもなく、紅葉が美しい窓の景色に見入っている。
 中学、高校と仲良しの三人組は、卒業後の職場は違ったが、映画に行った
り、買い物に出かけたり、旅行をしたりして青春を楽しんでいた。
 今日も紅葉が真っ盛りだという山奥の渓谷に向かう所だった。
 昨夜千穂から電話があり「急だけど明日会社の人連れて行ってもいいかな
あ」と聞いてきた。友子には事後承諾してもらうことにして「いいんじゃない四
人の方が」と光代は簡単にOkした。
 今朝バス乗り場で千穂に山部研を紹介された時、光代と友子はきょとんとし
て顔を見合わせた。二人とも会社の友人とは女性だと決めてかかっていた。
 研は「突然ですみません。僕も前から行きたいと思っていた所だったので、
泉田さんが行くと聞いて無理にお願いしたんです」と頭を下げた。千穂はにこ
にこ笑っている。「ああ、はいこちらこそよろしく」光代が言った。友子も「よろ
しく」と笑った。研はなかなかの好男子で格好いい。美人で賢くて性格のいい
千穂とはお似合いだと光代は思った。
 バスの座席には光代と友子がさっと並んで座ったので、千穂たちは当然
一緒に座ることになる。でもすぐ後ろで監視の目が光っているようでさぞ困る
だろう、光代はそう思うと可笑しくなってふっと笑った。「高校時代から千穂は
もてもてだったもんなあ、でも山部さんは恋人なのかなあ」こういうことには
まるで疎い光代の頭の中は単純だ。「もうすぐ着くね」隣の友子に声をかける
 渓谷は大勢の人で賑わっている。木々の紅葉と青い空、川は深い緑色の
水をたたえて、巨岩の底にゆったりと動かない。
 凄い! きれいだねと四人は声を上げた。石伝いに下に下りると、日だまりで
お弁当にした。研は静かな性格のようで余り喋らず、三人の写真をたくさん
撮ってくれた。いつも賑やかな光代も、三人でいる時とは勝手が違って、借り
て来た猫のように無口だった。千穂たちもはしゃぐ風もなく、ただ紅葉を満喫
しているような数時間だった。
 街に戻った時はもう夕暮れで、光代は少し心を残しながらも、気を利かした
つもりで「今日はここで解散しましょう、少し疲れたね」といった。友子がすぐ
賛成をした。千穂たちはお茶でも飲みにいくのかなあと思いながら「じゃあ」
と光代は電車乗り場にむかった。あわてて友子が小走りについてきた。
「今日はびっくりしたねえ」と友子「ホントまさか男性だとは、ごめんね私勝手
にOkしてしまって」光代は頭を下げた。「いいのよ、そこそこ楽しかったじゃ
ない」二人で笑った。そして普段はおとなしくて大きな声を出すこともない千
穂がこんな時は本当に大胆なんだから.....と二人は思った。

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 つゆ草の道  最終章 [昭和初恋物語]


 土曜日の午後のデパートはジングルベルのメロディーが流れ、人で溢れている。
約束の二時まで後十分。書籍売り場の棚の陰から芙美は見ていた。
 晃の姿が見えた。グレーのコート、紺のスーツに紺のストライプのネクタイをきち
っと締め、辺りを見回している。三カ月振りに見る彼は、一層男らしく頼もしく芙美
には見えた。思わず彼女は飛びだした。「お帰りなさいっ!!」驚いたように晃も大き
な声で「ただ今」と言ったまま二人はじっと顔を見合わせた。二人とも胸が一杯で
言葉が出ない。しばらくの沈黙ののち「元気そうですね」やっと晃が言った。
 毎日会いたいと思っていた芙美が今目の前にいる。濃紺のワンピースの上に
はおった白いコートがよく似合っていて、"少し大人びたかな"と思った。
「佐原さんも。何か都会の人になったみていです。」芙美は小さく笑った。
「外に出ましょう。久し振りにこの街を歩きたいのです。」体中が何だかぽかぽか
している二人の意見が一致した。
 雑踏の商店街に出ると、ここも人が一杯で、師走の慌ただしさが伝わって来る。
そんな中を歩きながら二人には、三カ月の文通が効を奏し共通の話題が沢山
あった。
 晃は手紙には書ききれなかった研修の様子や、全国の方言が飛び交って面白
かった宿舎でのエピソードなど楽しそうに話した。芙美もこの三カ月の間に、晃に
は内緒にしていたけれど、一つ年を取ったこと、サークルで新しい友人が何人か
出来たことなど、珍しくよく喋った。随分歩いたような気がした。
 いつしか二人はいつかの夜、晃がロシア民謡を歌った公園にやって来た。
「ブランコに乗りましょうか」と晃。
 太陽は西に傾きかけていたが日射しはまだあって、裸になった銀杏並木を照ら
していた。
「笹井さんこの間の手紙読んでくれましたよね。あれ書くの凄く勇気がいりました。
でもあれが偽りのない今のあなたに対する僕の気持ちです」晃はブランコを漕ぎ
ながら、はっきりとした口調で言った。
 芙美にあの手紙を読んだ時の感慨が甦って来た。
「有難うございます。私あんなに嬉しい手紙初めてでした。佐原さんの気持ちを
しっかり受け止めたい、そしてそっくりそのまま私の気持ちとして、佐原さんにお
返ししたいと、本当にそう思っていました。」言ってしまって芙美は、大きく大きく
空に向かってブランコを漕いだ。

 もう二人に言葉はいらなかった。

 入り残ったかすかな夕光に、さざ波が光る堀端の道を並んで歩きながら晃は
この道がいつまでも続いていればいいのに、と思った。
 そしていつかきっと、その行きつく先に二人で見つめる同じ目的地があるよう
な気がしてならなかった。
 芙美がすっと晃に寄り添った。

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 つゆ草の道  8 [昭和初恋物語]


 十一月は職場の行事が相次いだ。運動会、二泊三日の慰安旅行、お月見会、
若い女性の多い職場は、何をしても賑やかで華やかで楽しかった。
 芙美も晃のいない寂しさを忘れて、精一杯この秋を楽しんでいた。
 晃からの手紙は一度も途切れることなく続いている。待ち遠しくて、やっぱり
嬉しくて芙美も欠かさず返事を書いた。この頃では毎日の出来ごとの他に音楽
や文学、時には政治のことなども話合うようになっていた。
 そんな中で「話し合いの中から生まれる信頼、思想に支えられない友情はな
い。共通意識を持って素晴らしい人間関係を結びましょう」と言った晃の言葉は
深く芙美の心に残った。

 晃の手紙

 昨日あたりから急に寒くなったようですが風邪をひいてはいませんか。
とうとう十二月ですね。僕の研修も終わり、今夜で東京ともお別れです。
 笹井さんやっと会えるのですね。会いたい!会いたい!会いたい! 何べんでも
叫びたいです。何故こんなに遠くに離れてしまったんでしょう。僕はこの三カ月
あなたのことを忘れて、勉強に打ち込もうと努力してきました。頂いた写真も実
は持って来ませんでした。そちらを発つ時から固い決心をしていたのです。
 でもどうしてそんなことが出来るでしょう。授業中ふと窓に目を移すと、林立す
るビルの上に青い空が見えます。そしてそれが二人で行ったあの西山公園の
青い空に繋がってしまうのです。休日に浅草寺や東京タワーに行っても、笹井
さんと一緒ならどんなに好いだろう。眠るときは夢ででも会いたいと願っていま
した。この手紙を読んできっと笹井さんは、いつかの夜のように女々しい。と笑
っているのでしょう。僕だけが僕一人だけがこんな気持ちなのでしょうか。
 今笹井さんが僕と同じ気持ちでいてくれたらどんなに嬉しいでしょう。
 面と向かっては、僕きっと今の自分の気持ちを言葉にすることは出来ないと
思うのです。で、最後の手紙に今まで抱えていたあなたへの想いを全部吐き
出してしまいました。気に障ったら許して下さい。ああ十二月十五日僕はどん
な顔をして笹井さんに会えばいいのでしょう。 午後二時いつもの所で待って
います。その時までさようなら。                      12月8日

 笹井芙美様                              佐原 晃

 芙美は読み終えてしばらく目をつぶっていた。目を開けると涙がこぼれそう
だった。嬉しかった。晃の気持ちが胸にしみた。そして今更ながらに晃への
想いが溢れて来て芙美はやっぱり手紙を抱きしめて泣いてしまった。
  

 
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 つゆ草の道  7 [昭和初恋物語]


 晃が行ってしまった日から、芙美は自分の感情に翻弄され続けていた。
 こんなはずではなかった。少しの間のさよなら....、三カ月なんてすぐだ、と
思っていた。会えないのが辛い、寂しいと言う晃を本当に女々しいと心底笑
っていたのに。
 芙美は思い知った。自分の中で晃がいかに大きな存在になっていたかを。
 上京して五日目、晃から初めての手紙が来た。
 やっと宿舎に落ち着いて研修も始まったこと、全国から集まった仲間をみ
ていると、しっかり勉強しなくてはと気持ちを新たにしたこと。東京は華やか
でちょっと気を許せば楽な方へ走ってしまいそうで、若者には刺激が強い所
だから自分でしっかりしなくてはと、気を引き締めたこと。
 その文面にはここで頑張って、これからの仕事に繋がる基本となるものを
自分のものにして帰りたいと決心した晃の気持ちが溢れていた。
 そして最後に、笹井さんも元気でお仕事頑張って下さい。お会いできる日
を楽しみにしています。と書いてあった。
 芙美は体から力が抜けて行くのを感じた。
 晃の手紙は余りにも月並みで、まるで事務連絡みたいだ。芙美はこのとこ
ろの寂しい切ない気持を癒してくれるような、やさしい言葉がいっぱい詰まっ
た手紙を期待していた。それなのにー。別れるときのあの女々しい晃はどこ
へ行ってしまったのだろう。
 窓から見える今夜の月は神々しいほどに冴え渡り、じっと見つめていると
芙美はふと泣きそうになった。
 芙美はすぐ返事を書いた。真剣に勉強している晃を自分なりに精いっぱい
応援したいと思うから、体に気をつけて頑張って下さい。とそして晃に対する
気持ちは、自分だけが寂しがっているようで悔しかったので、何も書かなか
った。そして最後に、私にとってお手紙が届くまでの五日間が、どんなに長
かったか想像できますか、とだけ書いた。
 晃からは毎週半ばには手紙が届いた。日記のようなその手紙で、芙美は
東京での晃の生活を手に取るように知ることが出来た。芙美も自分の日常
をまめに書き送った。
 どこからともなく金木犀の香りが漂い始め、遠くで祭り太鼓の練習の音が
聞こえてくる十月になった。
 夜などひとり部屋でいると芙美が考えるのは晃のことばかり。そしてまた
晃の手紙を取り出してみる。理路整然とした文面、誤字脱字のない男らしい
力強い筆跡。じっと見ていると無性に会いたくなって、胸が苦しくなってくる。
 芙美への想いなど一言も書いてない。ただどの手紙も最後に一行、会える
日を楽しみにしています。と結んでいる。
 佐原さんは私のことなど忘れてしまったのか。義務的に手紙を書いている
だけなのでは?芙美の中で湧いてくる不安は少しづつ大きくなって行った。




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 つゆ草の道  6 [昭和初恋物語]


 仕事が終って待ち合わせの喫茶店に飛んで行くと、芙美が座るのももどかし
げに晃が口を開いた。「僕たち会えなくなる」芙美はドキリとした。「どういうこと
ですか」「実は今年の研修に僕が行くことになったんです。行くことになってい
た同僚が急病になり、ピンチヒッターとして。十二月半ばまで三カ月、東京で
す」「なーんだ」芙美は笑った。「驚いたわ、でもたった三カ月でしょう。佐原さ
ん顔青いですよ」「僕は嫌です。今一週間が待ち遠しいのに三カ月も笹井さ
んの顔が見られないなんて」女々しい芙美は内心そう思った。男のくせに。
「一度は行くことになるとは思っていたけど、こんなに早くこんな形で」晃は恨
めしそうに言った。「男でしょう、選ばれるなんて格好いいじゃないですか。し
っかり勉強してきて下さい、私は平気です」
 九月の月は一際美しい。藍色がかった深い空の色、ちぎれて浮かぶ薄い
雲も。いつもの道を歩きながら二人は黙ってしまった。芙美は思った。この寂
しい季節から冬への三カ月、私はさっき言ったように一人で頑張れるのだろう
か。精一杯の強がりだったが胸の底の方から言い知れぬ寂しさが襲ってきた。
 晃は後一週間で出発するという。あの雨の夜の出会いから三カ月、やっと二
人の気持ちが一つになり始めた所での別れである。「笹井さん、これから時間
の許す限り僕たち毎日でも会いましょう、三か月分」晃が感極まったように言う
芙美も同じ気持ちだった。
 
 晃が上京の為に実家に帰る日この日は一日中二人で過ごそうと決めていた。
朝からはれ上がった空はまだ夏色で、日射しは暑かった。
 行く先は芙美の好きな郊外の西山公園。まだお互いの事をあまり知らない二
人にとって共通の話題も乏しく、話は途切れがちだったが、今は一緒にいるだ
けで幸せだった。
 小一時間も歩いたろうか。家並みがとぎれて、公園に続く細い坂道にさしか
かると右手に竹藪が現れた。風が吹くとさやさやと笹の葉ずれの音が耳にや
さしく、汗ばんだ肌に涼しさを運んでくる。
 「好いところですね。僕こういうところが大好きです。ここに決めてよかった」
晃は興奮気味に言った。「上の公園まで行けば遠くに海も見えるし、すぐ目の
下に大きな池が二つもあるんですよ。桜の季節ならもっとよかったのに」芙美
は少し得意気に言った。
 竹藪に沿って小さな溝があり水が流れる音がした。芙美はそこに青い色も
鮮やかに、木漏れ日を受け群れて咲く小さな花を見つけた。よく見るとつんと
うえを向いている黄色のめしべが愛らしい。
「つゆ草ですね」いつの間にか晃が後ろに寄り添っていた。
 朝咲いて午後にはしぼんでしまうという、その小さな青い花を二人はいつま
でも見つめていた。
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 つゆ草の道  5  [昭和初恋物語]


二、三日して思いがけなく晃から手紙が届いた。中には履歴書が一枚、最後の空
欄に両親健在、僕は男兄弟三人の真ん中です。と達筆で書かれていた。
 芙美は思わずふきだした。いかにも晃らしい。あれからずっと考え続けていた自分
が急に滑稽に思えた。出会いはどうあれ自分では気がついていなかったけれど、初
めから晃に好感を持っていたのではなかったのか。一連の彼のやり方に本気で怒っ
たことなどなかったような気がしてきた。
 芙美は手紙をポケットに入れると外に出た。家の近くにある池の土手に続く小道を
急ぎ足で歩いた。日暮れ間近の夏の太陽が西の空にあった。池にはボートが浮かび
オレンジ色を帯びた水面を夏の風が渡っていく。
 芙美はいつものお気に入りの場所に、足を投げ出して座った。そして晃の履歴書を
広げた。晃は三歳年上で就職とともにこの街に下宿したようだ。芙美はこれを書いて
いる晃の姿を想像した。二人ではたった三回会っただけなのに、ずっと前から知って
いた人のような懐かしい気がしてなんだか切なかった。
 晃と付き合ってみよう。
 次の日曜日晃が是非にと東京の大学のグリークラブの発表会に誘った。そういえば
履歴書に書いてあったっけ。趣味:読書、音楽、ふつう~と芙美は思ったのだった。
 市庁ホール満員の観客は、その美しい合唱に酔いしれた。高度のテクニックを要す
る歌曲から、楽しい童謡まで二時間半はあっという間だった。
 外に出ると今日こそは、本当に芙美を家まで送るのだと晃はいたずらっぽく言って
先にたった。堀に架かる橋を渡ろうとする晃に「そちらからですか」と明るい電車通り
を帰るものとばかり思っていた芙美が声をかけた。「はい、この道僕は一人でよく歩き
ます。静かで月がよく見えて、それにずっと近道なんですよ」一瞬の躊躇ののち芙美
は後について行った。通りの反対側は公園になっていて、小さな砂場やすべり台、ブ
ランコなどがあり、昼間は子供たちの歓声で賑やかだ。
 夜は殆ど人気はなかった。突然晃が歌いだした。~夜霧のかなたに別れを告げ~
ロシア民謡ともしびだ~お雄々しきますらお出でていく~芙美は驚いて立ち止りかけた
が晃は歌いながらすたすたと歩いて行く。芙美がいることなど忘れたように。
 トロイカ、バルカンの星の下に、うるわし春の花よ、次々に歌う。
 高く透き通ったその声は、夜のしじまの中で一際大きく響いた。芙美は後ろをつい
て歩きながら、ふと泣きそうになった。晃の歌声は本当に美しかった。


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つゆ草の道  4 [昭和初恋物語]

 蒸気機関車の釜焚きの青年と、紡績工場で働く少女を主人公に、青春群像を
描いた映画「裸の太陽」は素晴らしかった。
 晃と芙美は夜の道を歩きながら、興奮気味に感想を語り合った。現代の世相
自分達も含めて若者のこれからの生き方などについて話すほどに二人の考え
は不思議なほど同じ方向を見ていた。
 職場でこういう話になると「あなたの言ってることは現実的でない、理想論だ」
と笑われていた芙美は、何だか初めて自分の味方を見つけた思いで嬉しかった
 家まで送るという晃の言葉に芙美はうなづいて「私の家知っているのですか」
といたずらっぽく晃を見た。「ごめん白状します。僕県庁に勤めています。初めて
のサークルの会合で笹井さんに会って、というより熱心に聴いている貴女の目を
みて、直感的にこの人と友達になりたいと思いました」晃は少し興奮したように話
続ける。「すぐ市役所のサークル担当の友人に聞いて、住所も勤務先も、電話番
号も、そして年齢も知っています」
 芙美は立ち止って晃の顔を見た。薄々感ずいていたことだった。しかしこう正直
に言われると変な気がした。「私だけが何も知らずに佐原さんの網に引っ掛かっ
たということですね、馬鹿みたい」芙美の声が大きくなった。今までの穏やかな安
らいだ気持ちが、どこかに吹っ飛んで、少し腹も立ってきた。大げさに言えば人格
を無視されたような気もしてきた。これでは芙美の一番嫌いな侮辱のされ方では
ないか。と無理に思おうとした。
 「ごめん謝ります。僕が正々堂々と率直に言えばよかったのです。策を弄したこ
とは謝ります、本当にすみませんでした。実は最初きっと断られるだろうと思って
いたのです。それがすぐ一緒に食事してくれて僕舞い上がってしまいました。嬉し
かった、それで調子に乗ってしまいました晃は謝りながら思いだしてもうれしい、
という顔をしていた。
 そんな晃の様子をみて芙美も今更ながらにだらしない自分を思い出して、私も
悪かったのだと思った。「笹井さん今夜改めてお願いします。これからも友人とし
てお付き合いして下さいませんか。」晃は真剣なまなざしで芙美を睨みつけた。
「少し考えさせて下さい、今夜は失礼します」芙美は踵を返してすたすたと歩き出
した。そのくせ一人で帰りたくない自分がいることに気がついていた。行動とはう
らはらに胸の奥の方で暖かい何かが体中に広がって行くのを感じた。
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 つゆ草の道  3 [昭和初恋物語]


 梅雨が明けて夏らしい暑さが続いていた。七月初めサークルの会の日、芙美は
少し早めに会場に行くと、晃が一人で窓際に立っていた。外を眺めている後ろ姿が
何だか寂しげで、芙美は小さい声で「こんにちは」と言った。晃は驚いたように振り
返って「ああ笹井さん早いですねこの間は失礼しました僕後で少し反省したんです
自分勝手すぎて、ちょっと強引だったのではないか.....とそうだったら許して下さい
僕って思いつめたら後先分からなくなることがあって。」いかにも申し訳なさそうに
ペコリと頭を下げた。
 芙美はふとおかしくなった。何て正直な人なんだろう。これでは偶然に私に逢った
のじゃないこと白状しているようなものでしょう。彼女は「いいえ私は別に」と言葉を
濁して席についた。
 時間が来て講師が今日のテーマの、この街の南を流れる大川の江戸時代の治
水工事の話を始めた。会員は男女十四、五人みんな熱心に聴いている。芙美は
窓の外に目をやった。青い空をゆっくり流れる雲を見ながら、先日の晃と歩いた雨
の夜のことを思い出していた。[ 待ちぶせ ]ふっと思った。それなら辻褄があう。
私の職場、私の帰る時間、そんなのは調べればすぐわかる。
 講師の声が切れ切れに耳に入って来たが、芙美は少し混乱していた。何故、そ
んなことまでして。好子と佐代の顔が浮かんだ。思わず芙美は"ふっ"と笑った。もし
そうだとしても晃に対してはちっとも腹が立たなかった。いつもの芙美なら、絶対に
許せない行為だ。卑劣とか嫌らしいとか言って多分口汚く罵っただろう。こういう事
に関して異常なほど潔癖で、正義感いっぱいの芙美を職場のみんなはいつもあき
れ顔で見ていたのだから。
 会が終って帰り仕度をしている芙美に晃が声をかけた。「笹井さんこれから何か
予定あるのですか」そら来たっ!!芙美は思った。もうその手にはのらないぞ。別に
予定はなかったけれど「ええちょっと」「時間かかるのですか、実は映画の招待券
二枚貰ったんですよ、[裸の太陽]いい映画だそうです。五時からですから、もしよ
かったら僕待ってますから一緒に行きませんか」芙美が見たいと思っていた映画
だった。固い決心のつもりだったのに彼女はとも簡単に「いいんですか、それでは
急いで用事を済ませてしまいます」と承知してしまった。



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